つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

橋網様体OPNsを抑制する神経伝達物質の同定

上田 壮志 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 吉田 薫 (筑波大学 基礎医学系)


【背景】
 我々が外界から高解像度の視覚情報を取り込むには、網膜の中心窩で視覚対象像を正確に捉える必要がある。ここからのわずか数度のずれで空間分解能は激減してしまう。そのため、発達した視覚系をもつ高等哺乳類では様々な眼球運動制御系が機能しており、その一つにサッケードがある。サッケードとは「見たい」対象への高速かつ正確なステップ状の眼球運動であり、随意性にも富んでいる。サッケードには脳の多くの領域が関与しており、それらから様々な入力を受け最終的な運動シグナルを形成するのは脳幹の神経回路網である。 その主要な構成要素はBurst Neurons (BNs)とOmnipause Neurons (OPNs)である。BNsは高頻度発火により外眼筋運動ニューロンを直接興奮させ、その結果、外眼筋が急激に収縮しサッケードが起こる。OPNsは橋網様体傍正中部にある抑制性ニューロンで、BNsに投射している。注視期には持続的に活動しBNsの発火を抑制しているが、サッケード直前から活動を停止しBNsの抑制を解除する。細胞内記録により、このOPNsの活動停止がシナプス後抑制によるものであり、その膜電位変化には最初の急激な過分極と、その後の眼球速度プロフィールと酷似した変化の2つの成分があることが示された。また免疫細胞化学的手法によりOPNsにはグリシン作動性とGABA作動性の2種類の抑制性シナプスが存在することが確かめられている。

【目的】
 ストリキニン(グリシン受容体拮抗薬)及びビククリン(GABAA受容体拮抗薬)投与によるOPNの活動パターンの変化を解析し、OPNsの発火を調節する抑制性神経伝達物質を生理的に明らかにする。

【方法】
 慢性実験を遂行するため、ネコ(Felis catus)に全身麻酔下で眼球位置測定用のサーチコイル、記録部位同定用の前庭神経刺激電極、頭部固定用のソケットを取り付けた。頭蓋骨に直径7〜8mmの穴を開け記録電極刺入用チェンバーを固定した。実験は無痛的に頭部を固定し覚醒状態で行った。3連式ガラス電極による慢性イオントフォレシス法を使い、単一OPNからの細胞外記録と拮抗薬(2種とも10mM, pH3.0)の投与(retention: -20nA 〜 0nA, ejection: +50nA 〜 +490nA, duration: 3min 〜 15min)を行い、投与前後での発火パターンの変化を解析した。眼球運動は磁気サーチコイル法を用いて記録し、OPNは前庭神経電気刺激によるフィールド電位及び後述の発火特性によって同定した。

【結果】
 OPNsは、あらゆる方向、振幅のサッケードに先行して活動を停止し、その停止期間はサッケードの持続期間とほぼ等しい。そこでストリキニン及びビククリン投与の前後で、サッケード持続期間に対する発火停止期間を比較し、抑制性入力が遮断されたかどうかを調べた。またOPNs活動の停止開始はサッケード開始にわずかに先行し、再発火はサッケードの終了直前から始まる。通常、この時間差はサッケードに依らず各々がほぼ一定であるので、拮抗薬投与によるこの時間差の変化を計測し、抑制性入力のうち、時間的に異なるどちらの成分が遮断されたかを推定した。さらに水平サッケードと垂直サッケードでは異なるニューロン群がOPNsを抑制すると考えられているので、発火パターンの変化の方向特異性に関しても解析した。  ストリキニン投与により、OPNsの活動停止期間は縮小し、停止開始の遅れと発火再開の早まりの両方が見られた。また、この発火パターンの変化はどの方向のサッケードでも同様であった。一方ビククリン投与では、活動停止期間にも停止開始と活動再開のタイミングにも有意な変化は見られなかったが、注視期の持続的発火の頻度に増加が見られた。この注視期の発火頻度の上昇はストリキニン投与でも起こっていた。

【考察】
 本研究により、OPNsへの時間的に異なる2種類のIPSPsはどちらも主にグリシン受容体を介すること、また、水平系と垂直系からの抑制性入力はともにグリシン作動性であることが示された。つまり、サッケードの開始と持続に不可欠なOPNsの活動停止は性質と局在の異なる複数のニューロン群により引き起こされるが、その大部分がグリシン作動性ニューロンであると考えられる。OPNsはGABA作動性ニューロン群からも投射を受けるが、この入力は主として注視期の活動レベルに関与していると思われる。注視期のOPNs発火レベルはサッケードの起こりやすさを決める要因の一つとされ、積極的な注視中は興奮性入力、主として上丘吻側部由来の入力の増加が考えられている。本研究の結果は、興奮性入力だけでなく、GABA作動性及びグリシン作動性の抑制性入力も注視期のOPNsの活動レベルの調節に関わっている可能性を示唆する。