つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 92     (C) 2003 筑波大学生物学類

遺伝子導入免疫細胞を用いた悪性腫瘍拒絶モデルの確立―新規の樹状細胞癌ワクチンの開発―

鍋倉  宰 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:小野寺 雅史 (筑波大学 臨床医学系)  中内 啓光 (東京大学 医科学研究所)


 樹状細胞は生体防御を担う免疫系における最も強力な抗原提示細胞である。従って、免疫系が関与する疾患の治療において、この樹状細胞に分子生物学的な操作を施し、その機能・能力を最大限に利用する“樹状細胞療法”に大きな期待が寄せられている。癌に対する治療もその例外ではない。現行の癌の治療法は外科療法(手術)・化学療法(抗癌剤)・放射線療法の3つに大別される。が、それぞれ「転移癌には対応出来ない」「副作用が大きい」「患者への負担が大きい」等の問題がある。しかし、樹状細胞療法を始めとした癌の免疫細胞療法ではこれらの問題を克服する事が可能である。

 癌細胞は癌細胞特有の抗原である“腫瘍関連抗原”を過剰発現するという特徴を持つ。よって腫瘍関連抗原のエピトープ(抗原決定基。MHCに結合し提示される)ペプチドを樹状細胞に添加し、癌のワクチンとして用いる“ペプチド添加樹状細胞ワクチン”が開発され、癌に対する新規の免疫細胞療法として注目を浴びた。しかし、現在までに臨床研究で目覚しい効果を上げたとの報告はない。これは“ペプチド添加樹状細胞ワクチン”が持つ、以下の様な幾つかの決定的な欠点に起因する。

1.     腫瘍関連抗原のエピトープペプチドを同定して人工的に合成する必要があり、1個のエピトープペプチドを決定するだけでも大変な労力を要する。

2.     添加する合成エピトープペプチドとMHCのアフィニティーが高いとは限らない。即ち、有効な抗腫瘍免疫応答を惹起できるとは限らない。 

3.     HLA(ヒト白血球抗原。ヒト細胞のMHC)のハプロタイプは極めて多様である故、合成ペプチドが多くの癌患者のHLAに結合する可能性は低く、ワクチンとしての汎用性が低い。 

4.     MHCクラスUの腫瘍関連抗原エピトープペプチドの研究は発展途上であり、MHCクラスTエピトープだけでは癌特異的CD4陽性T細胞が活性化されない為、現状では長期の抗腫瘍免疫反応の維持は不可能である。

この欠陥を補うべく考案されたのが、遺伝子工学的手法を用いて腫瘍関連抗原の完全長cDNAを樹状細胞に遺伝子導入した“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”である。この“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”の最大の特長は、「樹状細胞自身が腫瘍関連抗原エピトープペプチドを合成して抗原提示する」という点にある。その結果、“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”では“ペプチド添加樹状細胞ワクチン”に比して以下の利点がある。

1.     腫瘍関連抗原のエピトープペプチドを人工的に同定・合成する必要がない。

2.     樹状細胞中でエピトープペプチドとMHCが結合する為、細胞表面に提示されるMHC/ペプチド複合体のアフィニティーは高い。

3.     腫瘍関連抗原はcDNAとして遺伝子導入される為、樹状細胞中でMHCに結合するエピトープペプチドが自動的に選択される。従って患者毎のHLAのハプロタイプを考慮する必要がなく、ワクチンとしての汎用性は高い。

4.     樹状細胞が自ら腫瘍関連抗原を加工(processing)する為、MHCクラスT・クラスUに結合するエピトープペプチドが多種類作成され、提示される可能性が高い。即ち、多価(複数クローン)の腫瘍特異的CD4陽性T細胞・CD8陽性T細胞が活性化される結果、強力な抗腫瘍免疫応答が惹起され、長期的に維持される事が期待される。

従って“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”は効果的な抗腫瘍免疫応答を維持でき、かつ汎用性の高いワクチンであると言える。しかしながら、これだけの利点をもつ“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”にも、「腫瘍関連抗原を過剰発現する樹状細胞を作製出来ない」「多量の遺伝子導入樹状細胞の調整は困難である」という技術的な障壁が存在する。

現在、私は腫瘍関連抗原遺伝子をレトロウイルスベクターで導入した樹状細胞を用いて癌を拒絶するモデル系を確立すべく、研究に取り組んでいる。腫瘍関連抗原のモデルとして卵白アルブミン(OVA)、癌のモデルとしてC57BL/6マウスの胸腺腫細胞系EL4・EG7(EL4 OVA-transfectant)を使用した。そしてこれまでに上記のマウスの癌モデルにおいて、in vivoで癌を拒絶する“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”の作成に成功した。かつ、高効率で遺伝子導入できるレトロウイルスベクターを利用する事で、“遺伝子導入樹状細胞ワクチン”の欠点を克服し、腫瘍関連抗原を過剰発現する樹状細胞ワクチンを大量に調整する方法を開発した。現在、この樹状細胞ワクチンの更なる効果を確認する為、担癌マウスへの治療研究(treatment study at therapeutic setting)、in vitroでの腫瘍関連抗原特異的CTL(細胞傷害性T細胞)の機能的アッセイ等を進行中である。更に今後、既知の腫瘍関連抗原遺伝子(WT1・TERT等)を導入した樹状細胞ワクチンにより、免疫不全マウス(NOD/SCIDマウス)を用いたヒト白血病モデルの治療を試みる予定である。