つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

下田沿岸産クラゲムシ類の生態学的研究

江美 敦子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 青木 優和 (筑波大学 生物科学系)


導入・目的
 クラゲムシ類は匍匐生活性の有櫛動物であり、生息場所は海藻、転石、他動物の表面などさまざまである。変異に富んだ色彩は、鮮やかなものが多い。有性生殖とともに分裂による無性生殖も行う。また、切断された体の一部が再生することで個体の増殖が起きることも知られている。日本においては現在のところ5種、世界では24種が記録されている。1900年代前半に国内で発見されてまもなく発生過程についての研究が行われたのみで、現在まで生態学的な研究は行われていない。伊豆半島南端部の下田沿岸では、ホンダワラ類やウミウチワなどの褐藻上にクラゲムシ類が生息する。本研究では下田沿岸産クラゲムシ類の形態や生息場所を記録するとともに、1種類について野外飼育実験を行い、下田におけるクラゲムシ類の分類とその生態に関する基礎的な知見を得ることを目的とする。

方法
 下田市大浦湾志太ヶ浦のガラモ場において、事前調査時にクラゲムシ類が多く出現したオオバモクとウミウチワを採集した。海藻を海中でビニール袋に入れ葉上動物ごと採集して実験室に持ち帰り、海水中で3回擦り洗いした。海藻から落ちた葉上動物を目視により選別し、クラゲムシ類については実体顕微鏡下で観察し、出現海藻・色・体長・面積・収縮時の形態・背面上の突起数について記録した。海藻については湿重量と乾重量を計測した。またウミウチワについては、生息場所の水深および藻体の表面積を併せて計測した。それらのデータをもとに下田沿岸産クラゲムシの分類を試み、生息海藻とクラゲムシ類との関係を分析した。
 大浦湾の水深3m付近に飼育用ケージを4つ設置し、野外飼育実験を行った。各ケージ内には6個の飼育容器をセットし、うち1個は対照容器とした。合計24個の飼育容器において、対照容器を除く20個には葉上動物をすべて落として大きさを揃えた海藻とクラゲムシ(Coeloplana sp.1)の1個体を入れ、対照容器には海藻のみを入れた。2003年11月より飼育を開始し、2週間に1度、容器内のCoeloplana sp.1の体サイズ(収縮時の長径)および個体数の変化を記録している。

結果
 志太ヶ浦での採集により得られたクラゲムシ類は、2つのタイプに分類された。形態的特徴では、色彩および触手鞘、収縮時の形態に大きな違いが見られた。1種は鮮やかな紅色もしくは暗紫色で、外縁部に白点があり、触手鞘が不明瞭で収縮時に丸くなる。この種は特徴からベニクラゲムシCoeloplana willeyi と同定された。もう1種は黄褐色、灰褐色など茶色を帯びた色彩で外縁部に白点が見られるが、触手鞘が明瞭で収縮時に弓形になる。この種をCoeloplana sp.1とした。また下田沿岸ではないが、実験センター内の屋外水槽に生息するクロキヅタおよびスリコギヅタ上にもクラゲムシ類が発見された。この種は黄緑色もしくは薄茶色を呈し、外縁部に白点は無く、その他の外部形態はCoeloplana sp.1と同じであった。下田沿岸ではCoeloplana sp.1が最も多く出現し、Coeloplana willeyiはごく稀にしか出現しないことがわかった。また出現海藻の比較ではウミウチワ上に最も多く出現した。そこでウミウチワの生息する水深および表面積とクラゲムシ類の面積や出現数との関係性について分析したが、相関はまったく見られなかった。
 野外飼育実験においては、時間経過に伴ってCoeloplana sp.1の成長および飼育容器内での個体の増加が見られた。Coeloplana sp.1の体サイズは増加していくが、約5mmを超えると成長は頭打ちになり、成長の滞った個体においては、容器内での個体数の増加が観察された。その際、母個体の体サイズは小さくならず5mm以上の大きさを保っていた。飼育実験開始後の1ヶ月間に飼育個体は大きく成長し、容器内の個体数も最大13個体まで増加したが、2ヶ月目には母個体の成長および個体数の増加は見られなくなった。コントロール飼育容器内へのクラゲムシの移入はなかった。

考察
 下田沿岸産クラゲムシ類はその特徴から2種に分類されると考えられる。しかし、外縁部における白点の有無によって分類する古典的な分類方法ではこれらの採集された2種は同種となり、形態的特徴の相違により分類するのであれば異種と判断される。クラゲムシ類の分類標徴については、他の有効な基準に基づいた再検討が必要である。
 野外実験結果は、クラゲムシ(Coeloplana sp.1)の寿命は2ヶ月を上回るが、一定の大きさに達した後に成長が止まり、増殖を開始することを示唆している。飼育容器内には1個体のみを入れていること、対照容器内には外からの移入が無かったことから、この個体数増加は無性的な増殖であると考えられる。また、実験的に強い水流を与えてもその体が千切れることはないことから、これは自発的な分裂によるものであろう。増殖が停止したのは、2ヶ月目の12月において大浦湾の水温が急激に低くなり、クラゲムシの増殖を抑制するような影響を与えたためだと考えられる。
 野外での採集データと野外飼育結果から、生息基質に移入した個体はそこで成長してある程度大きくなると、自発的に分裂して個体数を増やしていくと予想される。生息海藻サイズとクラゲムシ個体数との間に相関が無かったのは、機会的に生じる移入箇所において、集中的に密度増加が起こったためではないかと考えられる。