深海生物の進化:シンカイヒバリガイ類の種間の系統関係

       新宅 未笛    指導教官 宮崎 淳一


<導入・目的>
 深海に生息する二枚貝のイガイ科シンカイヒバリガイ類Bathymodiolus属は、メタンや硫化水素を酸化してエネルギーを生産する細菌を体内に共生させている化学合成生物群集の主要なメンバーの一つである。シンカイヒバリガイ類は、硫化水素やメタンの供給源である熱水噴出孔や冷水湧出帯の周辺に生息することによって光の届かない深海でも生命を維持することが可能である。その熱水噴出孔や冷水湧出帯は海溝や海嶺付近に分散して存在しているので、シンカイヒバリガイ類では遺伝的隔離が起こりやすいと考えられるが、相模湾と沖縄トラフという1000kmも離れた場所において同じ種が生息していることがわかっている。一方、相模湾と小笠原付近ではそれぞれ別種のシンカイヒバリガイ類が生息している。これらからシンカイヒバリガイ類の種分化は単純に地理的距離に相関して起こっているとは考えにくく、また幼生期における分散についてはほとんど分かっていないため、どのようにして種が形成され、分布を拡げていったのか明らかとなっていない。そこで、本研究では日本周辺のシンカイヒバリガイ類の種間の系統関係を明らかにすることによって、種分化の過程や要因を考察することを目的とした。


<材料と方法>
 日本周辺に生息するイガイ科Bathymodiolus属、ヘイトウシンカイヒバリガイ(B. platifrons)、シンカイヒバリガイ(B. japonicus)、シチヨウシンカイヒバリガイ(B. septemdierum)とパプアニューギニアのマヌス産の種(B. sp. )の4種を用い、ミトコンドリア遺伝子の中でも比較的進化速度の遅いチトクロームcオキシダーゼサブユニットT(COI)の部分塩基配列を比較した。これに基づいて樹形図を作製し(図1)、種間の類縁関係を推定した。


<結果と考察>

 ミトコンドリア遺伝子COIの部分塩基配列( 395 bp )の比較から得られた樹形図は、ヘイトウシンカイヒバリガイとシンカイヒバリガイ、シチヨウシンカイヒバリガイとマヌス産の種がそれぞれクラスターを形成することを示した。この結果は先行研究によって得られた蛋白質の二次元電気泳動のデータや共生細菌のrRNAの塩基配列(Fujiwara et al., 2000)からの知見と一致している。
 本研究の結果と生息地の分布とを照合させると、ヘイトウシンカイヒバリガイとシンカイヒバリガイ、シチヨウシンカイヒバリガイとマヌス産の種という2つのクラスターを形成するための地理的な分断領域は、相模湾と小笠原の間を通り沖縄トラフの南側を結ぶ線であると考えられる。その領域において、たとえば海底の深度の違いや海流とは異なる流れを持つ底層流などが2つのクラスターの間の分断の要因となっていることが考えられる。
 共生細菌の研究(Fujiwara et al., 2000)から、ヘイトウシンカイヒバリガイとシンカイヒバリガイはメタン酸化細菌、シチヨウシンカイヒバリガイとマヌス産の種は硫黄酸化細菌と共生していることがわかってる。これらのどちらかが祖先型であり、それぞれのクラスターに分かれた後、硫黄酸化細菌共生からメタン酸化細菌共生へ、またはその逆へと変化したと考えられる。グローバルな視野で考えると、相模湾・沖縄トラフではメタン酸化細菌、大西洋ではメタン酸化細菌、硫黄酸化細菌、硫黄酸化細菌とメタン酸化細菌の両方、インド洋、相模湾・沖縄トラフを除く太平洋では硫黄酸化細菌をもつ種が報告されている。仮にメタン酸化細菌をもつものを祖先種とすると、日本周辺を起源とし、大西洋へ渡って硫黄酸化細菌を獲得し、その後メタン酸化細菌が何らかの要因で追い出されて硫黄酸化細菌とのみ共生するようになり、それがインド洋、太平洋へと拡がったと考えられる。また、硫黄酸化細菌をもつものを祖先種とすると、太平洋を起源とし、インド洋、大西洋へ渡った後、大西洋でメタン酸化細菌を獲得し、メタン酸化細菌のみと共生するものが現れて、それが相模湾・沖縄トラフへ拡がったと考えられる。
 よく知られているムラサキイガイはシンカイヒバリガイ類と同じイガイ科に属しているにもかかわらず、沿岸域に生息し、共生細菌に依存していない。ムラサキイガイとシンカイヒバリガイの生息する深度の差はおよそ1000mもあることになる。このようにイガイ科は主に沿岸域に卓越しており、一部が深海に生息する。その間を埋めるような種はほとんど存在していない。いったいどのようにしてシンカイヒバリガイ類は深海に生息するようになったのかは依然として謎のままである。普通、深度200mまで大陸棚が存在し、沿岸域から深海へは直接たどり着くことはできない。しかし、南極では大陸棚が非常に狭く、沿岸域から深海への侵入は比較的容易であると考えられる。そこで、シンカイヒバリガイ類の起源は南極のイガイ科にある可能性が考えられる。今後は、南極のイガイ類のCOIの部分塩基配列を調べて、シンカイヒバリガイ類の起源を考察する予定である。