つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 116     (C) 2003 筑波大学生物学類

ウミホタルの心臓に対するアセチルコリンとグルタミン酸の効果

近藤 円香 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 山岸  宏 (筑波大学 生物科学系)


【目的】甲殻類の心臓は主として十脚類を用いた研究から,心臓神経節がペースメーカーとなる神経原性であるとして一般化されてきた。しかし最近の系統的研究から甲殻類の心臓ペースメーカー機構には,心筋がペースメーカーとなる筋原性から心臓神経節のみがペースメーカーとなる神経原性まで,幅広い多様性のあることが明らかとなってきた。ウミホタルは甲殻類の中でも鰓脚類に続いて比較的早い段階で分かれたとされている貝虫亜綱に属する。ウミホタルの心臓は単一ニューロンからなる心臓神経節がペースメーカーとなる,最もシンプルな神経原性心臓であることが報告された。しかしながら心臓神経節細胞の心筋に対する伝達物質は明らかにされていない。そこで他の甲殻類で心臓神経節細胞の伝達物質の有力な候補とされているアセチルコリンとグルタミン酸の,ウミホタルの心臓に対する効果を電気生理学的手法を用いて調べた。

【材料・方法】実験材料として,節足動物門甲殻綱貝虫亜綱ウミホタル目のウミホタル(Vargula hilgendorfii)を用いた。千葉県館山市の海岸で,日没後にトラップで採集したウミホタルを実験室内の水槽で飼育し、体長が約3mmの成体を雌雄の別なく使用した。ウミホタルを実験チェンバー中に固定して実体顕微鏡下で解剖を行い,心臓が殻に結合組織で付着した状態の半摘出標本を作成した。この標本の心筋にガラス微小電極を刺入し、心筋細胞の細胞内電位を導出した。導出した信号は前置増幅器を介してオシロスコープに表示し,同時にペンレコーダーおよびデーターレコーダーに記録した。実験チャンバー内は常に生理的塩類溶液を灌流し、適宜、薬物を含んだ生理的塩類溶液に交換してその効果を調べた。試薬にはグルタミン酸、アセチルコリン、TTX(テトロドトキシン)を用いた。

【結果】心筋は自発性のスパイク電位とプラトー電位からなる活動電位を発生したが,その頻度は安定していなかった。活動電位の間の最大膜電位は-57.8±6.5mV(n=31)であった。ナトリウムチャネル阻害剤で,神経細胞のスパイク発生を抑えるTTXを投与すると心筋の活動電位は消失したが、筋は脱分極してしばしば振動性電位が生じた。アセチルコリンの投与によって,濃度10-5Mから濃度依存的に活動電位の頻度は増大したが、最大膜電位は変化しなかった。TTXで活動電位の発生を抑えた場合で,アセチルコリンの投与によって活動電位が発生する場合もあった。一方、グルタミン酸を投与した場合は、濃度10-6Mからある範囲までは濃度依存的に活動電位の頻度は増大したが,高濃度では減少したのに対し,最大膜電位は濃度依存的に減少した。TTX存在下で活動電位の発生が抑えられた状態では,心筋膜の濃度依存的な脱分極が生じた。

【考察】アセチルコリンとグルタミン酸の心筋活動に対する効果の違いから,アセチルコリンが心臓神経節細胞に作用してその活動電位の頻度を増大させる効果を示すのに対し、グルタミン酸は心臓神経節細胞に作用すると同時に心筋にも作用してその膜を脱分極させると考えられる。このグルタミン酸の心筋膜に対する直接的な脱分極作用は,グルタミン酸がウミホタルの心臓神経節ニューロンの心筋に対する神経伝達物質として,有力な候補となりうることを示唆している。