つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

単婚的なキアゲハの雌体内における有核精子と無核精子の動態

小林 泰平 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 渡辺 守 (筑波大学 生物科学系)


はじめに
 蝶類をはじめとする鱗翅目昆虫の精子には有核精子と無核精子の2型が存在する。有核精子は交尾時に256本をまとめた束の状態で雌に注入され、交尾終了後に精包内でほどけて、受精嚢へ移動し、受精に使われる。一方、精包内の無核精子は自由無核精子となって注入されており、これらも交尾終了後に受精嚢へ移動を開始するが受精には使われない。雄が無核精子をあえて生産し、雌に注入する理由について、精子間競争の観点から多くの仮説が立てられてきた。実は、雄が交尾嚢に注入する精包という精子を含んだカプセルには、アミノ酸やタンパク質などが多量に含まれている。雌は交尾嚢の内側の標板を用いて精包を破壊し、吸収して自らの体の維持にあてたり、未熟な卵を成熟させるための栄養源にしていることが明らかにされた。  本研究で用いたキアゲハの雌は単婚的であるので、雌が多回交尾を行なう種とは、交尾時における雄から雌への注入物質量や、それらを雌が利用する方法、交尾後の精子の移動状況などに違いのある可能性が高い。そこで、交尾後の雌の交尾嚢内における精子量と注入物質量の変化を経時的に調べると共に、人為的に雄を2回交尾させて注入物質量の変化を測定し、キアゲハの単婚制について考察した。

方法
 野外で採集したキアゲハの幼虫を室内飼育し、羽化させた雌雄をハンドペアリングによって交尾させた。これらの雌を交尾後7日目まで、水だけを与えて飼育しながら適宜解剖し、精包内の有核精子数と無核精子数、精包重量や付属腺物質重量を調べた。 交尾させた1日齢の雄を、その2日後に再び未交尾雌と交尾させ、交尾終了直後の雌を解剖して、同様に交尾嚢内の精子数や注入物質の重量を調べた。

結果と考察
 雄が初回交尾で注入した精包は約7.6r、付属腺物質は4.3rで、合計すると雄の羽化時体重の2.1%に相当する。付属腺物質の重量は交尾後7日目までほとんど変化せず、精包は交尾後7日目になって注入時の約半分に減少した。これらの結果を雌が多回交尾制であるナミアゲハと比べると、単婚性のキアゲハの雄の投資量は比較的小さく、精包の崩壊速度はかなり遅いことが分かった。キアゲハの精包は雌にとっての栄養物を少量しか含んでいないか、雌の標板では破壊されにくい特徴をもっているといえる。交尾嚢内の精包が大きいと雌は交尾拒否行動を解発するので、もしキアゲハの雌が多回交尾を行なうとしても初回交尾と2回目交尾の間隔は長くなるにちがいない。  雄が1回の交尾で注入した有核精子束は約100本、無核精子は約20万本だった。無核精子は交尾直後から、有核精子は交尾後3時間目から受精嚢へ移動を開始したが、どちらの精子も交尾後5日目までの精包中に残存していた。ナミアゲハの雄が1回の交尾で注入する有核精子束数はキアゲハの雄の約1/3だったが、ナミアゲハの雌の生涯の交尾回数は約3回だったので、両種の雌が生涯に雄から受け取る有核精子数にはほとんどちがいがないといえる。  雄が2回目の交尾で注入した精包の重量は初回交尾時の約65%で、付属腺物質は約75%あった。2回目の交尾の精包中の有核精子束数と無核精子数は、初回と比べて有意な違いは認められなかった。ナミアゲハの雄は、2回目の交尾において、初回交尾と比べて精包量と付属腺物質量を減少させるが、吸蜜によって注入する精包と付属腺物質の重量が増加することが報告されている。もし、キアゲハの雄も吸蜜によって精包量と付属腺物質量を増加させられるのなら、雌の単婚制は雄の生殖能力(生涯交尾回数)の限界のためではないといえよう。


図1:1回交尾したアゲハ類の雌の交尾嚢と受精嚢の模式図

図2:雄が初回交尾と2回目交尾で注入した物質量と精子数の変化(±S.E.) (***:P<0.001、Mann-Whitney U−検定)