つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200410II.

特集:植物の世界(平成16年度筑波大学公開講座)

植物と動物の境界線

井上  勲(筑波大学 生命環境科学研究科)

 おそらく、人類が外界を認識するようになってほどなく、ヒトは生物を動物と植物に分類したと思われる。「動き、食べるもの」と「動かず、光合成を行い、食べないもの」、これが動物と植物という対立概念で、動物と植物の違いを質問すると、たいていこの答えが返ってくる。小中学校の理科の時間に、児童生徒に「ミドリムシは動物と植物のどちらか」といういじわるな質問がなされる。ミドリムシは光合成を行うが、同時にくねくねと動くからである。生物は動物と植物に分類されると教えた後に発せられるこの質問は理不尽としかいいようがない。この質問への正解の一つは、ミドリムシはユーグレノゾアとよばれる生物で、動物でも植物でもないというものである。生物界には動物でもなく植物でもない生物が多数存在しているのである。このことの認識なしに上の質問はあり得ない。本講座では、現在の生物科学が明らかにした生物界の多様な構成とそれを実現してきた生命と地球の進化について考える。

 植物を光合成生物と定義すると、植物は原核生物のシアノバクテリアから、真核生物の海藻や多くの植物プランクトン、そして陸上植物まで、多様な生物群を含むことになる。実際は、これらの生物は副産物として酸素を発生する酸素発生型光合成というエネルギー変換のしくみを共有しているが、それ以外は類似点は少なく、生物の基本構成要素である細胞のつくりというレベルで異なっている。このことの意味を理解することが生物の進化と多様化を考える上で、きわめて重要である。

 酸素発生型光合成は、およそ30億年前にシアノバクテリアで進化した。二酸化炭素を有機物に固定するための電子を水から引き抜くために、水が分解されて酸素が発生する。酸素は強力な酸化剤である。初期の地球には酸素はほとんど存在せず、当時の生物の多くにとって酸素は猛毒だったはずである。酸素シンドロームとよばれる酸素による地球環境汚染が始まり、地球と生命進化は以後、大きく変わっていく。海中で始まった酸素発生型光合成は、還元状態にあった海を激変させることになった。海中に豊富に溶けていた二価の鉄イオンは酸化されて三価の鉄として沈殿していき、これが現在の文明を支える鉄の鉱床を生み出した。金属イオンなどの還元物質を酸化しつくと、ついに大気に分子酸素が放出され、大気の好気化が始まった。酸素21%という現在の大気はシアノバクテリアとその後進化した真核藻類が作り上げたものである。

 海や大気の好気化という酸素シンドロームがもたらした生物進化の大事件は、真核生物の誕生である。その起源については不明な点が多いが、α-プロテオバクテリアを取り込んでミトコンドリアという酸素を用いたエネルギー変換装置を獲得する過程で並行的に真核細胞が生まれたと考えられている。酸素呼吸は嫌気呼吸の19倍のエネルギー効率をもち、これによって、真核生物は大型化と多様化の鍵を手に入れたことになる。現在の1500万種ともいわれる生物の多様性は、元を正せばシアノバクテリアで誕生した酸素発生型光合成によっている。

 酸素発生型光合成は、誰もがほしがる種類の機能である。錬金術のようなもので、光エネルギーを化学エネルギーに変換する無償のエネルギー変換装置である。この装置は、真核生物の中に広がっていった。そのしくみが細胞共生である。分子系統の研究から、光合成を行う真核生物(真核藻類と陸上植物)の葉緑体はすべて共通の祖先から派生したことが分かっている。シアノバクテリアを共生させて、最初の真核藻類が生まれた。この共生を一次共生と呼ぶ。一次共生で生まれた植物の子孫が灰色植物、紅色植物、緑色植物である。しかし、真核生物の植物化はそれだけにとどまらない。二次共生と呼ばれる現象を通じて、真核生物の6つのグループが従属栄養生物から植物に変身したことが明らかになっている。

 クリプト植物の細胞を電子顕微鏡で調べると、複雑なつくりを持っていることがわかる。葉緑体を包む膜が全部で4枚あり、外側の2枚と内側の2枚の間には、核に似たヌクレオモルフという構造がある。分子系統解析の結果、これは紅色植物の核に近縁であることが明らかになった。このことから、クリプト植物は、紅色植物を取り込むことで葉緑体を獲得し、植物化したことがわかる。同様に、緑色植物を二次共生で取り込んで植物化したのがクロララクニオン植物である。このほかに、紅色植物の二次共生で植物化した生物として、不等毛植物(褐藻類や珪藻を含むなかま)、ハプト植物、渦鞭毛植物が、緑色植物の二次共生で植物化した生物としてユーグレナ植物がある。冒頭で述べたミドリムシは植物としての働きを二次的に獲得した生物である。このように、共生によって植物化というべき現象が異なる系統で何度も起こったために、酸素発生型光合成という特徴で植物をまとめると、赤の他人をひとまとめにしていることになる。植物は系統の異なる生物の寄せ集めなのである。

 これに対して、動物はひとまとまりの生物である。クラゲ、エビ、貝、昆虫、そしてヒトも含めて、すべての動物はたった一つの共通祖先から進化してきたものである。動物に最も近縁の生物は襟鞭毛虫という単細胞生物で、これは海綿の襟細胞に似ている。動物に近縁のもう一つの真核生物は菌類である。菌類はカビやきのこのことで、動物との類似はほとんどないが、ともに、真核生物の巨大系統群であるオピストコンタを構成している。現在では、真核生物はオピストコンタ、アメーボゾア、そして、すべての植物と数十の原生生物で構成されるバイコントに分類される。動物と植物の境界線は、真核生物の系統の中に埋もれている。

Contributed by Isao Inoue, Received October 8, 2004.

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