つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 26.

テーマは何処にでも転がっている。

黒川 治男 (元 筑波大学 生物科学系)

 「研究者にとってストライキって何だろう。何もするなといわれても、頭の中で考えていることは止められないね。 だから、考えることを仕事にしている者にストライキは成り立たない。」著名な教授が講義の合間に言った言葉である。終戦直後労働運動が盛んな時代のことである。自然科学に限らず学問に向かう人は、日頃、いつでも思考発 進できるように頭の中を回転させておく必要がある。エンジンに例えればアイドリングである。次に大切なことは正しい情報の取り込みで、これは目の前にある事物を正確に観察することによって入ってくる。

 私が学部一年のとき、医学部の友人M君から面白い話を聞いた。医学部一年目の講義である教授が「診断の方法や器具が進歩した昨今でも、最後は医師の判断によって診断が下される。したがって医師はつねに患者と検査結果を 冷静に見つめていなくてはならない。」――そのとき助手が黄色い液体が入った尿瓶をもって来て教卓の上に置い た。――「此処に患者の尿がある。これまでの検査では病名が特定できなかった。こういう場合には原点に立ち返ってまず色を観察し、臭いをかぐ。時には尿をなめてヒントを得ることもある。」といって、教授は尿の中に指を入れ、ぺろりとなめてみせた。学生の間に溜め息がもれる。「では、尿瓶を回すから私がしたようにやってごらんなさい。 あとで感想を聞く。」助手が尿瓶を持ちまわる。全員が言われた通りにした。そこで教授が徐ろに口を開く。「冒頭 に目の前の事象を正確に観察せよと言ったのに、諸君はもはや過ちをおかしている。私が尿の中に入れたのは中指で、なめたのは人差指だった。」これは本当にあった話である。ある日、このM君に「医学部の解剖実習を覗かせて貰いたいんだが。」と頼んでみた。「ああ、いいよ。大勢いるから一人ぐらい紛れこんでもわからない。ひげを剃り、髪をなでつけて眞白な白衣を着て来いよ。」となって、きめられた日時に解剖実習室にもぐり込んだ。献体は学生2 〜3人に一体ぐらいだったか。つつしんで勉強させてもらった。実習はほぼ一日続くので昼食をまたぐ。学生は簡 単に手を洗うと解剖台の隅に腰かけて弁当を食べ始めた。私は食事をする気になれなかった。女性の献体が少ないこと、地下の献体置場で働く人に肺の病気が多いことなどを聞いた。ホルマリンガスのせいらしい。

 学生実習のなかにフトミミズの解剖があった。毎日午後を使って一ヶ月以上も続けるから材料が不足する。仲間と一緒に植物園へミミズ取りに行く。先輩から、湿地の水芭蕉の間を深く掘れと教わったが、そうはみつからない。 ある日、干涸びた池の中でストームの歌をうたいながら足を踏み鳴らしていたら、あちこちにミミズがはい出して きたではないか。なかには穴から先端を2〜3cm出して思案中のものもいる。ミミズが地震に敏感だというのは本当だ。大発見である。これ以後割り箸だけを持って採集に行くことになった。ふつう解剖図は背面(正面)図か腹面図である。これについては面白い話がある。酒井恒博士(故人)が図鑑を執筆中に二、三のカニの標本を出版 社に渡して『急いでこの正面図をかかせてほしい。』と依頼した。お安いご用と、標本はイラストレーターへ。間もなく、カニと向かい合った正面図が送られてきてまいった。ところで、ミミズのような環形動物では、神経系の配置などは横からみないとよくわからない。そこで私は本邦初のフトミミズの側面解剖図を作って、卒業後ある実験書に載せた。すると、その数年後別のミミズの解剖手引きに私の解剖図を全部使っている人が現れた。

 私の専攻は動物の染色体。日夜研究室にいた。なかにはねずみ小屋に下宿している猛者もいた。みんなよくお茶を飲む。流しの隅に茶殻を捨てておくと、其処へユスリカが飛んでくる。ある日、水びたしの茶殻のなかでユスリ カが発生しているのに気がついた。お茶っ葉で棲管を作っているものもいる。「ハハア、茶殻を食べるんだ。」一同 感動して、早速累代飼育にとりかかり成功した。勿論幼虫を唾腺染色体の観察に活用した。1950年頃のことである。 こんな学生生活はもはや経験出来ないか。次の話は講義の中でヒントを得た。

 動物の精原細胞はシスト(ふくろ)の中で同期分裂をくり返す。分裂回数は種ごとに一定で、3回分裂すれば8箇、4回なら16箇の細胞がシストの中にできる。しかしシストはどの種もつねに2箇の細胞で構成されそれぞれ核 がみられる。これらの2つの核は、精原細胞が分裂を開始すると対極に移動し、分裂が終わると、もとに戻って隣接している。“シスト細胞は精原細胞に何か指図しているナ。”とかねがねつぶやいていたら、最近、その関係を分子のレベルで解明している人が出た。

Contributed by Haruo Kurokawa, Received September 2, 2002, Revised version received September 6, 2002.

©2002 筑波大学生物学類