つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 144-145.

特集:入学

全員卒業を目指して!

林 純一 (筑波大学 生物科学系、生物学類長)

 今年も大学生活に期待に胸を膨らませて89名の新入生が筑波大学生物学類に入学した。つい2週間程前(3月25日)に手塩にかけた4年生が卒業してしまい、一抹の寂しさを味わった。しかし、4月7日の入学式、8日-9日のオリエンテーション、10日の新入生歓迎コンパで新入生の希望あふれる表情を見ていると、私たちもまたやる気が起きてきた。新入生の皆さんには生物学類生としての学園生活を十分に堪能し、全員が心から満足して卒業していただきたいと思う。しかし、新入生への祝辞[1]としては述べにくかったことだが、全ての新入生が卒業式を迎えるわけではなく、この現実から目をそらすべきではないだろう。残念ながら毎年生物学類を卒業できるのは生物学類入学者の約90%である。もちろん、全学平均が約80%であることを考えると、これは驚異的に素晴らしい数字であるが、それでもできれば生物学類の新入生の皆さんには全員卒業していただきたい。

 そこで問題となるのは、割合が少ないとはいえなぜ毎年約10%の生物学類生が卒業できないのかということ、つまり退学したり除籍にならざるを得なかった理由、原因が何かという点である。しかし、これまでこのような否定的な問題の原因をきちんと突き止め、それらを統計処理するという作業はほとんどされてこなかった。おそらくプライバシーの問題もありあまり深くまで踏み込めないという事情もあったと思う。したがって本来なら、時間をかけて十分に客観的調査をした上で具体的な対応策を述べるべきだが、新入生の皆さんには今のうちに早急にこの問題の存在を認識しておいてほしいと考え、個人的な経験から得られた傾向をここでまとめることにした。退学や除籍になるケースは主に以下の3つに分類できるように思う。

 第一は、いわゆる仮面浪人である。これは、第一希望の大学や学部に入学できなかった場合で、もう一年浪人して第一希望を目指す決断を入学後にし、最終的には除籍になった場合である。その多くは、東京大学や京都大学の生物学科に入学する夢を捨てきれずにいる場合と、大学はともかく医学部に入学する夢を捨てきれずにいる場合である。前者のように同じ生物学専攻で、より偏差値の高い大学を希望する場合はたいして大きな問題にはならない。なぜならこのような単なる見栄やブランド志向とブランドを就職に利用しようという姑息なたくらみのため貴重な一年を無駄にするアホらしさが、生物学類に入学してしまえばすぐにわかるからである。しかし後者のように医者になる夢を捨てきれずにいると中途半端になってしまう。もちろん、このような例は毎年一人いるかいないか程度なので、このことをあえて問題視する必要はない。ただ、生物学類卒業生の中には生物学類を卒業するというきちんとしたけじめを付けてから、再度センター入試を受験して医学部に合格したり、学士編入学で医学部の3年次生に編入する例がこのところ毎年1−2名いる。

 第二は、学業以外に生きがいを見つけた場合である。アルバイトや、大学のサークル、ボランティアなどに夢中になりすぎたり、海外に放浪の旅に出るケースもある。しかし、学業以外のことに熱中するのは決して悪いこととは限らないし、多くの学生は1−2年余分に時間をかけることになるが、何とか復帰し卒業にまでこぎつけるケースが多い。場合によっては、その反動として大学院に入学して人が変わったように研究に没頭する例もある。またアルバイトが面白くて退学を余儀なくされても、それが天職のようになってプロとして楽しく仕事を続ける例もある。このような個性豊かな人生観を持った学生がいる方がはむしろ健全で、したがってこれらの場合もあまり深刻に対応する必要がないように思う。

 最後が心の病である。この問題こそ私たちが最も重要視し、早急に何とか対応策をとらなければならないと思う。心の病のきっかけは簡単にはわからないが、たとえばものごころがついた頃から目標にしてきた大学に入学できたことや、親元を離れてたことで、生まれた初めて経験する解放感が、逆に規則正しい生活のリズムを崩し、それが引き金となって授業の出席や勉学への意欲の喪失につながるのかも知れない。確かに、もう今までのような希望大学に合格することを目標に受験勉強をする必要はない。そうならば何をこれからの目標にしたらいいのかがわからなくなり勉学の必然性も見出せなくなる。いわゆる5月病の病原がこの辺に潜んでいるのではないだろうか。

 小学校から中学校、中学校から高校という転換点では、親や教師から刷り込まれた共通の目標や価値観で通過することができた。そして皆さんは偏差値の達人としてちやほやされてきたかも知れないが、高校から大学への転換点では価値観に大きな変革が要求される。すでに前稿[1]で述べたことだが、実は高校までとは違い、大学で学習する範囲は無限にあり、授業などで提供できるのはそのごく一部なのである。そうだとすれば、全ての授業を100%理解することを目標にする必然性は失われる。大学での学習の目標は、授業を通してこの無限にある学習範囲の中から自分が専攻すべき分野を探し出し、その分野の学習にフォーカスを絞り先端領域に踏み込んで存分に自主学習を展開することである。そしてその過程で自分の特性や個性を見つけ、それに磨きをかけ続けることある。授業はそのためのきっかけを与えるという点で価値があるだけである。これまでは学習すべき内容が限定され、それを正確に理解することが全てであった、これからは自分で全て決めていかなければならない。このような突然の価値観の転換に迅速に対応するのは決して簡単なことではなく、時として目標を見失い、生まれて初めて味わう大きな挫折にプライドが傷ついてしまうかもしれない。その結果、学習意欲を喪失し毎日の生活の緊張感を失ってしまう。いったんバイオリズムに変調をきたすと、どんなに気持ちを切り替えようとしても自分の心のコントロールがきかなくなり、授業にも出てこれなくなる。多くの場合、これが退学への悪循環の始まりになるように思う。

 しかし、このような悪循環は簡単に断ち切れるものではない。万が一その傾向を少しでも認識したなら手遅れにならないうちにクラス担任と相談し一緒に保健管理センターで受診していただきたい。私たちも、クラス担任を中心に過去の事例と経験を豊富に持つベテラン教官とでスクールカウンセリングチームを作り保健管理センターの指導を受けながら、そしてプライバシーには十分に配慮しながら対応して行くしかない。残念ながら、私たちがそのような学生の存在に気が付くのは、たいてい学期や学年が終了し、異常に取得単位数が少ないということで、本人を呼びだしてその事情を調査した時で、もうそうなってからでは早期回復は難しくなっている。

 初期のほんのわずかなサインを見逃さず、適切な対応をしていたら何とかなっていたケースは多いのではないだろうか。しかし本人からの相談がないと、私たちも動けない。いずれにしてもすべてが手探りの状態であるが、皆さんに是非とも知っておいてもらいたいのは、私たち教官がこの問題に真剣に取り組んでいきたいと考えていることである。些細なことでも相談してほしい。そしてできれば希望を胸に入学した新入生全員が卒業できるよう、そして社会に出ても健全でいられるようできる限りの手助けをしていきたいと考えている。

参考文献
  1. 林 純一 平成15年度、生物学類新入生の皆さんへの祝辞 つくば生物ジャーナル 2:142-143, 2003.
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received April 18, 2003.

©2003 筑波大学生物学類