つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

ナミアゲハの雄におけるナトリウム塩吸収量と注入精子量の関係

上久保 真里 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 渡辺 守 (筑波大学 生物科学系)


はじめに
夏季に蝶類の雄が湿った土や小川の縁などへ飛来し、集団あるいは単独で水分を吸収する行動が観察されている。この行動を示す個体のほとんどは羽化したばかりの若い雄であり、それを解発する物質はナトリウム塩であることが明らかにされてきた。しかし、吸水行動によって摂取したナトリウム塩が雄の繁殖成功度にどのような影響を与えているかは未だ調べられていない。本研究では、羽化後、交尾するまでに吸収したナトリウム塩の量と精子を含む注入物質量の関係を調べた。

材料と方法
茨城県つくば市周辺で採集したナミアゲハの母蝶から採卵し、孵化幼虫を室内飼育した。羽化した雄は翅が伸展し乾燥した後に体重を測定し、個体識別番号を付して網室に放し、自由に飛翔させた。羽化翌日から交尾させるまで、蒸留水や0.001M、0.01M、0.1M、1Mの塩化ナトリウム水溶液を毎日5分間吸水させている。この時、吸水前後の体重を0.1rの精度で測定し、その差を「体内貯留量」とした。また、腹部末端に濾紙を敷き、吸水中断続的に行なわれる排泄液を浸みこませ、この重量を「排出量」とした。これらの雄が3日齢になったとき、ハンドペアリング法によって処女雌と交尾させ、交尾時間を測定した。交尾終了後、直ちに雌の腹部を解剖し、交尾嚢を摘出して、注入されていた精包と付属腺物質の重さを測定した。次に精包内の有核精子束と無核精子を実体顕微鏡下で数えた。

結果
雄は見かけ上、0.1Mの塩化ナトリウム水溶液を最も多く摂取し、1Mの塩化ナトリウム水溶液をほとんど摂取しなかった。蒸留水を与えた雄では、排泄物中に2日間で合計1.75rのナトリウム塩を含んでいた。0.001Mと0.01Mの塩化ナトリウム水溶液を摂取した雄では、蒸留水を与えた個体とほとんど同じ量の塩化ナトリウムを排出しており、体内に塩化ナトリウムは蓄積していないとみなされた。0.1Mを摂取した雄では塩化ナトリウムの排出量も吸収量も多かったが、相対的に排出量が多く、体内に蓄積できてはいない。しかし他の濃度に比べて摂取量が最も多く、5分間で約1rの塩化ナトリウムを摂取したと計算された。
蒸留水を与えた雄の交尾時間は60分で、摂取させた塩化ナトリウム水溶液の濃度が増すにつれて長くなる傾向があった。特に1Mの塩化ナトリウム水溶液を摂取させた雄では、80分と有意に長くなった。
蒸留水を与えた雄の注入した精包は5.5rで、0.001M、0.01Mとなるにつれて有意に重くなったが、0.1Mと1Mを摂取した雄の精包は逆に軽くなった。一方、注入した付属腺物質量は、塩化ナトリウム水溶液の濃度に関係なくほぼ6rと安定していた。
精包中の有核精子束数は、塩化ナトリウム水溶液の濃度と関係なくほぼ65本だった。同様に無核精子数も、塩化ナトリウム濃度に関係なくほぼ40万本と計算された。
蒸留水を与えた雄の精包注入速度は0.10r/分で、摂取した塩化ナトリウム水溶液の濃度が増すにつれて、注入速度はやや大きくなったものの、0.1Mと1Mでは逆に小さくなっていた。0.01Mの水溶液を摂取した雄の注入効率が最も高いといえた。

考察
本研究により、ナミアゲハの若齢雄は水よりも低濃度の塩化ナトリウム水溶液を好むことが明らかになった。この結果は、花蜜に含まれる糖のみならず、塩も雄の生活にとって重要な役割をもっていたことを推測させる。実際、網室内で自由に飛翔させた雄は、見かけ上、0.1M濃度の水溶液を好み、Arms et al. (1974) の「野外では0.1Mの塩が好まれる」という観察を支持する結果となった。
摂取した塩化ナトリウムは、注入精子数を増やすよりは、精包を重くする役割をもつことが分かった。交尾嚢内に注入された精包が大きければ、雌の再交尾を遅らせることができる。しかし交尾中の雌雄の活性は低いので、大きな精包を注入するために交尾時間を延長すれば、捕食される危険性が高くなってしまう。精包注入速度を上昇させたことは、この問題の解決のひとつといえる。したがって、雌が多回交尾を行なう本種においては、精包を大きくすることによって交尾相手の雌の再交尾を遅らせるという戦略をとる時に、吸水行動によるナトリウム塩の摂取は重要な役割をもつと考えられた。


塩分濃度 羽化時体重(r) 交尾時間(分) 精包重量(r) 付属腺物質量(r) 有核精子束数(本) 無核精子数(万本)
D.W. 463.2±63.7 (12) 58.7± 2.2 (12) 5.6± 0.1 (11) 5.9± 0.3 ( 7) 66.9±10.5 ( 9) 38.6± 4.8 ( 6)
0.001M 463.8±14.5 (15) 59.6± 6.8 (13) 6.0± 0.3 (13) 6.5± 0.7 (13) 82.2±11.1 (13) 38.1± 5.9 ( 7)
0.01M 473.1±19.0 (12) 62.3± 3.4 (12) 6.5± 0.2**(13) 5.9± 0.4 (12) 70.7±10.0 (13) 40.2± 5.1 ( 5)
0.1M 451.4±17.0 (14) 61.3± 5.7 (13) 5.7± 0.6 (13) 5.9± 0.6 (13) 69.8±10.1 (13) 45.3± 7.8 ( 6)
1M 449.4±12.0 (13) 77.1±10.4*(11) 5.3± 0.5* (11) 6.0± 0.7 (11) 65.5±10.0 (11) 32.8± 5.2 ( 8)

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図1.吸水中の雄の固定方法

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図2.濃度別精包注入速度(±S.E., ***: 0.001>p, Mann-Whitney U-tes)