つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200411TT.

第7回ホームカミングデーレポート

武政 徹(筑波大学 人間総合科学研究科)

 生物学類7期同窓会が動き始めたのは、ホームカミングデーが行われる1年以上前のことであった。我々は丑年生まれのせいか、行動を起こすのがおっくうで、卒業後同窓会は3回ぐらいしか開いていない。結婚適齢期にあった頃は、同級生の結婚式などで仲間と顔を合わせる機会もあったが、40もすぎるとおめでたい行事よりも、訃報を連絡しあう機会の方が多くなり、「今度は楽しい気分で同級生と会いたいね」という意見を多く耳にした。そんなとき、ホームカミングデーのことを知った。私は「大学から正式に招待される貴重な機会を逃すわけにはいかない」と思い、できるだけたくさんの同窓生に声をかけようと考えた。それにはまず名簿の整備。手紙だと郵送料がかかるので、電子メールを使って同級生の情報を集める主旨のメールを書いたのが2003年9月10日であった。年度が新たになり、大学は法人化して事務の担当者から「今年度からホームカミングデーはなくなりました」という連絡を受けたときには大変がっかりした。しかし、乗りかかった船である。こうなれば生物学類だけでも同窓会を開こうと情報収集は継続し、80人いた同級生のうち、30人ほどの連絡先情報が集まった。7月7日には学生部就職課の担当者から連絡があり、「やはり法人化してからもホームカミングデーをやります」との回答をもらいほっとした。日取りは例年通り、学園祭の中日、10月10日と決定された。遠方からくる同窓生を日帰りさせるわけにはいかないので、前日の10月9日、つくばセンタービル近くのレストランで、生物学類だけの同窓会も企画した。

 2004年は台風の当たり年であった。10月4日に発生した台風22号(マーゴン)は、最低気圧920hPa、最大瞬間風速67.6m/sを記録し、10年に一度といわれる大きな勢力を持った台風であった。それが学類の同窓会を企画した時間にちょうど関東地方を通過するという。「安全のため、できるだけ外出は避けるように」とメディアが報じている中、幹事は苦しい決断を迫られた。しかし「どうしても会いたい」という要望がある以上、少人数でも開こうということに決定した。9日の生物学類同窓会の参加希望者は12名、北は福島、西は兵庫県からの参加予定者であった。マーゴンにより東海道新幹線はストップ、脆弱な常磐線ももちろん止まった。台風の方角からやってくる同窓生の足は奪われ、何人かが無念の涙をのんだが、なんとか8名の同窓生が雨風に耐え、びしょびしょになりながら集うことができた。はじめは「誰だっけ?」というような顔でお互いを見ていた同級生だったが、話をしているうちに20年前にタイムスリップ、学生当時の実験や下田での実習の話をしているうちに、すっかり学生気分に戻っていた。一通り、自分たちの「この20年」を話し終わると、「○○君はどうしている?」とか「○○さんは誰と結婚したの?」というような同級生の噂話になっていく。そのうちにアルコールの勢いも手伝って、「今だからいえるのだけど・・・」とか「もう時効だから言っちゃうけど・・・」というような暴露話もたくさん出てきて大盛り上がり。「同窓会って、その場にいなければ欠席裁判で、何言われるかわからないから、絶対はずすわけにはいかないね」という結論でお開きになった頃、外の雨はすっかりやんでいた。

 嵐の一夜が明けた10日はまずまずの天気であった。大学主催のホームカミングデーに出席できた同窓生は10名であった。全学レベルの集まりなのに、参加人数が思ったより少なかったが、生物学類は連絡網を早くから準備したので、一学類としては多い方であった。夕べのメンバーと少し顔ぶれが違うのは、仕事に追いまくられている我々の世代では仕方のないことだと思う。11時から大学会館特別会議室で始まった座談会は「明日の筑波大学に期待するもの」というテーマで、学長をはじめ大学の執行部と我々同窓生が同席した。この時話されたことの詳細は、きっと大学の学生部就職課に問い合わせればわかると思うので、ここではふれない。12時からは場所をレストランプラザに変えて、懇親会が開かれた。夕べの続きで生物学類の同窓生は何となくのりがよい。他学類の懐かしい人にも会うことができた。そのあと、大学行事としてはバスをつかっての大学周辺ガイドがあったようだが、我々は三々五々、グループに分かれて二次会に足を進めた。

 後日、前夜同窓会と懇親会の時撮った写真をインターネットで公開した。以下はその一部である。同窓生名簿はホームカミングデー後にもさらに追加があって、現在35名。名簿ファイルはパスワード付きのPDFファイルとして、年賀状に間に合うように、年末にメールに添付して同窓生に配布した。

 同窓生の連絡先を集約してみて、その職業は多岐にわたることを改めて認識した。大学(筑波大、京大、東北大、名古屋大、広島大、お茶の水大、岩手医科大、東京理科大、北里大、等)の教員、独立行政法人研究所(理化学研究所、果樹研究所、環境研究所、等)の研究員、製薬会社(エーザイ、ファイザー、三共、三井化学、三菱化学、三菱ウェルファーマ、等)の研究員、小・中・高等学校の教員、県の教育委員会、国立教育政策研究所などの職業は、生物学類の卒業生の進路として容易に想像がつく。そのほかに出版関係、広告代理店に勤めるもの、フリーのカメラマンとして活躍するものと、いろいろである。学類長の林先生は現役学類生の進路の相談役として、多様な業種で働いているOB・OGとのつながりを期待しておられるようだ。私としては現在も同級生と共同研究が進んでいるし、学会などで会う先輩、後輩とも共同研究が芽生えることを経験してきた。ホームカミングデーを機に、同級生のネットワークが整備され、さらに世代を超えた生物学類同窓生のネットワークが整備されれば、大変大きな力を持つ機能集団が生まれると実感している。そのようなネットワークが生まれることを期待しつつ、次はいつ同窓会を開こうかと密かにたくらんでいる状態である。

 ホームカミングデー・前夜同窓会

 ホームカミングデー・懇親会

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received January 14, 2005.

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