cDNAサブトラクション法による網膜再生制御遺伝子の単離 生物学類 4年次 菊池陽介 [導入] 一般に、網膜を含む脊椎動物の中枢神経組織は、傷害を受けると再生しないと考えられている。ところが、有尾両生類のイモリの網膜は、手術によって完全に除去しても、残った網膜色素上皮(RPE)細胞を起源として再生し、光情報処理機能を回復することができる。イモリの網膜再生については、これまでに形態学や生理学による研究がなされてきたが、その分子メカニズムは明らかにされていない。網膜再生のメカニズムが明らかになれば、我々の中枢神経組織を完全再生させる道が開かれるかも知れない。  イモリの網膜再生過程では、網膜を構成する各種神経細胞は発生過程とよく似た順序で出現する。このことから、再生における神経分化の過程には発生と同じ遺伝子プログラムが働く可能性が示唆される。一方、網膜再生の起源が分化したRPE細胞であることや、網膜形成の場が成体の眼球内であることを考慮すると、そうした遺伝子の発現を調節するメカニズムは再生独特であろうと推測される。本研究では、網膜再生の分子メカニズムを明らかにするための基礎として、cDNAサブトラクション法による網膜再生制御遺伝子の単離を試みた。 [方法] 1)網膜除去手術:実験には成体イモリ(Cynops pyrrhogaster、体長 6-10cm)を用いた。網膜の再生を誘導するため、イモリを0.1% FA100(4-allyl-2-methoxyphenol)で麻酔し、眼球の背側半分を虹彩の基部で切開し、細いピンセットで神経性網膜とレンズを除去した。手術したイモリは、湿った紙を敷いたプラスチック容器に入れ、22℃で飼育した。 2)RT-PCR:網膜発生に関わる遺伝子が再生過程でも発現するかどうかRT-PCR法で調べた。発生関連遺伝子として、目の形態形成のマスターコントロール遺伝子として知られるPax-6、神経分化決定遺伝子として、神経分化を抑制し、幹細胞の性質を維持する働きがあるとされるDelta-Notchシグナル系の遺伝子と、神経分化を促進するとされるNeurogeninについて調べた。Total RNAは再生0、10、19、23、45日目の、眼球の強膜側半分の組織(EYE-CUP)それぞれ6個から抽出した。再生0日は網膜除去直後のことである。10日は色素上皮細胞が細胞質分裂を開始する時期に、19日は色素を捨てた1〜2層の再生網膜が出現する時期に相当する。そして、23日は神経細胞が機能分化を始める頃の時期である。再生45日には、網膜は形態的にほぼ再生している。それぞれの遺伝子を選択的に増幅するように設計したプライマーを用いて、それぞれのサンプルについてRT-PCRを行った。 3)cDNAサブトラクション:RT-PCRに用いた再生0と10日のRNAサンプルを用いて、PCRによるcDNAサブトラクションを行った(CLONETECH PCR-Select cDNA Subtraction Kitを用い、その指示に従った)。 [結果と考察] 1)網膜再生過程における網膜発生制御遺伝子の時間的発現様式 Pax-6 Pax-6は、RPE細胞が細胞質分裂を始める再生10日で発現し、再生がすすむに伴って増加した。一方、RPE細胞の分化マーカーであるRPE-65の発現は、同じ再生10日には減少していた。これらの結果から、RPE細胞は、網膜が除去されると、自らの形質を捨てながら、細胞分裂の準備を整えるとともに、Pax-6のような網膜形成には欠かせない新たな遺伝子の発現を始めることを示唆している。 Delta-Notchシグナル系遺伝子 Hes-1とDelta-1のPCR産物は、再生0日で確認された。このことは、正常なRPE細胞がHes-1とDelta-1を発現している可能性を示唆している。一方、Notch-1は1〜2層の再生網膜が現れる再生19日になって始めて発現が確認された。このことは、受容体であるNotch-1よりもそのリガンド(Delta-1)とエフェクター分子(Hes-1)の方が先に発現していることを示唆している。Notch-1の発現量は再生19日が最大で、その後次第に減少した。一方、Delta-1の発現量は、再生19日頃に急激に増加し、神経細胞が機能分化する再生23日でも維持された。そして、網膜が再生すると減少した。また、Hes-1の発現量は、再生10日ですでに増加しており、再生19日に最大に達し、その後減少した。 Neurogenin Neurogenin は再生0日で発現していた。Neurogeninが神経上皮由来の細胞以外で発現するという報告がないことから、恐らくRPE細胞で発現していると考えられる。Neurogeninの発現量は、再生10日から次第に増加し、再生19から23日にかけて急激に高まり、再生が進むと減少した。神経細胞の初期分化形質であるN-CAMは、Neurogeninの発現増加に相関して発現した。一方、電位依存性Naチャネルの遺伝子発現は、それより遅れて、神経節細胞が機能分化する再生23日で初めて発現した。このようにNeurogeninの発現増加に相関して、神経細胞の形質が発現することから、Neurogeninが網膜再生においても神経分化をpositiveに制御している可能性が示唆される。 2)再生0〜10日までに発現が変動する遺伝子の単離 網膜が除去され、再生が始まると、RPE細胞は自らの形質を捨てながら、細胞分裂の準備を整え、同時にPax-6などの新たな遺伝子を発現したり、NeurogeninやHes-1などの遺伝子の発現を増加させると考えられる。これらの変化は、再生10日までに起こることがRT-PCRの結果から明かとなった。そこで、再生0から10日までに発現が増加または減少する遺伝子をcDNA サブトラクション法で単離することを試みた。発現が減少する遺伝子の中に再生の開始に関わる遺伝子が、一方、発現が増加する遺伝子の中には、その後の網膜再生に必須の遺伝子が存在すると期待している。現在、再生10日で発現が減少すると期待されるcDNAクローンが1000、増加すると期待されるcDNAクローンが500得られている。現在、Differential screeningにより、個々のクローンの発現動態の検証を行っている。さらに、今後、配列を調べ、再生における発現について解析する予定である。 [今後の展開] 今回のRT-PCRの結果から、正常なRPE細胞が神経分化に中心的に働くいくつかの因子(Delta-1, Hes-1, Neurogenin)を発現している可能性が明らかになった。このことは、イモリのRPE細胞が潜在的にNeuron化する能力をもつことを意味するのかもしれない。今後、RPE細胞を単離し、single-cell  で定量的RT-PCRを行い、この点を検証しなければならない。研究結果を総合すると、網膜再生における神経分化のメカニズムは、網膜発生と共通ではないかと考えられる。しかしながら、遺伝子の発現調節のメカニズムは再生独特かも知れない。実際、再生10日頃にPax-6が、そして再生20日頃にNotch-1が新たに発現するというように、遺伝子発現が多段階で制御されている可能性がある。また、それらに何らかのFactorが関与することを予期させる。このような遺伝子発現の制御が正常な眼球中でどのように実現されているかは非常に興味深い。cDNA サブトラクションにより得られたクローンの中にこれらに関わる遺伝子が存在することを期待している。