つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

東京湾産新種プラシノ藻の研究

秦 千夏子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 井上 勲 (筑波大学 生物科学系)



目的
 緑色植物門(Division Chlorophyta)プラシノ藻綱(Class Prasinophyceae)は、そのほとんどが単細胞の鞭毛藻からなり、緑色植物の中では原始的な生物群である。プラシノ藻に共通の性質としては、1)鞭毛は細胞前端の窪みから生ずる。2)多くの緑色植物と異なって鞭毛の先端は鈍頭である。3)鞭毛と細胞の両方もしくは一方の表面は、ゴルジ体由来の有機質鱗片に覆われる。4)主に2分裂による生殖をおこなう、等が挙げられる。しかし、鞭毛装置や遊泳方向、鞭毛運動の性質や細胞形態等、他の緑色植物においては高次分類群で安定している基本的性質が、プラシノ藻の場合は属レベルで著しく異なっており、これはプラシノ藻が緑色植物の進化初期に様々に分岐した系統を含むことを示唆する。したがって、緑色植物の系統進化を考えるうえで、プラシノ藻は極めて重要な生物群であるといえる。
 2003年8月に東京湾内で採取された海水サンプル中に、特徴的な遊泳を行なう緑色鞭毛藻が観察された。これを単離、培養して調査するうち、プラシノ藻綱ピラミモナス目(Pyramimonadales)に属する生物であることが分かった。しかし記載されている種には一致するものが見られない。そこで、本研究では形態および分子系統解析の側面からこの生物の系統的な位置を探った。

方法
 サンプル中からこの生物をマイクロピペット法で単離し、URO培地およびf/2培地を用い、20℃、12h light:12h dark の条件下で培養した。光学顕微鏡(正立、倒立)と電子顕微鏡(SEM、TEM)を用いて観察を行なった。また、18SrDNA塩基配列を決定し、分子系統解析を行なった。

結果・考察
 光学顕微鏡下で観察したところ、本生物の細胞は豆型で(長径5-8μm)、細胞背側に沿って黄緑色の杯状葉緑体が1つあり、その中央にピレノイドが1個存在した。細胞腹面の窪みからは4本の長い等長鞭毛(長さ20-30μm)が生じていた。通常は鞭毛を放射状に広げて鞭毛打による前方遊泳を行なうが、ときに4本の鞭毛を揃えて後方遊泳を行なった。また、ホールマウント試料を用いた透過型電子顕微鏡(TEM)による観察では、本生物の細胞体および鞭毛は複数種類の鱗片で覆われていた。本生物に見られる細胞の形態、鱗片および後方遊泳の形式はプテロスペルマ属(Pterosperma)(プラシノ藻綱ピラミモナス目)に極めて類似しているが、プテロスペルマ属において詳細に調査されているP.cristatum では、本生物に見られたような放射方向の鞭毛打による前方遊泳は観察されていない。P.cristatum に見られる後方遊泳のみという性質は緑色植物における原始的な性質として捉えられているが、本研究の結果は、前方遊泳と後方遊泳を行なうものが原始的であり、P.cristatum において二次的に前方遊泳が失われたことを示唆している。
 また、18SrDNA塩基配列を決定し、系統解析を行なったところ、形態形質から示唆されたように本生物はP.cristatum に最も近縁であったが、塩基配列には若干の差異が見られた。 
 培養を長期間続けるうちに、一部の遊泳細胞はシャーレの底面から動かなくなって鞭毛を失い、壁を持つ球形の不動細胞になった。このような細胞をファイコーマ(phycoma)と呼ぶ。ファイコーマは時間経過につれて大きくなり(本生物では最大20μm)、内部で多数の遊泳細胞が形成され、のちに放出される。ファイコーマを走査型電子顕微鏡(SEM)で観察すると、表面全体には大小2種類の突起状構造が確認された。プテロスペルマ属の定義形質の1つとしてファイコーマ表面に翼状突起をもつことが挙げられるが、本生物はそれに合致しない。類似した遊泳細胞をもつが、ファイコーマ表面に翼状突起をもたない生物としてパキスファエラ属(Pachysphaera)がある。本生物のファイコーマ表層構造は既知のパキスファエラ属のものに似るが、突起の形状など異なる点もある。
 以上の結果を総合してみると、本生物はプテロスペルマ属と極めて近縁なパキスファエラ属の新種とするのが適当であると考えられ、さらにTEM観察によって微細構造を調べるなどの研究を続けている。