つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 10-11.

特集:生物多様性

生物が好きか? ―菌類多様性研究私見―

出川 洋介 (神奈川県立生命の星・地球博物館)

 生物学類の皆さんは、生物が好きか?。あるいは、今でこそ、自分より下等な生き物を相手にしているが、本心では人類の叡智に貢献しようという高貴な志をお持ちか。

 現在の生物観は大きく変貌し、動植物の二分法では納まりきらぬという事態となって久しい。受身で聞いていては、気づかないかもしれないが、動植物の系統分類学の授業で、維管束植物、脊椎動物に最後のわずかな時間しか割かれないという、筑波大でのともすれば異色な状況は、日々進展する生物全体を睨んだ多様性研究最前線の傍らで教育を受けている所以なのである。かつて下等な植物とみなされてきた菌類は五界説では分解者として独立生物 としての扱いをされるようになったが、近年では、今度は動物の姉妹群という位置に納まっている。2002年現在、世界より知られる菌類は約7万種、日本からはわずかにその二割が確認されるばかりで、世界の推定総種数は150万種にも達すと言われるが、その未知の世界は気付かぬだけで私たちのすぐ身近なところに無数に存在している。それらを探し出して研究するための眼力や感性・技術・哲学を教育してくれる大学はそうあるものではない。

 黎明期の日本の大学で、学問分野の配分の際に、高等動植物の分類は東京・京都帝大が、下等動植物については東京・広島文理科大が担当して研究を進めるようになったというような話を酒の席で聞いたことがある。「明治後半-大正-昭和の時期は、数は多くなかったが優れた隠花植物学者が出た。、、、菌類を研究し、後に東京大学農学部の教授となった草野俊助博士は、菌類研究者の指導にも尽力し、、同博士が併任した東京文理科大学で菌学を専攻するものが少なからず出た[1]」。草野博士を継いだ印東玄弘博士(後の東京教育大理学部長)の研究室は、理学部としては稀有な菌類分類学の拠点となり多くの菌類学者を輩出した。この流れは現在の筑波大菅平高原実験センター菌類学研究室の徳増征二博士に続いている。センターに行った際には、草野博士お手植えと称するモミの木と、講義室の歴代センター長の肖像写真を眺めてみると良い。

 ここでは、あまり知られることのない、微小生物寄生菌類の多様性研究史について振り返ってみたい。顕微鏡下の線虫、ワムシ、節足動物などの微小動物やアメーバ等の原生生物を捕まえる食虫植物のような菌類の存在は古くよりわずかに知られてきたが、この菌群を初めて日本で認識したのは前述の印東博士で、自宅のネコの糞から発見 したとかいう話である。1940年代後半より、この不思議な菌群の研究はアメリカの C. Drechsler という菌学者の独壇場にあり、予想をはるかに越える多様な菌が立て続けに世に送り出された。印東研究室の三浦宏一郎氏は、一年間、図書室に篭り、菌類分類学関係の雑誌を片端から読破した上で、これぞ!と、微小生物寄生菌類の分類を研究課題に選び、学位をまとめられたと伝え聞く。この流れを継いだ現・東京学芸大学の犀川政稔博士は透過型電子顕微鏡を導入して、その寄生様式の詳細や、微細構造に基づく系統的考察を精力的に進められている。前人未踏の領域を行く氏の研究の躍動感は、その研究余話からも伝わってくる[2]。

 印東博士を継いで筑波大の菌類学講座に就かれた椿啓介博士は、従来、“ゴミ箱菌類”として永らくないがしろにされながら、産業上重要な役割を果たすこととなった不完全菌類(無性時代のみが知られる菌)に、世界に先駆けて光を当てられた菌学者である。土壌や糞などに普遍的に生息している多くの線虫捕食菌の多くはこの不完全菌類に属し、永らくその正体が謎とされてきた。「研究室にとじこもるだけでなく、自然をさまざまな視野から絶えず眺める姿勢[3]」を強調される氏は、既に予測されていたかもしれないが、この別の顔(有性時代)は、あろうことか私たちに馴染みの深い八百屋のヒラタケの仲間や、腐朽木にごく普通なチャワンタケなどキノコの仲間だということが、ごく最近にかけて、先述の犀川研究室ほか世界各地で相次いで発見された。ベジタリアンと思われていたキノコもたまには肉が食いたくなるのだろう。

 海生菌類の研究で椿研究室最初の学位を取得された中桐昭博士(現・NBRC)は、最近、ある一つの不完全菌類の種が、環境によって土壌菌、水生菌、昆虫寄生菌として3種類の全く異なる胞子を形成し、更に線虫を与えると見事にそれを捕らえるという面白い事例を発見された。このような例は多才さを駆使して生きる菌類では決して珍しいものではなく、菌類の多様性研究では、その生き様を一つ一つ明らかにしていくことが肝要と述べられている[4]。事実、昨年開催された第七回国際菌学会では

、よく知られる“冬虫夏草”の仲間にも線虫を捕食するものがあることが報告され、ある単系統の線虫捕食菌類においては、首締め型や、蜘蛛の巣型など、いかに菌が線虫を捕まえるかという捕食のスタイルが属レベルの重要な形質であることが明らかになり話題となった。他方で、線虫を瞬時に殺す生理的なメカニズムについても、毒素ネマトトキシンが同定され、農学分野では松枯れなど線虫病の生物防除が考えられるなど、応用研究も進められている。

 私は、現博物館に奉職した直後、培養機器が整わず、培養の困難な菌類を自然界に近い状態で観察することに努めてきたが、そこで奇妙な菌類に出くわした。所属分類群が全く不明なことから、Aenigmatomyces(ギリシア語で “謎の菌類”)と名づけられ、将来、謎が解明されることを待つというコメントを添えて、いささか無責任に?原記載がなされて以降、全く顧みられてこなかった菌である。観察を続けた結果、この菌は微小動物の精子を消化吸収 して生きているという新事実に行き着いて呆れたものだが、あらゆる生物を狙っては分化を続けてきた菌類のしたたかさに感動を覚えた[5]。この菌はアメーバ寄生性の接合菌類に類縁なものと考察されたが、いまや、胞子一粒からでも遺伝子を増幅し、微細構造を観察してその素性を明らかにすることは可能だ。Duke大学Fungal Tree of Life projectとの共同研究で、近々、この不思議な菌の系統解析に取り組む予定である。

 今日、菌類の高次分類は、形態・生態の理解と分子系統解析との相補的な研究により急速に変貌しており、まさに動乱期にある。身近な例をあげれば、菌類分類学の中では最も歴史の古いキノコの体系である。1989年、菌類分子系統学の研究としては先陣を切って、ショウロ(松露)という地下生の団子のようなキノコが、従来別綱に置かれていたイグチという全く外形の異なるキノコに近いということが明らかにされた。その後類似報告が続き、現在では、ショウロのみならず、胞子の受動的分散によりまとめられていた腹菌綱というグループは、収斂的な多系統群であることが塩基配列から実証されている。かつて、鋭い観察眼を持ち、丹念な形態観察から先んじてこれを予測していた菌学者も居り、一昨年発表された最新の菌類分類体系ではこの流れを反映して大幅な改訂がされた。しかし、その中で、スッポンタケ目という分類群は分子系統解析のみにより単系統群とされ、他の形質によって全く説明付けられていない。スッポンタケ(写真1)、ヒメツチグリと(写真2)、ラッパタケやホウキタケ(写真3)などのキノコとが一つにまとめられていることには驚いた。変革途上の暫定措置としてやむを得ぬことかもしれないが、系統に合う新たな形態・生態的形質の発見と解釈をせねば、納まりがつくまい。昨年の国際学会では、従来あまり着目されることのなかった“菌糸”に、そのヒントがあるのではという指摘があった。やはり菌類多様性の本質は、その生き様に立ち返って問われるべきものなのだろう。どなたかこのパズルに挑戦してみてはいかがか。

1 スッポンタケ属(キヌガサタケPhallus indusiatus 高桑正敏氏撮影) 2 ヒメツチグリ属 (Geastrum sp.) 3 ホウキタケ属 (Ramaria sp.)

 時折、これから死ぬまでの間に、現存する菌類のどれほどに出会えるのかと考える。生物多様性研究に関わるも のは、突き詰めるほどに自分の小ささを感じ、決して自然に対する畏怖の念を失うことはないだろう。言うまでもなく科学は文学ではないが、対象生物に感情移入するほどに没頭することなくして、生き物の核心に迫ることができるだろうか。心底、研究対象を好きになり、好奇心に突き動かされるときにこそ、底力が発揮されるのではないか。せめて在学中だけでも、人間の異性ばかりでなく、研究対象生物にもとことん惚れ込んでみてはどうか。

参考文献
  1. 千原光雄:日本の隠花植物研究、遺伝45(1): 22-27, 1991
  2. 犀川政稔: にせゾウファグスのはなし、日本菌学会報35: 27-28, 1994
  3. 椿啓介: 生きている姿を見ること、遺伝47(11): 2-3, 1993
  4. 中桐昭:シンポジウム「菌類−動物−植物、相互関係に見られる菌類の多様な生き様」開催にあたり、 日本菌学会報 40(1): 23-24, 1999
  5. 出川洋介:謎の菌類の「謎」を解明、自然科学のとびら 8(4): 2-3, 2001
    URL:http://nh.kanagawa-museum.jp/tobira/8-4/8-4.html#SEC2
Communicated by Isao Inouye, Received January 9 2003, Accepted January 14 2003


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