つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

八丈島にて採集された新種無色鞭毛虫の系統分類

行方 章善 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 井上 勲 (筑波大学 生物科学系)



【背景】

 近年の分子系統解析技術の発達により,真核生物の系統的多様性の研究が盛んに行われている。その過程でケルコゾアなどこれまで認識されていなかった大きな系統群の存在が明らかになりつつある。しかし,個々の系統群間の関係や系統群内での多様性に関しては不明な点が多い。これは原生生物,特に鞭毛虫に関する基礎的な多様性の研究が不十分なためであり,未記載種や十分な調査がなされていない種が多数残されている。真核生物の多様性についての理解を深めるにはこれまで調べられてこなかった鞭毛虫についてさらなる研究が必要である。

 このような現状のなかで2003年6月、東京都八丈島にて新規の無色鞭毛虫を採集、株の確立に成功し、以下の研究を行った。


【目的】

 採集した無色鞭毛虫を光学顕微鏡、電子顕微鏡を用いて観察し、形態形質を明らかにするとともに、分子系統解析を行う。これにより本生物の分類・系統的位置を明らかにする。


【材料と方法】

 2003年6月,東京都八丈島火潟の沿岸水を採取し,PES培地により粗培養を行った。希釈法により株を確立し,同培地を用いて20℃で培養を行った。観察には光学顕微鏡,透過型電子顕微鏡(ホールマウント法、超薄切片法),走査型電子顕微鏡を用いた。また18S rRNA遺伝子のPCR増幅,塩基配列決定を行い、系統解析を行った。


【結果】

 細胞はほとんどの場合基質に密着しており、基質上を這って運動していた。細胞は背腹方向に非常に扁平であり、背側から見ると直径3〜5μmでほぼ円形であった。鞭毛は1本,長さ約10μm ,細胞前端やや左側から生じて細胞腹面左側を通って後方へ伸びていた。また、鞭毛先端には長いアクロネマ構造(中心微小管対のみが伸張したもの)が確認された。細胞右側がやや厚く,ほとんどのオルガネラがこの部分に存在するのに対し,左側は特に薄く目立った構造は見られなかった。細胞前端部付近に2個の基底小体が存在し、その近くに核、ゴルジ体様の構造が確認された。複数のミトコンドリアが存在し,クリステは盤状であった。また、数個のエクストロソーム、バクテリアを含む小胞などが確認された。

 18SrRNA遺伝子配列を用いた系統解析では、この生物がケルコゾアに属することが示された。ケルコゾアの中ではFilosa(クロララクニオン藻,鞭毛虫・アメーバ類の一部)に含まれたが,明確な近縁生物は示されなかった。


【考察】

 本生物はサイズ、細胞外見の点でDiscocelis saleuta に類似しており,細胞周縁部におけるエクストロソームの存在や細胞の非対称性でも共通している。しかし両者は鞭毛の数や配行、鞭毛のアクロネマ構造の有無、ミトコンドリアクリステの形状などの点で大きく異なる。他に類似する形態をもつ生物は記載されていないため、本生物は新種であると判断される。また分子系統解析の結果、本生物がケルコゾアに含まれることが示されたが,ケルコゾアは一般に2本鞭毛,管状ミトコンドリアクリステをもつ生物であり,これらの点で本生物は特異である。ケルコゾア内での系統的多様性は未だ明らかになっていない点が多いが,本生物は独自の系統群であると思われる。この点を明らかにしていくためには,Discocelis も含めてさらに多くの種の形態・分子形質を明らかにしていかなければならない。ミトコンドリアクリステの形状は一般に大きな系統群の中で一定の形質であるが,ケルコゾア内には本生物を含めて例外的な存在が見られる。本研究での分子系統解析の結果を併せて考えると,ケルコゾア内においてミトコンドリアクリステの変化が平行的に何度か起きたと考えられる。