遺伝子診断と生命倫理に関する調査

 

  980755 安藤 ちひろ               指導教官 Darryl Macer

 

<導入> 近年のめまぐるしい遺伝医学の発展により、遺伝子診断が注目をあびている。これは、遺伝子を調べることにより遺伝病を発症前に診断するというものである。遺伝子診断が他の医療と異なっている点は、診断結果が他の血縁者(家族)にも関わってくること、現在健康な人の未来を予想することができ、それには子供も含まれること、日本では遺伝カウンセリングの歴史が浅いこと、テストは存在するが治療法が少ないことなどがあげられる。しかし実際のところ、遺伝病とされる病気のうち単一遺伝子によるものはわずかしかない。ほとんどの場合、多数の遺伝子による相互作用や、環境、精神的ストレスなどが複雑に絡み合って引き起こされるため、原因解明は非常に困難である。したがって、全ての遺伝病を診断することは難しいと思われる。さて、日本人は「遺伝子診断」をどのように受け止め、考えているのだろうか。

 

<方法> 日本人の遺伝子診断と生命倫理に関する意識調査を行うため、アンケートを実施した。主に、つくば市の公園で、無作為に日本人を対象に行った。最終的に、175人からの返答を得ることができた。

 

<結果>

. 遺伝子診断 : このテストの認識度は47%と半分を割っていた。「あなた自身、遺伝子テストを受けてみたいと思いますか」との設問に、26%の人が「治療法が分かっていない遺伝病が分かるとしても受けてみたい」と答え、35%の人が「治療法が分かるのなら受けてみたい」と答え、その他39%の人は「受けたくない」と答えた。「受けたい」と答えた人の主な理由としては、「生きるため」(13%)、「知る権利」(13%) があがった。一方「受けたくない」と答えた人の主な理由としては、「こわい」(10%)、「知る必要がない」(7%) などがあがった。

. 出生前診断 : この診断の認識度は「遺伝子診断」よりやや高めで58%を示した。「あなた、またはあなたの配偶者の妊娠中に出生前診断を受けたいと思いますか」との設問に、47%の人が「受けたい」と答え、20%の人が「受けたくない」と答え、その他33%の人が「分からない」と答えた。このテストを希望する人の主な理由としては、「知る権利」(23%)、「生きるため」(11%)、「両親の便宜」(7%) があがった。希望しない人の主な理由としては、「こわい」(7%)、「知る必要がない」(5%)などがあがった。さらに、このテストを希望する人を対象に「胎児に遺伝子疾患がみられたらどうしますか」と尋ねたところ、「出産する」(14%)、「中絶する」(13%)、「場合による」(10%)、「分からない」(8%)という結果を得た。

. 遺伝子診断の受け止め方 : 4つの質問をもうけた。まず最初の「この応用は社会にとって有用だと思いますか」という設問に、24%の人がある程度有用だと思っており、22%の人があまり有用だとは思っていなかった。また、41%の人が「分からない」と答えていた。その主な理由としては、「知る権利」「生きるため」「場合による」「優生学的/乱用のおそれ」があがった。次の「この応用は社会にとって危険だと思いますか」という設問に対しては、45%の人が「危険である」と答え、17%の人が「危険ではない」と答え、40%の人が「分からない」と答えた。その主な理由は、「倫理的に/差別の助長」「優生学的/乱用のおそれ」「胎児の生きる権利」である。続いて「この応用は道徳的にみて受け入れられますか」との設問には、31%の人が「受け入れられない」と答え、16%の人が「ある程度受け入れられる」と答え、39%の人が「分からない」と答えた。その主な理由としては「場合による」「倫理的に/差別の助長」「胎児の生きる権利」があがった。最後に「全体的にみて、この応用は奨めるべきだと思いますか」と尋ねると、25%が賛成し、38%が反対した、その他37%は「分からない」と答えた。その主な理由は「場合による」「知る権利」「生きるため」「倫理的に/差別の助長」だった。

. 遺伝子疾患の人への接し方 : 「身近に遺伝子疾患の人がいたら、どのように接しますか」との問いに、「人はみな同じなので自然に接する」が最も多く46%であり、「分からない」(10%)が続いた。「拒絶する」と答えた人はほとんどいなかった。

 

<考察> これらのアンケートに答えてくれた人々は、遺伝子診断に対して、いくつかのある意見をもっていた。彼らは「生きるため」という点において、これらのテストを受け入れており、さらに奨めていくことを望んでいた。そして同時に、乱用されることをおそれ、新しい差別がうまれることを懸念していた。だから、彼らは容易にこれらのテストを受け入れることができず、「場合による」と考えていたのだと思う。

 ところで「生きるため」とは言うものの、実際には、診断は出来てもなかなか治療することはできない。果たして、どれだけの命が守られるだろうか。そして、たとえ胎児を遺伝的スクリーニングのふるいにかけても、疾患遺伝子の発現率をコントロールすることは不可能に近い。これは、最近の Macer の調査で明らかであるし、今回の調査においても、たとえ胎児が疾患をもっていても出産すると答えた人の割合と、中絶すると答えた人の割合がほぼ等しいことからも分かるだろう。遺伝子疾患をもつ人々に対して、否定的な意見をもつ人々はほとんどいなかったものの、日本には未だに「遺伝」「遺伝子病」という言葉に対する偏見や差別が根強く残っている。また、遺伝子疾患の患者やその家族に対するカウンセリングシステムも、日本は発展途上であり、遺伝カウンセラーの数も圧倒的に少ない。また「知る権利」「知らない権利」という相反する権利の主張も、診断結果が家族にも関わってくるという点において、どちらかを優先するか難しい。そして、もし検査結果を知ることが出来たとしても、いつか病気が発病するという不安に耐えることは出来るのだろうか。その点における個人差は、どうようにして知ることが出来るだろうか。私たちは、まだまだ解決しなければならない多くの問題を抱えている。私は、人々がこれらのテストに対する正しい知識をもたないにもかかわらず、これらのテストが普及されることは非常に危険であると思う。私たちは、これらのテストをもっと知らなければならないし、確かな知識を伝えなければならない。また、正しい倫理観を身につけ、それに基づいて正しい判断をしなければならない。そして、多様性を認め、受け入れていく必要がある。