つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 46     (C) 2003 筑波大学生物学類

ショウジョウバエ幼虫を用いた嗅覚学習行動の解析

本庄  賢 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:古久保-徳永 克男 (筑波大学 生物科学系)


目的

脊椎動物などとくらべて、ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)が学習記憶の研究においてもモデル動物として広く用いられるようになったのは比較的最近である。成虫を用いた実験から、その嗅覚学習・記憶の中枢はキノコ体と呼ばれる神経構造であり、このキノコ体を構成するニューロンにおけるcAMP経路が学習・記憶の成立に非常に重要であることがわかってきた。しかし、学習・記憶が成立する際の、キノコ体を構成する個々のニューロンの役割など、詳細なメカニズムについてはなにもわかっていない。
 ショウジョウバエ成虫のキノコ体は形態的に異なるニューロンを含む、非常に複雑な層構造を有している。一方、幼虫期におけるキノコ体は成虫に比較して非常に単純な層構造しか持たない。従って、幼虫の単純なキノコ体構造は、嗅覚学習・記憶のより詳細なメカニズムを解析する上で非常に有利であると考えられる。
 ショウジョウバエの幼虫は、成虫と同様に嗅覚学習が可能であることが既に明らかにされているが、その詳細な性質についての報告はほとんどなされていない。従って、本研究ではまず幼虫を用いた簡便な嗅覚学習行動の実験系の確立と、それを用いた幼虫における嗅覚学習の解析を目的とし、実験を行った。

◆材料と方法

 ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の3齢幼虫を材料とし、野生型(CS)と既知の学習・記憶の変異体(rutabagadunceなど)の系統を用いて実験を行った。
 (1)はじめに、幼虫が匂い物質を区別できることを確認するために、30種類の匂い物質に対する野生型幼虫の走化性を測定した。走化性の測定実験は 、内径8.5cmの2.5%アガープレートの中心に幼虫を50から100匹置き、プレートの両端に置いたろ紙片の片方に匂い物質を2.5μl滴下した後プレートのふたを閉め、3分後にそれぞれのろ紙から半径3cmの円弧内に移動した幼虫の個体数をカウントする、という手順で行った。各物質に対する走化性を示す指数にはResponse Index(RI)を採用した。RIは物質を滴下した側の円弧内に移動した個体数をNs、コントロールのろ紙側の円弧内に移動した個体数をNcとした時、RI=(Ns−Nc)/(Ns+Nc)として算出される指数で、全ての個体が物質側円弧内に移動した時に1、全ての個体がコントロール側円弧に移動した時に−1を与える。従って、物質に対するRIが正の場合は正の走化性、負の場合は負の走化性であると考えられる。
 (2)嗅覚学習行動の実験系として、匂い物質を条件刺激、幼虫の好むスクロースを非条件刺激とする、正の古典的条件付けによる実験系の確立を目指し、走化性のデータを基に、18種類の匂い物質について、スクロースと匂いの間の嗅覚学習が成立するかどうかを、野生型を用いてテストした。正の条件付け場合、条件刺激が非条件刺激と条件付けされた場合、条件刺激に対する誘因性が高まることが期待される。トレーニングは1M スクロース溶液またはDW(コントロール)を表面に塗布したアガープレート上に500〜1000匹程度の幼虫を置き、直後に匂い物質を10μl滴下したろ紙を貼り付けたふたを閉め、30分静置するという方法で行い、トレーニング直後に用いた物質に対する走化性を測定し、スクロースを用いた場合とコントロールでRIに有意差が現れるかどうかを調べた。
 (3)学習変異体を用いて、(2)で見られたRIの上昇が既知の嗅覚学習と同一の現象であるかどうかを確認した。

結果・考察・展望

 (1)はじめに30種類の匂い物質に対する走化性を調べたところ、野生型幼虫はほとんど全ての物質に対して正の走化性を示したが、匂い物質によってRIの大きさには相違が見られた。この結果から、幼虫が十分に匂いを弁別できることが確かめられた。
 (2)次にスクロースの報酬による条件付け学習の実験を行ったところ、18種類の匂い物質のうち11種類でスクロースを用いた場合のRIの有意な上昇が認められた。
 (3)この11種の物質のうち、特に大きな有意差が観察されたものについて変異体を用いた実験を現在進行中である。これまでのところ、rutabagaの変異体においては、野生型で観察されたスクロースでトレーニングした場合のRIの上昇がみられないことがわかった。この結果は、スクロースによるトレーニング後に観察されたRIの上昇が嗅覚学習の結果であることを強く支持するものである。今後はさらに変異体を用いた実験を継続し、実験系の有効性を確認したい。