つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 120.

期末試験

牧岡 俊樹 (元 筑波大学 生物科学系)

 生物学類の概論科目は生物学のいろいろな分野の基礎をやさしく解説する入門的な授業で、生物学類1年次の必修科目である。私は在職中、形態学概論の動物の部と動物分類学概論を担当した。教科書は使わず、手製の資料を配りながら授業を進めていたが、やがて期末試験が近くなると資料もかなり分厚くなり、こまかい字がたくさん書 いてあるのを見て、毎年何人かの学生諸君がおずおずと質問に来る。
「あのー、試験の範囲は・・・?」
「はい。やったところ全部です。」
「どんなところを覚えればいいのですか?」
「むりに覚えなくていいのです。よく理解していれば、必要なことは自然に覚えているものですよ。」
「授業中の話とプリントのどっちを覚えればいいのですか?」

 記憶力に自信があるのは結構なのだが、どうも生物は暗記物という先入観念があるらしい。それでも質問に来るのはよいことで、おかしな先入観を打破する機会が与えられるが、質問に来ないまま形態学や分類学の膨大な資料の文字列を暗記しようと悪戦苦闘したり、途方に暮れたり、やけになって寝てしまったりする人はたいへん気の毒である。私は自分が物覚えがよくないので、暗記力を試すような試験問題は極力避け、各自が理解した内容を自分の言葉で書くような問題を多く出していた(と思う)。たとえば形態学概論では次のような問題を出したことがある。 「牛肉、豚肉、鶏肉それぞれの特有の味は主としてそれらのタンパク質の相違による。離乳直後の子豚を3群に分け、 第1群には牛肉だけを、第2群には鶏肉だけを、第3群にはふつうの配合飼料を与えて育てると、第1群は牛肉の味の豚に、第2群は鶏肉の味の豚に、第3群は豚肉の味の豚にそれぞれなるであろうか。生物学的に考察し、理由を添えて答えよ。」

 これは形態そのものではなく、形態にともなう機能、つまり消化系における消化・吸収と細胞内でのタンパク質合成の理解を問うやさしい問題であるが、授業の中では特にこんな話はしていないので、一種の応用問題である。それでも、生物学類の多くの学生諸君は期待に沿った答案を書いた。さらに考えを進めて、「牛肉や鶏肉だけを与えたのでは栄養的に偏るので子豚の成長や健康に問題が出て、実験自体がうまくいかないのではないか?」という疑問 を呈した人もあって、これはさらにすぐれた答案である。そしてまた、答案の余白にいろいろ感想や意見が書いて あるのだが、それらの中に「授業よりも試験の方がおもしろい。」というのがあった。一瞬喜んでしまいそうになっ たが、考えてみれば日頃の授業は試験よりもつまらないということであろう。きびしい指摘として受け止めねばならなかった。

 生物学類以外の受講者は例年100人くらいはいたが、その中でも、生物資源学類の特に高学年の人に、生物学類生以上の立派な答案を書く人が何人かいたのが印象に残っている。一方、自然学類や工学系の学類あるいは人間学類や芸術専門学群の人には、概論科目ではあってもやはり避けて通れない形態学や分類学の概念や用語が、あるいは人間までも生物の1つの種として扱ってしまう私のあまりに生物学的な話が、今ひとつなじみにくかったかもしれない。

 論述式の試験では特に、学生諸君の答案のどこがなぜどのように評価されたかを説明し、納得してもらうことが、授業の総まとめとして必要であると思う。つまりチェック済みの解答用紙を返却し、よりよい解答例を示すべきだ と思うが、期末試験は学期の最後にあるのでそのための時間をとることができない。試験週間の1週前に独自に試験をすればよいのだが、1学期10回の(形態学概論は植物に2回をあてるので動物は8回しかない)授業が1回減るのはやはり苦しく、これはついに実施できなかった。その代わり、全問の解答例を用意し、解答用紙の提出と引 き替えに「おみやげ」として手渡すことにした。学生諸君の手許には問題用紙と解答例が残り、自分の答案を思い出しながらチェックすることができる。誤りを直し評語を加えた1人1人の解答用紙を返すほどの効果はないが、少なくとも自分の間違いをみつけて誤解を修正する効果はあったのではないかと思う。

 筑波での15年間は、教育についても研究についても試行錯誤のくりかえしで、自分の才能の不足を実感する日々であったが、しかし充実した楽しい時間でもあった。引退して、そのことをなつかしく思い返すゆとりが少しできてきたのかもしれない。

Contributed by Toshiki Makioka, Received October 19, 2002.


©2002 筑波大学生物学類