つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 98     (C) 2003 筑波大学生物学類

ろう者に関する倫理的問題

小野寺 麻理子(筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:Darryl Macer(筑波大学 生物科学系)


<導入>聴覚障害の原因はさまざまであるが、遺伝的な原因も少なくないことが知られてきている。技術の発達・研究の進歩により、聴覚障害に関する遺伝子のうちの一部、PDS遺伝子などについては、胎児に対する出生前診断が、技術的に可能になってきている。遺伝性聴覚障害の約10%が、PDS遺伝子の変異を原因とした、ベンドレッド症候群とされているが、聴覚障害に関する遺伝子は、PDS遺伝子のほかにも100以上あるとされており、PDS遺伝子に関する診断結果が陰性であっても、他の遺伝子が原因となり、聴覚障害を持って生まれてくる可能性はある。だが、近い将来、今より多くの聴覚障害を引き起こす遺伝子の仕組みが明らかになり、聴覚障害に関する出生前診断の精度は、上昇すると予想される。さて、聴覚障害は、死に至る病ではない。また、生活において特に、肉体的な苦痛も伴わない。耳が聞こえないという以外は、その身体機能はほとんど普通の人々と同じである。しかし現在の社会は、大多数を占める、耳の聞こえる人々を中心に出来ており、実際にその中で聴覚障害を持つろう者が生きていくには、耳の聞こえる人よりも、社会的な少数者として、経済的、精神的な負担・障壁が大きい。このような聴覚障害の遺伝に関する、出生前遺伝子診断の利用について、日本人はどのように考えているのだろうか?

また、聴覚障害を持つろう者に関する最近の倫理的な問題をテーマにしたいくつかの論文、文献を読むことで、“ろう教育の歴史、口話主義、いろいろな手話、トータルコミュニケーション、ろう文化、二言語文化、蝸牛移植”などの、いくつかの私にとって聞き慣れない、おそらく多くの耳の聞こえる人にとっても、聞き慣れないと思われる言葉が、ろう者に関する倫理的・社会的問題のキーワードであり、ろう者をめぐる、倫理的社会的問題の現状を理解するためには、これらの言葉の意味を正しく認識する必要があることが分かった。しかし、ろう者に関するこれらの言葉は、一般の学校教育の場では教えられることはない。耳の聞こえる人が、この言葉に接する機会はなかなか無い。聴覚障害は1000人に一人の割合で発生するといわれているが、実際にどのくらいの割合の人が、聴覚障害を持つ人々と接する機会を持つのか、接する機会のある人無い人共に、聴覚障害を持つ人々に対して、どのような認識を持っているのか? 

<方法>“生命倫理に関する国際調査”として、全国対象に無作為に行われた、アンケート調査に協力し、その中の、聴覚障害に関する設問に対する解答を集計し、考察を行った。(最終的に293人から解答を得ることが出来た)

<結果>「共に聴覚障害を持つ両親が、自分たちの子供も聴覚障害を持つかどうか調べるために、遺伝子診断を利用したいといったら、医師は彼らに協力するべきだと思いますか?」の問への解答は、「はい」175(75%)、「わからない」40(17%)、「いいえ」10(4%)、「無解答」7(3%)で、はいと答えた人が全体の4分の3以上を占めた。その主な理由として、「本人たちの問題」、「親の知る権利」、「医師の教える義務」、「障害を持つかどうか知りたい気持ちに共感」などがあげられる。いいえの主な理由は「中絶はするべきでない」という意見。

  「身近に聴覚障害を持つ人々がいますか?」という問に対して、「はい」28(11%)、「いいえ」92(39%)、「無解答」121(50%)で、身近に聴覚障害を持つ人々がいる人は、全体の10%程度であった。

<考察> 出生前診断を受ける目的は、1好ましくない結果が出た場合に、生まれてくる前に中絶することを可能にする 2生まれてくる子供のために、心構えや準備ができるのでの大きく分けて2つがあると思う。今回の設問では、両親がそのどちらの目的で、遺伝子診断を望んでいるか明確にしなかったため、知ること自体の是非がやや強調された設問となった。そのため、賛成の理由として「親には知る権利がある」、「医師には伝える義務がある」といった、知る・教える権利義務についてのものが目立った。同じ調査の中の、「妊婦は、胎児に先天性異常がある場合4ヶ月未満であれば妊娠中絶できる」の問の解答「強く賛成・賛成」があわせて48%、「どちらでもない」が36%、「反対、強く反対」があわせて14%のなかで、「反対、強く反対」を選んだ14%、それから「女性には中絶する権利があると思いますか?」の問の解答「はい」が56%、「わからない」が35%、「いいえ」が7%の中で、「いいえ」を選んだ7%の中絶反対派の人たちの何人かが、知るだけならば賛成という意見にまわったため、75%という高い賛成率と、4%という低い反対率になったと思われるが、「知るだけなら良いが、中絶となると・・・」と暗に、中絶を非難するコメントも賛成者の中に4,5件見られるため、目的が望まない胎児の中絶であることを、明確にした場合、少し、「はい」と答える人の率は減り、「いいえ」と答える人の率は増えるだろう。だが、それを考慮しても、つまり、出生前診断の結果、中絶という選択肢を両親が選ぶ可能性を考えても、妊婦の4ヶ月未満胎児の妊娠中絶賛成の48.4%と、女性の妊娠中絶の権利があるか否かで、あると答えた人の率が56.6%であることから、「はい」と答える人は、過半数をおそらく超えるものと思われる。理由として一番目立ったのが、「両親が望むなら」という、本人たちの問題として、彼らの判断にゆだねる意見である。変化の激しい現代社会の中では、価値、基準というものがあいまいになるため、そのときそのときで、個々人が自分たちの責任で判断せざるを得ないという状況が生まれる。「本人たちの判断にゆだねる」という意見の多さから、日本社会も世界と同じく、変化の激しい時代であることを、再実感させられる。…遺伝子診断の種類は、これから増えてくるだろう。子供を生むというときには、これらの検査に関するアドバイスを必要とする。聴覚障害に限らず、各方面の、病理的側面さらに、文化的側面に精通した、専門遺伝子カウンセラーのアドバイスを誰もが受けられるような体制が必要だと思う。また、障害に対する、歴史や、現在の問題点に関して、私たちはほとんど知らない。障害者含め、誰もが参画できる社会を実現するためには、それらに関する教育を、義務教育の中に組み込み、正しい知識を子供たちに身につけさせるべきではないだろうか。