つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3, XX   (C)2004 筑波大学生物学類

細胞性粘菌における配偶子特異的新奇ras遺伝子の解析

古屋 葉子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官: 漆原 秀子 (筑波大学 生物科学系)


背景及び目的
 細胞性粘菌Dictyostelium discoideumは、生活環のほとんどを単細胞アメーバの形態で生活しているが、暗条件、過剰な水分下では性的に成熟し、有性生殖を行う。有性生殖では、相補的な交配型間での細胞融合を経て、マクロシストという多細胞体の休眠構造が形成される。細胞性粘菌では、性的成熟の人為的な誘導が容易であり、分子遺伝学的手法も確立されているため、有性生殖のモデルとして適している。我々の研究室では、性的に成熟した細胞(fusion-competent cell; FC細胞)由来のcDNAから性的に成熟していない細胞(fusion-incompetent cell; IC細胞)由来のcDNAを引いたサブトラクションライブラリー(FC-ICライブラリー)を構築している。このライブラリーに含まれる遺伝子を、有性生殖を支配する重要な遺伝子として解析が行っている。
 本研究では、FC-ICライブラリー中の新奇ras遺伝子を解析する。この遺伝子は、発現量のFC/IC比が最も高く、特に重要な遺伝子と考えられる。

方法及び結果
 FC-ICライブラリー中の新奇ras cDNAクローン配列をもとに、細胞性粘菌のゲノムデータベースからras周辺のゲノム配列を取得し、rasORF配列を予測した。ORF配列が正しいことを確認するために、まずノーザンハイブリダイゼーションを行った結果、検出されたmRNAのサイズは予測と合っていた。次に、予測ORFとその5’上流領域を含むとみられる別のcDNAクローンの配列とゲノム配列を決定した。これにより、ORF開始点を同定し、予測した新奇ras ORF配列が正しいことを確認した。新奇Rasのアミノ酸配列には、Rasタンパク質に特徴的なGTP結合ドメインやエフェクタードメインが保存されていた。
 細胞性粘菌では、互いに相同性の高い5つのRas (RasD, RasG, RasB, RasS, RasC)が既に同定されている。新奇Rasのアミノ酸配列と、NCBIのデータベースから取得した他のRasの配列との相同性を調べたところ、39-51%の相同性があった。他のRas間の相同性は50%以上(52-82%)であるので、やや相同性は低い。一方、細胞性粘菌のゲノムデータベースを調べたところ、新奇ras周辺に、新奇rasとの相同性が非常に高いORFと見られる配列が5つあることがわかった。これらORFの有性生殖時の発現に関する情報は先行実験では明らかとなっていなかったため、新奇rasの機能解析をまず行うことにした。
 機能解析の方法として、新奇ras遺伝子破壊株の作製をし、その表現型を調べることにした。bsrカセットを持つ遺伝子破壊ベクターを作製し、細胞性粘菌に形質転換した。ゲノムと遺伝子破壊ベクターの間で相同組み換えが起きた場合、ras内の5’側の領域が、bsrに置き換わることになる。形質転換した細胞は、bsrを含む液体培地で静置下での選択培養を行った。Bsr耐性を得た形質転換体についてdirect PCRとサザンハイブリダイゼーションを行い、遺伝子破壊を確認した。現在までに、2種類ある交配型の一方の株(KAX3)について4クローンの遺伝子破壊株を得た。これらの株は、通常の細胞性粘菌の培養条件下において生育に異常は見られなかった。有性生殖における細胞融合率やマクロシスト形成能については、現在解析中である。

考察
 今回決定した新奇rasの配列からは、新奇Rasが”Ras”として機能している可能性が十分に考えられる。さらに、粘菌のゲノムデータベースを調べた結果ファミリーを形成している可能性が出てきた。新奇rasと非常に相同性の高い他のORFが有性生殖時に発現しているかどうかは、今後調べる予定である。現在までに作製した遺伝子破壊株について、有性生殖能の有無を中心とした表現型の解析を行っているが、異常が見られなかった場合、これらのORFの破壊も検討する必要がある。
 現在、もう一方の交配型の株(V12)についても遺伝子破壊株の作製を行っている。これは、遺伝子破壊株と有性生殖を行う交配株が野生型の場合、細胞の融合などによって遺伝子破壊株で欠損した機能を野生型の交配株が補う可能性があるためである。この可能性を考え、両交配型の遺伝子破壊株間での有性生殖の表現型を調べる予定である。
 今後新奇rasの機能解析をさらに詳細に行い、細胞性粘菌における有性生殖のメカニズムの一端を明らかにしたい。