昆虫の低位行動における嗅覚及び視覚情報の統合に関する行動学的研究

980762 岩下美里

指導教官 神崎亮平

 背景と目的:進化の過程において、生物の体はより複雑な構造をとるようになった。それは神経系についても同様で、進化が進んだヒトのような動物では非常に複雑になっていて、本能行動以外の行動が目立つようになる。これは動物が生得的に持っている本能行動を司る系の上に他の感情などの系が付加されて現在の脳に至ったためであると考えられる。ヒトの神経系と比べると昆虫の神経系はシンプルで、定型的な本能行動に関わる部分が大きく、よく研究されてもいる。このため、定型的な行動以外を支配する系についても刺激と行動の対応がつけやすい。このことから、シンプルな系での情報伝達を理解することはより複雑な系を理解するための基礎になると考えられる。

 雄カイコガは嗅覚のうち、フェロモン受容に関する感覚が非常に発達した昆虫で、ごく少量のフェロモンを受容しただけで定位行動を発現する。カイコガのフェロモン受容と定位行動の対応関係はよく知られている。雌が放出する性フェロモンを受容すると、カイコガは0.20.5秒ほど直進歩行をし、その後ジグザグターン、回転(ループ)という定型的な行動をおこす。したがって、嗅覚系に他の情報(視覚情報・機械感覚情報など)が統合されたときにその関係が考察しやすいのではないかと考えられる。過去の行動学的研究から、視覚情報がカイコガの一連の定位行動に影響を与えることが示された。また、電気生理学研究により、光のon/offに応答する神経細胞も見つかった。そこで、本研究において、これらの感覚情報がどのように統合されるのかを、複眼を被覆して視覚情報の入力経路を限定したカイコガを用いた行動学実験の結果から考察した。

 材料と方法:材料として、雄カイコガ(Bombyx mori)を使用した。カイコガの胸部背側部の体毛を除去し、接着剤で金属棒に固定した。拘束状態のカイコガに発泡スチロール製のボールを持たせ、性フェロモン(ボンビコール)による嗅覚刺激を行った。また、円筒状に配置したELパネルを、コンピュータ制御により順次点灯させ、視覚刺激(ビジュアルフロー刺激)を行った。カイコガの脚の動きを反映してボールも回転する。このボールの動きを光学式マウスで検出し、カイコガの行動を解析する指標とした。なお、カイコガの複眼は実験内容に応じて片方または両方を遮光テープで被覆した。

 結果と考察:カイコガの両複眼を被覆して、濃度1000ng、刺激の持続時間200msのフェロモン刺激を与えた。すると、被覆していない固体に比べ、1つ1つの行動要素(直進歩行、ジグザグターン、回転)の持続時間が有意に短くなった。このことから、被覆していない、つまり視覚刺激を受容しているときには定位行動が影響を受けることが考えられる。