つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 90     (C) 2003 筑波大学生物学類

骨髄組織幹細胞の可塑性の検討

井上 信一 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:林  純一 (筑波大学 生物科学系)


【背景・目的】

 幹細胞は、異なる機能を持った細胞に分化する能力(多分化能)と自分自身を複製する能力(自己複製能)を持つ細胞であると定義されている。幹細胞は、すべての組織細胞に分化できる能力を持つ胚性幹細胞と特定の組織細胞にのみ分化できる能力を持つ組織幹細胞に分類される。組織幹細胞は、古くからその存在が知られている造血系、皮膚、腸管に加えて、中枢神経系、肝臓、骨格筋などその他多くの臓器・組織にも存在することが最近明らかになってきている。これら組織幹細胞は、生理的なターンオーバーや損傷によって失われた細胞を補充することにより各組織の恒常性を保っており、それぞれの組織幹細胞はその組織を構成する細胞への分化能のみを持つと考えられてきた。しかし最近、骨髄細胞から神経細胞や肝細胞に分化した、神経幹細胞から血球細胞に分化したなど、各組織幹細胞には組織の枠を越えた分化能、すなわち可塑性が備わっていることを示唆する報告が相次いでいる。しかしながらこれまでの報告のほとんどは1の細胞レベルつまりクローナルには示されておらず、可塑性が完全には証明されていない。そこで本研究では、造血幹細胞の可塑性を検討するため、マウス骨髄より単離した1個の造血幹細胞を致死量放射線照射したマウスに移植し、造血の再構築後、脳、肝臓、骨格筋などの各種臓器に移植した造血幹細胞由来の細胞が存在するかどうかを調べた。

 

【方法】

GFPトランスジェニックマウス(C57BL/6-Ly5.2)の骨髄よりFACSを用いて造血幹細胞を単離し、致死量放射線照射した野生型マウス(C57BL/6-Ly5.1)に造血幹細胞を1個移植した。コントロールとして2 x 106個の全骨髄細胞を移植したマウスも作製した。ドナー細胞による造血の再構築は、移植後3ヶ月以上経過したマウスの末梢血を採取し、蛍光標識された抗CD45.1, CD45.2, B220, CD4, CD8, Gr-1, Mac-1抗体を用いたFACS解析により確認した。GFP+ドナー由来血球細胞のキメリズムが8割以上のマウスについて、各組織の凍結切片を作製した。凍結切片は、各組織の組織特異的な蛍光抗体を用いて免疫染色を行い、GFP+ドナー由来の分化した細胞があるかどうかを蛍光顕微鏡および共焦点レーザー顕微鏡で観察した。また移植後に、肝臓、筋肉などにダメージを与え再生を促すことも試みた。

 

【結果・考察】

1個の造血幹細胞を移植したマウスの各組織切片を数多く観察した結果、解析したすべての組織の切片において、移植した造血幹細胞由来の細胞(GFP+)で非血球系細胞に分化したものは見られなかった。肝臓や筋肉にダメージを与え再生を促したものも同様の結果であった。唯一、心臓の切片の1枚でGFP+の血管内皮細胞が1箇所だけ見られたが、これはGFP+血球細胞が血管内皮細胞と融合した結果である可能性も否定できない。また、リンパ腫が自然発生したマウスを解析したところ、腫瘍細胞すべてがGFP+でドナー由来であったが、リンパ腫内に新生した血管の内皮細胞はすべてGFPであった。2 x 106個の全骨髄細胞を移植したマウスにおいても血球系細胞以外に分化したものは見られなかった。これらの結果から、造血幹細胞には可塑性はないか、あるとしても血球系以外の細胞への分化の頻度は非常に低いと考えられる。骨髄には造血幹細胞だけでなく、筋芽細胞・骨芽細胞・軟骨細胞・脂肪細胞・線維芽細胞への分化能をもつ間葉系幹細胞の存在も知られているが、その分化能の多くはin vitroでの実験結果によるものである。また最近、骨髄から胚性幹細胞のようにすべての組織細胞に分化できる能力を持った細胞を単離しin vitroで増殖させることができたという報告がされた。今後は、造血幹細胞の可塑性を核移植や脱メチル化剤などを用いた再プログラム化の点からも研究を行うと同時に、骨髄に存在するとされる上記のような他の幹細胞との関係も明らかにしていきたい。