つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

ノシメトンボが静止する林内ギャップと飛翔する水田における温度環境の垂直分布

諏佐 晃一 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 渡辺 守 (筑波大学 生物科学系)


<はじめに>
 ノシメトンボは日本の里山環境に広く生息するアカネ属の一種で、水田で羽化した後、隣接する山林に移動して、性的に成熟するまでそこで過ごすという生活史をもっている。しかし一般のアカネ属とは異なり、成熟した後も半数以上の個体は林内のギャップに終日留まり、percher的な行動を示すことが明らかにされてきた(図1)。晩夏の林内ギャップは閉鎖的な環境で比較的涼しい。しかし、雌雄は連結して炎天下の水田へ飛来し、連結打空産卵を行なっている(図2)。このように水田ではflyer的な行動を示すので、活動中の個体は直射光に加えて飛翔筋の活動による発熱が加わり、体温が過剰に上昇する危険性が高い。本研究では、温度環境が大きく異なる2つの生息地で活動する本種の生活史を解明するため、それぞれの温度環境を測定して活動中の個体の胸部体温と比較した。

<方法>
 調査は、長野県北安曇郡白馬村神城地区の林内ギャップと水田において行なった。それぞれの場所で気球を上げ、高さ別の輻射温度を測定した。気球は市販の90Lの半透明のポリ袋にヘリウムガスを注入し、デジタル温度計を取り付けたものである。また、気温や照度、風速も測定している。
 本種の成熟成虫の活動期にあたる8月下旬には、水田上空の各高度を飛翔中の連結態の数を数えた。また、それぞれの生息地で発見した成虫の胸部温度を測定した。測定は捕獲後10秒以内に胸部腹面から直径0.2?の熱電対を挿入して行なっている。この時、同時に気温と輻射温度、照度、風速を測定した。

<結果と考察>
 ノシメトンボが過ごしている林内ギャップは5m×5m程度で、周囲は主として20mほどのスギの木立が囲んでいる。そのため、南中時を除くと、ギャップの林床まで到達する直射光は少なく、林床で測定した輻射温度は水田に比べて約6℃も低くなっていた。この輻射温度はギャップ内の上空20mに比べて2〜4℃低い。したがって、ノシメトンボにとって、林内ギャップは強い日差しによる体温の過度な上昇を避けることができ、過ごしやすい生息地だったといえよう。水田へ行かなかった個体は、ここに留まって採餌活動を行ないながら休息している。彼らの体温は27℃前後であった。
 連結態となって産卵に訪れる水田では、気温は低くとも、強い直射光の影響で輻射温度は30℃を超えるのが常であった。連結態の多くは、稲上1〜3mの高さを飛翔し、ほとんどが連結打空産卵を行なっていた。3mを超える高さの連結態は飛翔中で、飛翔速度は速く、移動中とみられた。連結態は直射光を浴びながら常に飛翔しているため、飛翔筋の活動による代謝熱が輻射熱に加わって、雌雄の体温は40℃前後まで上昇していた。しかし、水田における輻射温度の上昇と体温上昇の関係は、ギャップ内で観察された個体における体温上昇速度よりも小さくなっていた(図3)。ノシメトンボは、飛翔中に体側を流れる比較的冷たい空気に熱を放散させて体温の過度の上昇を抑制し、晩夏の水田における繁殖活動を可能にしていたと考えられる。


図1.林内ギャップで静止しているノシメトンボの雌. 図2.稲の直上で連結打空産卵中のノシメトンボ.


図3.林内ギャップにおいて静止していた個体と水田において連結飛翔中の個体の胸部温度と輻射温度の相関関係.図中の破線は気温に付加される輻射熱と胸部温度が等しいことを示す.