つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

微小手術を用いたゾウリムシの遊泳行動の解析

原田 敬志 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 大網 一則 (筑波大学 生物科学系)


導入
 淡水性の単細胞生物、ゾウリムシ(Paramecium caudatum)は細胞表面にある、多数の繊毛を打つ事により遊泳する。繊毛の有効打の方向はゾウリムシの前後軸に対して右斜め後ろであるため、繊毛はゾウリムシを前進させる力とともに左に回転させる力を生じる。繊毛が細胞全体に均一に分布し、それらが全て同じように打つ場合、ゾウリムシは回転しながら直進する事になるが、実際のゾウリムシの遊泳軌跡は螺旋を描いている。ゾウリムシが螺旋を描く原因は、餌を取り込むために運動している、口の周囲の繊毛の発生する力による可能性が指摘されているが、実験的な根拠は示されていない。
 一方、ゾウリムシの遊泳活性は、様々な刺激により変化する。ゾウリムシの示す行動反応は、細胞にあるそれぞれの刺激に対する受容体を介して生じていると考えられる。今までの実験から、機械刺激や化学刺激に対するゾウリムシの受容体は細胞の特定の部域に存在する事が示唆されている。このような受容体の局在は単純な体制を持つゾウリムシが、より複雑で合目的的な行動をとるために重要である。
 この実験では、ゾウリムシの細胞を微少手術により切断し、得られた細胞の断片を用いて、ゾウリムシの遊泳行動を解析した。特に、口部構造が遊泳行動に与える影響について調べた。また、同様の標本を用いて機械刺激とKイオン刺激に対する受容部域の局在について明らかにした。

材料・方法
 ゾウリムシ(Paramecium caudatum)は麦藁の浸出液で培養した。ゾウリムシの遊泳は実体顕微鏡下、暗視野照明で観察し、ビデオカメラにより記録した。ゾウリムシの細胞断片は、ガラス管微小キャピラリーを用いて細胞を切断して作成した。ゾウリムシを含んだ標準液(1mM KCl, 1mM CaCl2, 1mM Tris-HCl, pH 7.4)をスライドガラス上にのばし、ガラス表面に先端が接するように置いたキャピラリーを素早く移動させると、様々な部位で切断されたゾウリムシの断片が得られた。手術後のゾウリムシの断片は、少なくとも、1日以上は遊泳を続けた。ゾウリムシの細胞における刺激受容部域の局在についても同様の標本を用いて調べた。今回の実験では機械刺激とKイオン刺激に着目し、刺激に対する行動反応を、通常の細胞、前半の細胞断片、後半の細胞断片について比較した。

結果
1)ゾウリムシの遊泳行動
 ゾウリムシは平均速度1.12mm/sec(N=20)で、左螺旋を描きながら遊泳していた。溶液全体に機械刺激を与えると、ゾウリムシの遊泳速度がわずかに増した。一方、前進遊泳しているゾウリムシが前方の障害物に衝突すると、比較的短時間(1秒以内)の後退遊泳を行い、障害物を回避した。
2)細胞前半と後半の断片の遊泳行動の違い
 ゾウリムシを切断した断片は、切っていない細胞と同様に、左螺旋を描いて前進遊泳を行った。また、細胞前半と後半の断片の遊泳行動の違いはほとんど見られなかった。
3)口部構造のある断片とない断片の行動の違い
 口部構造がゾウリムシの遊泳行動におよぼす効果について調べるために、口部構造を含まない、細胞前端部約1/3の断片を作り、遊泳行動を記録した。細胞前端部断片は左螺旋を描いて前進遊泳した。切断していない細胞との前進遊泳行動の違いはほとんど見られなかった。
4)細胞前半と後半の断片の機械刺激に対する反応の違い
 断片の前端部を障害物にぶつけた細胞前半の断片は、一過性の後退遊泳を示した。これとは対照的に、細胞後半の断片は、その前端を障害物にぶつけた時に後退遊泳をしなくなるものが見られた。
5)細胞前半と後半の断片のKイオン刺激に対する反応の違い
 細胞断片を用いて、Kイオン刺激に対する反応が細胞の部域により異なるかどうか調べた。標準液に順応させたゾウリムシの細胞を高濃度K刺激液に入れると、十数秒間後退遊泳した。細胞の断片は、前半部分も後半部分も、高濃度K刺激液に対し、同様の後退遊泳を示した。しかし、細胞断片の示す後退遊泳の持続時間は正常細胞に比べて顕著に長かった(前半断片で約40秒、後半断片で約50秒)。

考察
a)ゾウリムシが螺旋状に泳ぐ原因について
 結果の3に示すように、口部構造を持たない細胞断片は細胞全体と同様に、螺旋遊泳を行った。この事実より、ゾウリムシが螺旋状に遊泳する原因が、口部付近の繊毛にあるとする説は否定される。もし、細胞全体の繊毛が均一に力を発生した場合、螺旋状の遊泳は生じないと考えられる。従って、細胞の部域による繊毛運動が異なることにより、螺旋状の遊泳が生じていると考えられる。今回の実験から明らかになったように、細胞の前半と後半の断片で遊泳に違いが見られないため、細胞の前後軸に沿った不均一性は螺旋遊泳の原因とはならないと考えられる。一方、もし細胞の背腹軸に沿った繊毛打の不均一性があるのであれば、螺旋遊泳を説明するのに都合がよい。すなわち、背側の繊毛打が常に強い場合、細胞を背腹軸に対して腹側に回転させるモーメントを生じることとなる。細胞を前方に押す力と前後軸に対して回転させる力、さらに、この背腹軸に回転する力が働くことにより、ゾウリムシは螺旋遊泳を行うものと考えられる。現在、細胞を水中で固定し、細胞の周囲で生じる水流の強さを調べることにより、背側と腹側の繊毛打の違いを確認する実験を始めている。
b)刺激受容体の局在について
 細胞断片を用いた今回の実験から、機械刺激に対して後退遊泳を生じる反応の受容器が、細胞前半部分に局在することが示された。この結果は、これまでの報告にある説を支持するものである。一方、Kイオン刺激に対する受容器は細胞全体に存在することが示唆された。これらの結果は、刺激の種類による、受容器分布の多様性を示している。