つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 124-125.

社会生活の心構え

浦山 毅 (共立出版(株))

 私も大学を卒業して22年が経ちました。出版社の編集畑一筋で生きてきましたが、業界の内外で多くの人とおつきあいがあり、若い人について感じることもあります。そこで、私の経験に照らして、大学院進学にせよ就職にせよ社会に旅立ってゆく学生に向けて、社会生活の心構えを述べたいと思います。

はじめに

 まず、学生の皆さんにお願いがあります。先輩の話は黙って最後まで聞くようにしてください。授業中や講演中によく隣人と雑談をしている人を見かけますが、そういう態度はやめてください。講師の話を聞くか聞かないかは本人の自由だとでも思っているのでしょうが(ならば聞きに来るな)、講師の方には失礼にあたりますし、真剣に話を聞きに来ている他の人々に多大な迷惑をかけていることに早く気づいてください。

どういう心構えが必要か

 社会に出るには、いくつかの関門があるように思います。まずは、常識です。常識とは、人として生きるうえでのルール、大学で学んだ専門知識、一般常識などを指します。ルールは一夜漬けで身につくものではありませんので、普段から気をつけておくしかありません。最初に述べた、人の話を黙って聞くこともルールのひとつです。礼儀作法や人への思いやりも大切です。自分がされていやなことは、他の人にしないことです。言い方も重要です。言っていることがたとえ正しくても、言い方がまずいと相手を怒らせるだけです。時間や約束にルーズなのも考えものです。このあたりがしっかりと身についていれば、社会に出るための第一関門は合格です。

 次の関門は、選抜試験に合格することです。過去の問題は徹底的に復習しましょう。大学院の場合は、専門知識 をしっかりと整理しておきましょう。官庁や大企業などではとくに一般常識が要求されますので、薄くてかまいませんから問題集を1冊読んでおきましょう。国家公務員の一次試験は人文・社会・自然科学関係の問題が同数程度出題されますが、こういうときは時間配分を考えないで、自然関係の問題から確実に解くようにしたほうが理系出身者には有利です。いくら考えてもわからない文系の問題は、山勘で仕方ないですがすべてのマークを塗りつぶし ておきましょう。一般の企業では、どこでもよい学生を採りたいので、多少いじわるな口頭試験を用意して学生を振り分けようとします。面接で質問されそうな内容――「なぜわが社を受けたか」(わが社は外からどう見られているか知りたいだけ)、「学生時代に専攻した内容を手短に説明せよ」(説明されても本当はわからないんだけど)、「環境問題をどう考えるか」(聞いてもあまり意味がないんだけど)など――を想定し、自分なりの模範回答を事前に用意しておきましょう。その他、有利と思われることは、常識の範囲内ですべて積極的に利用しましょう。

 ところで、社会に出るということは、仕事を選ぶということでもあります。仕事を選んで、今後の人生に必要な基盤(物質的、精神的、社会的)を築くことです。そこでいちばん重要と考えられることは、じつは選抜試験の難易度やかっこよさではなく、本当にその職業が好きか、その仕事に好奇心が持てるか、ということなのです。社会では辛いことにも遭遇します。そういうとき、仕事が好きであれば多少の困難はプラスに転化できますし、好奇心があれば次々と関心が沸いてきて何事も勉強なんだと思えるようになります。いわゆる60歳定年までは最長で37年もあるのですから、自分の将来をじっくりと考えてみてください。

 さて、いくつかの関門を無事通過して晴れて社会人になったとします。そこでもっとも苦労する問題のひとつは、やはり人間関係でしょう。組織といえども人の集まりですから、いい人もいればいやな人もいます。同調できる人や相談できる人(同僚でも先輩でも)をできるだけ早く見つけてください。いやな人に対して周囲の人たちがどう振る舞っているかを観察することも立派な社会勉強です。どんなに頑張っても、その組織内でうまく人間関係を築 くことができなければ、何ごとも持続・継続させることは不可能です(とくに研究者の世界では)。精神面の自己管理はすべての人間活動に影響を与えますから、よい人間関係を築けるよう最善の努力をしてください。

 自分に自信を持つことは、社会生活を続けるうえでとても重要なことです。受け身のストレスを別の手段で癒や しながら仕事を進めるよりも、自信を楯に仕事を進めるほうがいいに決まっています。ただ、過信はいけません。また、自信を深めるための努力を惜しんでもいけません。たしかに「能ある鷹は爪を隠す」のことわざ通り、自慢しないほうが奥ゆかしくて日本人気質には合っていますが、一方で現代は競争社会でもあります。黙っていては能力があることすら理解されません。ここぞと思ったときには、思いっきり能力をひけらかすことも必要になってくる でしょう(能力があればの話ですが)。ただし、切り札というのは「そのとき」まで隠しておくものです。結果を急 ぐあまり入社したてで偉そうなことをことを言っても、誰も耳を貸してくれません。「そのとき」が来るまで、能力はこっそり磨いておきましょう。  いずれにしても、世の中には性格も考え方も身分も異なった人がたくさんいますので、社会に出たら、まずその現実に驚かないでください。学生は、いい意味でも悪い意味でも「大学」という均質な環境の中で4年間も過ごすわけですから、ある程度は社会的な感覚が麻痺してしまっていることでしょう。できることなら、なるべく多くの人と接するようにしてください。

こんな人はいらない?!

 社会からはどんな人が望まれているのでしょうか。あまり他人の目は気にしないほうが精神衛生上はよいのです が、まったく気にしないのも考えものです。人生の軌道がずれていないかをときどきチェックするつもりで、人の忠告はなるべく聞くようにしてください(ただし、それに従うかどうかは別問題です)。ここでは逆説的に、どんな人が望まれないかを見ていきましょう。

 まず、「人の話を聞かない人」です。すでに述べたように、静かに聞けない人は論外です。ただし、社会に出たら聞きたくもない話を聞かされることがありますし、講師の中にはつまらないことを蕩々(とうとう)としゃべっている人もいますので、必要なことだけを聞き取る訓練をしてください。「口だけで手の動かない人」も望まれません。企業に批評家は要りません。進行してこそ仕事です。「協調性のない人」や「プライドが高すぎる人」は使いものになりません。チームワークが組めませんし、そういう人がリーダーになるのは到底無理です。

 「初対面の人と会うことを嫌う人」も使えません。たとえば、出版社の企画部は知らない人に会うことから新たな仕事が始まりますので、それをいやがっていては仕事になりません。「暗い人」や「つきあいの悪い人」も敬遠され ます。世間で体育会系というと、以前は筋肉ばかり鍛えて頭が二次的な人を指していましたが、最近は「明るさ」「協調性」「リーダーシップ」「会社への忠誠心」「人脈」などが期待されて積極的に採用されているようです。体育会系には、暗い人やつきあいの悪い人が少ないからでしょう。

 「自分の意見をはっきり言えない人」の中には引っ込み思案の人もおり、それはそれで人間関係を円滑に保つ役割を演じてはいますが、こと仕事に関しては、主張すべきはしっかりと主張すべきです(ときに妥協も必要ですが)。そのためには、基礎知識をよく勉強し、普段から自分の意見をまとめておくようにしましょう。

 「ルーズな人」や「努力しない人」もダメです。時間、お金、私生活においてルーズな人は、仕事はおろか自己管理さえできないわけですから、緻密な仕事には向きません。また、何事も勉強と思えない非努力型人間は、つねに不平不満だけをもらしています。「何事も続かない人」もダメです。いろいろなことに好奇心を持つことは大切ですが、どれも中途半端ですぐに飽きるようでは困ります。とにかく、何事も最後まで持続させる粘り強さは必要です。

 また最近感じた例として、「複数のことが同時に処理できない人」と「臨機応変に考えられない人」をあげておきましょう。たとえば、出版社の企画部は、企画立案から本の刊行まで長時間を要する仕事がほとんどです。しかも、処理しなければならないことがたくさんあります。一人の編集者が抱える仕事は、進捗状況の異なる複数の企画を同時に走らせ、時間配分を考えて、やれるところから次々に処理していくことです。また、考えていたことが一部キャンセルとなって部分的な変更を余儀なくされたときに、混乱することなく適切にいろんな処理をしていくこと が要求されます。こういったことをこなせる編集者でないと企画部はつとまりません。

おわりに

 ここで述べたことは、ある意味では理想論です。前項の「こんな人はいらない」といった人が現実の会社の中には少なからずいるものですし、年功序列の弊害でそういうダメ人間が会社から高い給料をもらっている場合さえあります。また、常識を欠いた社会人がいることも事実です。ですが、若いあなたがそれを指摘したところで、あなた自身の社会生活が豊かになるわけではありません。まずは関門を突破して社会に出ること、そして頼もしい人間関係を築くこと、楽しくやりがいのある仕事を続けること、必要なら仲間を見つけて徐々に会社を改革していくこ とです。

 最後に、私の仕事に対する姿勢を述べさせてください。出版社の企画部の仕事は、とにかくよい著者を見つけてよい本を出版することです。作った本が多く売れてほしいとは思いますが、儲けを第一命題に考えたことはありま せん。儲けはトータル的に経営者が考えればよいことだと思っているからです。よい本を出すためなら、会議や出張や根回しも苦になりません。これが、私が22年かけて得た(現時点での)結論です。

Contributed by Takeshi Urayama, Received October 25, 2002.

©2002 筑波大学生物学類