つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200410TH.

特集:植物の世界(平成16年度筑波大学公開講座)

イチョウの渡海の歴史

堀 輝三(元 筑波大学 生物科学系)

 イチョウを漢字で書く場合、古い世代の人なら「公孫樹」、「銀杏」、そしてまれに「鴨脚(樹)」、若い世代の人ならもっぱら「銀杏」と書くでしょう。日本語では、全て「イチョウ」と読みます。ただし、「銀杏」はイチョウと読む(発音する)場合と、ギンナンと読む(発音する)場合とがあり、日本人は一瞬にしてそれをかぎ分けて発音します。一般にはイチョウは「木」を指し、ギンナンは実を指します。この3つの漢字名は全て、中国の古い(11世紀以降に限られる)文献の中に見出すことができます(表1参照)。上記3つ以外に、中国名(地方名を含む)としては、「白果」、「仏指甲」、「平仲木」、「霊眼」、その他があります。しかし、日本(語)独自に命名された、明白にイチョウを指す漢字名はありません。これらは、現在の日本に生育するいちょうが中国から渡来した植物であることを強く暗示しています。

 では、いつ頃、日本に渡来したのでしょう?それを知るために、身の回りにある、辞書、辞典類を調べてみると、1)遣唐使が中国から持ち帰った、2)仏教の伝来とともに来た、3)平安末期に中国から伝来、4)鎌倉時代、禅僧により.....、5)観音像の渡来とともに僧侶によって......、等いろいろな説が書かれています。一番目の説など、特に納得できそうな説です。しかし、奇妙なことに、この説を含む全ての説は、いずれもが「.......といわれている。」、「............と伝えられている。」で終わり、出典・根拠が示されていません。すなわち、全てが風説でしかないと言わざるを得ません。では、実際に何時、何処から、どのようにして日本に渡来したのでしょうか?この素朴な疑問に応えるために、銀杏についての日本および諸外国の文献調査、そして最も古い日本国内の古木イチョウを発見するために、数百本以上の巨樹・巨木イチョウの現地調査を行いました。現時点での、成果を表と図にまとめました。〔表1〕は、これまでに分かった日中の古文書調査の成果を、編年形式にまとめて示しました。〔図1〕には、日本に現存する全ての有数巨樹イチョウ、約160本の分布地と雌雄性を示しました。これらをもとに、いろいろな歴史が想像されます。

参考文献
  1. [1]Hori, T. et al. (Eds): Ginkgo Biloba-A Global Treasure, Springer, 1997;
  2. [2]堀 輝三 イチョウの伝来は何時か・・古典資料からの考察・・、Plant Morphology, 13, 31-40, 2001;
  3. [3]堀 輝三 放送大学・特別講義「ミッシングリンク・イチョウの生物学」、2004;
  4. [4]堀 輝三 海をわたった華花-ヒョウタンからアサガオまで、国立歴史民俗博物館、2004。
Contributed by Terumitsu Hori, Received October 8, 2004.

©2004 筑波大学生物学類