つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: xxx-xxx.

最新内外ポスドク事情


はじめに(自己紹介をかねて)

 私は総合研究大学院大学(総研大)の第1期生として、国立遺伝学研究所(所在地は静岡県三島市)の渡辺隆夫博士のもとで、1992年3月に学位を取得しました。卒業後、早や10年が経ちました。その間、国内外のいろいろな研究室を巡ることができましたので、今日はその体験をご紹介します。将来、大学や研究所で働きたいのだが実際問題としてきちんとした職を得るまでの生活振りはどんなふうなのか、とお思いの皆さんにとってご参考になれば幸いです。

ポスドクとは何か

 皆さんは「ポスドク(あるいはポストドク)」という言葉をご存じでしょうか?すでに研究室に所属している方は、身の回りに1人2人いらっしゃるかもしれません。しかし、一般にはあまり馴染みのない言葉で、今もワープロで漢字変換されて「ポス毒」となってしまいました。ポスドク(postdoc あるいは postdoctoral (fellow))とは、博士課程修了後の研究者(博士研究員)を意味します。パーマネントな(permanent、生涯の身分を保障された)職ではありませんが、テンポラルに(temporal、2年とか3年とかの任期付きで)給料を貰い、その間、研究に専念できるようにという制度です。いわば、教育研究者の見習い期間です。

一昔前ならともかく、現在では博士課程を修了したからといって、すぐさまパーマネントな職に就けるとは限りません。むしろ、なかなか就けないことの方が普通です。学位取得者数が年々増加しているにも拘らず、教育研究職のポストはそれほど増えていないからです。このように学位を持っていながら正規の職に就けない「浪人」のこ とを嘗てはオーバードクターといって、社会的にも問題になっていました。ですから、最近の有給ポスドク増加傾向は、ある意味、喜ばしいことと言っていいでしょう。将来、大学や研究所で働きたいという方にとっては、学位を如何にして取得するかだけでなく、ポスドクの期間をどうやって有意義に過ごすかということが、重要な課題となります。

ポスドク放浪記(実例)

 私の場合は、ポスドクを何回もやりました。最近では、このようなことも珍しくないようです。

 1995年4月 ブリティッシュカウンシルのサポートを得て、英国のケンブリッジ大学遺伝学教室に短期留学。 Michael Ashburner 博士のもとで、それまでやっていた研究を発展させました。ボス(boss、欧米における研究室 のトップの通称)は、ショウジョウバエ研究者でこの名前を知らなかったらモグリだと思われるほど有名な人で、そのものズバリ「Drosophila(ショウジョウバエ属を意味する学名)」という分厚い2冊の本を著しています。

 1995年11月 ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(略称HFSP、研究交流を促進するための国際的機関)の若手研究者長期派遣として、米国のシカゴ大学生態進化学教室へ。ケンブリッジで研究した材料を持って、その応用をすべく、Chung-I Wu博士のもとへ留学しました。シカゴ大学はショウジョウバエを用いた進化遺伝学研究のメッカですので、本当に沢山のことを学ぶ機会に恵まれました。

 1997年11月 シカゴ大学有機体解剖学教室へ。Timothy L. Karr博士がNIHのグラント(grant、研究奨励費:NIH国立衛生研究所はNSF全米科学財団と並んで生物学に関する米国で最大規模のパトロン)で、私を雇ってくれま した。彼とはその前からシカゴで共同研究を始めていました。

 1998年4月 日本学術振興会特別研究員(PD)(略称は学振、PDはポスドクの意)として帰国。京都工芸繊維大学染色体工学研究室の山本雅敏博士のもとで、研究を続けることができました。2001年3月に学振の期限は切れてしまいましたが、同大学に設立されたショウジョウバエ遺伝資源センターの技能補佐員(非常勤)として、食い繋ぎました。経済的には大変でしたが、研究の面ではとても恵まれた環境でした。

ポスドク裏話(恥を忍んで)

 思い返せば、「さきがけ」、「海外学振」など、これまで本当に沢山アプライしました(apply、出願応募すること)。 そのほとんどは、失敗に終わりましたが。「(国内の)学振」などは、機会あるごとに応募し、年齢制限(開始年度 の4月1日現在で34歳未満)のギリギリでようやくアクセプトとなりました(accept、応募が受け入れられること、反対はリジェクト(reject、不合格となること))。これまで曲がりなりにも給料を貰いながら研究できたということは、本当にラッキーだったと思います。

 1994年(当時、私は早稲田大学教育学部の平俊文博士のもとで、期限付き助手をやっていました)は、ポスドクの応募に追われる忙しい年でした。その前年位から、機会あるごとに国際学会に出掛けては、一流の研究者に自分の研究成果をアピールしました。その際、必ずリプリント(reprint、雑誌に掲載された自分の論文の別刷り)を持参しました。幸いにもケンブリッジとシカゴからは、ポジティブな返事(positive、条件付きにでもイエスということ、反対はネガティブ(negative))をいただきましたが、お2人とも沢山のポスドクを抱えており、これ以上ポスドクを雇うのは難しいということでした。そのため、自分でグラントを獲得せざるを得ませんでした(もちろん、応募書類の作成は将来のボスとの共同作業であり、大変お世話になりました)。

 年内にはブリティッシュカウンシルの短期留学がアクセプトとなりましたが、本当は長期留学(1,2年)の方にアプライしていました。短期留学(普通は数週間ですが、特例として1年間)はほぼ海外渡航費だけの支給であり、生活費はそれまでの貯金で賄わざるを得ませんでした。4月からの渡英を前に、私は自棄糞(やけくそ)でマダガスカルへ約3週間の採集旅行にでかけました。帰国してみると、HFSPからのFAXが届いており、「3月末日にアクセプトの手紙を送ったが、なぜ返事がないのか」とありました(ポスドクは4月1日開始!)。そこで、急遽考えた苦肉の策が、10月末日までケンブリッジに留学し、その後シカゴに移るということだったのです(開始は10月まで待って貰うことができました)。そのため、ブリティッシュカウンシルからの支給は半額を返納することになりま した。

 次に1997年の裏話をしましょう。10月の期限切れを前に、ボスから「その後どうするのか」と尋ねられました。 私は年齢を考えて(「学振」最後のチャンスでもありましたので)、日本に戻りたい旨の希望を告げ、ただしこれまで何度もリジェクトされているので、今回も不安であることを話しました。ボスは、それだったらバックアップ (backup、備え)として、「シカゴに居られるチャンスを残しておかないか」と提案してくださいました。ただ、ボ スのグラントが枯渇しているので、知り合いのサポートを頼んでみようということになりました。幸い、その前からシカゴで共同研究をしていた方が、「それだったらNIHのグラントでポスドクとして雇ってあげましょう。それに、4月からの日本でのポスドクが決まったら、その時点で研究室を出てもいいですよ」と親切にも言ってくださり、結局それに甘える形となりました。シカゴではポスドクの身分保障ということもあってか(そうでないと、ビザの問題も生じます;アメリカでのポスドクにはJ1ビザが必要)、皆が互いにグラントで持ちつ持たれつ助け合っているようです。

ポスドク志願者へのメッセージ

 このように裏話ばかり書いていると、何だか「腹黒い人間」に思われてしまいそうですが、ポスドクを続けるにはある程度、図太さが必要だということです。皆が生き残りに必死なので、仕方がないという側面もあるかもしれ ません。それから、応募書類の作成などは、研究の合間に準備するなどとても無理なくらい大変だと思いますが、とにかく沢山アプライすることです。例えば、HFSPは「ヒト、脳、分子」などがテーマなので、私のような「進化」では土台無理だろう、と考えがちですが、何かの拍子に拾ってもらえるということもあり得るのです。そして、少しでもグラントの趣旨との結び付きを捻出して(落語の3題話ではないですが)、作文することをお勧めします(ですから、複数の応募先に同じ文面でアプライ、などというのは持っての外です)。また、応募書類で真っ先にチェック されるのは、論文リストだということもよく聞きます。とにかく、常にいい研究をしていることが、ポスドク採択への近道でしょう。

 最近ではメーリングリストなどを通して、ポスドク募集の情報が毎日のように入ってきます。しかし、その大半はすでに研究テーマの詳細が決まっていて、実際には研究室の歯車になってしまうということもあります。どうしても経済的理由でそうせざるを得ない、というのならともかく、自ら進んでそのようなポスドクにアプライしようと考えている方には、一言ご忠告申し上げておきたいと思います。研究者たる者、テーマは与えられるものではなく、自ら見付け出すものです。ただ、自分の研究の延長上にあるようなテーマだったり、自分が持っていた興味と 一致するようなテーマだったら、是非アプライしてください。その場合でも、ボスの持っているグラントで雇われるよりも、自分で得たグラントを持って研究に加わった方が、はるかに自主性を持って(気持ちの上で)研究することができるでしょう。

 もう1つよく尋ねられることは、ポスドクでは海外に行くべきか、国内の研究室を探すべきか、という点です。一昔前なら「是非、海外に行って修行してきなさい」とういうところでしょうが、昨今では国内であろうが海外であろうが、さほど違いはないと思います。研究室の様子は万国共通ですし、情報は図書館やインターネットを通してどこにいても入手可能です。英語圏に留学すれば語学が上達する、と言う人もいますが、必ずしもそうとは限りません。こちらが下手な英語を使っていると、研究室の人が何とかその英語を理解する方法(以心伝心)をマスター してしまって、ますます手抜きの英語を話す悪知恵が付いてしまうだけです。海外留学の利点は「人的つながり」に尽きると思います。将来のコラボレーター(collaborator、共同研究者)やコンペティター(competitor、研究上の競合相手)と直に接したい、ということであれば、その分野のメッカともいえる大学や研究所に留学することをお勧めします。そして何よりも、同じ研究分野のいろんな国の友人(同志)とめぐり合う機会が得られます(欧米には世界中からポスドクが集まっています)。もし性格的に海外の生活は合わない、ということでもなければ、一生に1回くらいはいい経験かもしれません。

Contributed by Kyoichi Sawamura, Received December 13, 2002, Revised version received December 20, 2002.

©2002 筑波大学生物学類