つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200411TM.

総合科目の授業「4翼の恐竜」とその後

牧岡 俊樹 (元 筑波大学 生物科学系)

 2004年6月末に、林生物学類長に呼んでいただき、定年退職後3年ぶりに筑波大学で授業をしました。生物学類の総合科目の中の1コマで、「4翼の恐竜」というタイトルでやりました。久しぶりの筑波大学での講義で時間の感覚がずれていたらしく、60分足らずで話し終わってしまうという失敗をしましたが、学生諸君が余った時間にいろいろ質問をしてくれたので何とかおさまりがつきホッとしました。質問が多いのは、私の話がわかりにくかったためでもあるのでしょうが、学生諸君がよく聴いていたということでもあるのでしょう。質問することによって理解がより明確に、より深くなり、また積極的に授業に参加する意識も生まれると思うので、できることなら130余人全員に質問の機会を与えたいほどでしたが、いくら話が早く終わりすぎたにしても、さすがにそこまでは時間の余裕がありませんでした。

 授業が終わると出席カードを提出しますが、多くの人が授業概要と感想と質問をしっかり書いていました。これは学生諸君の熱意の反映であると思い、私は喜んで全部に眼を通し、質問にも手短かに答えて学類長室に返送しました。ところが考えてみると、私の授業は6月28日、つまり1学期の最終回に当たっており、次回にこのカードを学生諸君に返却することはもうできないのでした。

 その後学類長から、授業の反省をTJBの原稿として書いてみたらと勧めていただきました。質問に答える機会にもなるかと思い、喜んで書こうとしましたが、出席カードは返送してしまって手元になく、個々の質問には答えることができないので、当日の話のうち明確でなかったと思う部分を補うつもりでいささか蛇足を描いてみました。

 当日の話の内容は私自身が在職中にしていた節足動物の生殖生物学の研究や動物系統分類学の講義の話ではなく、講義の延長線上にはあるがもう少し新しい、昨年出会った論文の紹介です。これから専門の論文を読むことになる1、2年生の人たちに、1つの分野の先端の論文を客観的に読み、その内容について著者と討論するような読み方を紹介できればと欲ばったことを考えました。その論文は、中国遼寧省西部の中生代白亜紀前期の地層から出た小型の恐竜Microraptor gui という新種の原記載(Xuet al., 2003)です。近年、主に中国から、羽毛のある恐竜化石の発見が相次いでいますが、この新しい恐竜には前後の肢に長い風切り羽が生えそろって4枚の翼になっている点が今までに例のないものでした。著者の徐星らはこの M. gui を始祖鳥(Archaeopteryx)の前段階、つまり4枚の翼で枝から枝へ滑空する段階と考え、やがて前翼で羽ばたき飛翔ができるようになると、後翼は翼としての役割を失い、風切り羽が退化して始祖鳥の段階に至り、さらに現在の鳥に向かうという進化の道筋を考察しました。この話だけでも十分に面白そうなのですが、じつはこの論文に先立つもう1つの古い論文があって、その2つの論文がちょうど仮説とその実証というような関係になっています。それで、さらに欲ばりですが、この2つの論文を対比させて紹介してみようと思いました。

 そのもう1つの論文は M. gui 発見の88年前に発表され、始祖鳥の前段階の動物は四肢を翼として滑空していただろう(4翼段階 Tetrapteryx Stage)とする仮説を述べたものです(Beebe, 1915)。Beebe の論文に載っている“Tetrapteryx”の想像図と M. gui の復元図との驚くべき類似は、今回の授業でも学生諸君の興味を引いたようでした。Beebe は、この想像上の“Tetrapteryx”は4枚の翼を用いて滑空していたが、やがて前翼で羽ばたいて飛翔するようになると後翼は翼の役割を終えて脚に戻り、始祖鳥の段階に至っただろうと述べています。この考察は、M. gui についての徐星らの考察と驚くほどよく一致していますが、88年の時を隔てたこの2つの論文のほぼ同じ結論について、今どのようなことが考えられるでしょうか? という問いかけを私は学生諸君にするべきだったのだと思います。しかし私は先を急ぎ、ここで学生諸君が考えるのに必要な「間」をとることができませんでした。

 Beebe の“Tetrapteryx”は全く想像の産物で、それを鳥の進化史上で始祖鳥の前段階としたのは1つの仮説にすぎません。たしかに Beebe は始祖鳥の後肢や現生の鳥の雛の後肢を調べ、ハトの雛鳥の後肢に風切り羽の芽生えを見つけたと思いました。しかしその芽生えはもちろん風切り羽に成長するはずもありませんでしたし、彼はまた、その芽生えの発生学的消長の記載や組織学的構造の解析やどの雛鳥にもあるのかなど遺伝学的、統計学的検討もしませんでした。それで、物的証拠としての化石が出るまでは、彼の仮説は仮説のままに留まりました。しかし逆に、具体的な化石がなかったから、Beebe は自由に想像の翼を広げることができたのでもあったでしょう。

 しかし 徐星らの状況は、Beebe のとは大きく違っています。徐星らは実際に M.gui の化石を発見したのであり、ゆえに M. gui の進化史上の位置づけに関する徐星らの考察は、現実の化石にもとづいてなされなければなりません。そして M. gui の出た地層は始祖鳥の出たジュラ紀後期のではなく、それよりおよそ2,000万年後の白亜紀前期の地層でした。ゆえに徐星らの結論が成り立つためには、まず始祖鳥と M.gui との年代のずれの理由を説明しなければなりません。しかし徐星らはそれについては何も述べませんでした。

 たしかに化石種は化石の出た時点の前後相当の期間にわたって存続したと考えられ、したがってその期間内であれば現実の化石がなくてもその種の存在を想定できるでしょう。そしてまた、種をさらに近縁種群にまで拡張してもよいとすれば、その相当の期間はたとえばヒト属の存続期間のように、最大限200万年といったかなり長いものになることもあり得るかもしれません。しかし始祖鳥と M. gui との年代のずれは、少なくとも2,000万年という1桁違う大きさであり、また M. gui と同じ白亜紀前期の中国からは、孔子鳥(Confusiusornis)や尖嘴鳥(Cuspirostrisornis)や遼寧鳥(Liaoningornis)や華夏鳥(Cathayornis)など始祖鳥よりだいぶ現在の鳥に近づいた初期鳥類の化石が多く出ていることからも、 M. gui が始祖鳥の前段階に当たるという考察にはやはりかなり無理があるように思えます。

 当日の話の中でも少し触れたかと思いますが、始祖鳥と M. gui の化石の年代差の問題をクリアする1つの方法としては、ジュラ紀の始祖鳥から白亜紀以降の鳥への進化の枝とは別の枝として、白亜紀初期には M. gui に代表される4翼で滑空する恐竜の1群があって、それがたまたま始祖鳥にごく近縁のグループに所属していたのだとする解釈があり得るのではないかと思われます。この解釈はまた、M. gui の時代にいろいろな初期鳥類がすでに存在していたこととも矛盾しません。しかしこれでは、せっかくの M. gui が鳥の進化の本流から外れてしまうので、徐星らはもとより、墓の中のBeebeからもそっぽを向かれてしまうかもしれません。

 終わってみると、客観的にと言うより、特に徐星らの論文に対しては多少批判的に読んでしまったような気もします。私は専門の古生物学者でもないのに、徐星らに対して失礼だったかとも思いましたが、この分野での化石の年代の問題は、たとえば始祖鳥にきわめて近い祖先的な恐竜として多く引用されて来たデイノニクスやヴェロキラプトルがいずれも始祖鳥より3,000万年もそれ以上も後の、白亜紀中期から後期の化石であることなど多くの矛盾の例があり、古生物学の論文を初めて読むときには注意が必要だと以前から思っていたので、それをやや強調してしまったかもしれません。

 出席カードの質問のいくつかを思い出しながら、当日の話の不備を少し補うつもりでしたが、蛇足を描くことによってかえって不備を増やしてしまったような気もします。さらに質問や意見のある方がおられましたら、ぜひTJBまで一筆お寄せ下さい。TJB上でできる限りお答えもしたいし、また議論もして、学問の新しい成果や、新鮮な見方や考え方を少しでも学びたいと思います。

参考文献
  1. Beebe, C. W. A tetrapteryx stage in the ancestry of birds. Zoologica, 2:39-52 (1915).
  2. Xu, X., Zhou, Z., Wang, X., Kuang, X., Zhang, F., and Du, X. Four-wingeddinosaurs from China. Nature, 421: 335-340 (2003).
Contributed by Toshiki Makioka, Received November 18, 2004.

©2004 筑波大学生物学類