つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200405JH.

特集:平成15年度生物学類授業評価結果公開

教育改革の実験:「つくば生物ジャーナル」による生物学類授業評価の完全公開

林 純一 (筑波大学 生命環境科学研究科、 生物学類長)

生物学類授業評価の背景

 21世紀は生物学の時代といわれ、クローン人間、再生医療、遺伝子治療、遺伝子改変作物、環境保全など、生物学の話題が連日のように社会をにぎわわせている。もはや生物学は、「受験」ではなく「研究」の世界では「自然科学(理科)」や「生命科学」の中枢に位置するようになった。だからこそ生物学類への社会からの期待も大きく、伝統的重みに加え、社会の要求に迅速に対応したクオリティーの高い学習プログラムの提示が急務となってきた。
 このような時代背景にあって、生物学類は昨年度(平成14年度)からオンライン月刊誌「つくば生物ジャーナル」を創刊し、学内外とのコミュニケーションの場として独創的な活動を開始した。さらに、昨年度(平成14年度)1年間をかけた生物学類教員会議での議論と審議により、今年度(平成15年度)から全学で初めて「TWINS」による授業評価を導入した。これらの一連の動きは、筑波大学が法人化を迎えるからだけではなく、近年の生物学分野の急速な進展に対応するためのものでもある。その意味で、生物学類は「教育改革のフロンティア」として様々な教育改革実験を遂行すべき立場におかれており、その一つがTWINSによる授業評価と評価結果の完全公開なのである。

授業評価導入の目的

 目的の第一は生物学類生の授業参加意識の向上、第二は生物学類授業担当教官の授業内容の向上(ファカルティー・ディベロップメント:FD)である。むしろFDのため、最も有効で最も手間がかからない手法が授業評価と結果の公開ではないだろうか。そこで生物学類生には、授業評価への積極的参加のみならず、その目的がFDであり公開を前提としているため、授業を行った教官に対し授業改善に役立つ真摯なコメントを書くよう事前にアピールした。
 受講生には自分の講義内容の真の価値がわからないから評価する資格がないという意見もある。しかし、一つはっきりしていることは、どんなに奥行きが深く優れた講義内容でも、聞き手にそれを理解する下地がない場合は「馬の耳に念仏」であり、受講生の実状も配慮した臨機応変な対応が望まれるということである。

TWINSを採用した理由:

@TWINSの弱点=低い回答率:筑波大学新聞は2003年9月19日号のトップ記事で、一橋大学の授業評価の回答率が90%であったのに、筑波大学のTWINSによる電子回答(TWINS方式)は6%で、直接回収(一橋方式)との間に大きな差が出たと報じた。しかし授業終了後にアンケート用紙を配布しその場で回答させて回収する一橋方式は、回答率が高くなるのは当たり前の話で、これは既にどこの大学でもやっている陳腐な方法である。しかもこの方式は筆跡が残るなど「匿名性」に重大な欠陥がある。つまり学生の本音が必ずしも出ていない可能性が強く、それを真に受けて授業改善に役立てようと言うのはあまりにも空しい。
ATWINSの利点=高い匿名性+情報処理の簡便性:もちろん匿名性が高くても僅か6%の評価を真に受けるのはもっと空しい。「低い回答率」と「高い匿名性」。このジレンマ解消のため行った生物学類の啓発活動は、56%の高回答率となりTWINSの致命的弱点を完全に補った。今回生物学類が、あえて「TWINS方式」を実施した第一の理由は、この「匿名性」を重要視したためである。実際筆者の例で言うと、以前まで個人的に行ってきた一橋方式の授業評価では概ね好意的な意見が占めていた。しかし今回のTWINS方式の評価結果を見てその落差に目を見張った。さまざまな改善すべき点が自由な言葉で指摘されており、受講生のこれまでとは全く違う率直な生の声がそこにあった。
 TWINS方式のもう一つの大きな魅力は回収後の「情報処理の簡便性」にある。これは、ただでさえ人手や予算の足りない学類組織としては、「継続性」の視点からも極めて大きな利点なのである。

筑波大学と生物学類のTWINS方式の違い

 第一に、生物学類教員会議での徹底的な議論と合意、そして評価する生物学類生への事前の啓発など、導入前に周到な準備をしたことである。これは回答率に歴然とした差として現れた。また筑波大学は以前に公開を前提としないアンケート結果を公開し、教養教育でD評価を受けた経験がある。したがって、この啓発活動の目的はTWINSの弱点である回答率を上げるだけでなく、評価結果は「公開を前提」とするためそれなりの真摯な対応を学類生にアピールすることでもあった。
 第二は生物学類の授業評価はFDが目的なので、コメント欄を設け、「評価できる点」と「改善すべき点」も提案してもらうことにしたことである。5段階(生物学類は3段階)評価結果のヒストグラムだけを見せられても、具体的にどのように改善すればよいのかわからないからである。ただし、コメントを記入する「生物学類方式」は多くの手間と時間を生物学類生に要求することになった。それにもかかわらず56%の回答率で応じてくれた生物学類生には心から感謝したい。

「つくば生物ジャーナル」による完全公開の必然性

 生物学類ではこの驚異的な回答率を受けて、評価結果を担当教官と学類生に公開するだけでいいのかという議論になった。もちろん、何も生物学類内部の問題を、直接関係のない一般社会にわざわざ公開する必然性はないという考え方もある。しかしその場合、授業に対するいい加減な批判や、批判に対するいい加減な対応、無視、なれ合いなどがまかり通る可能性がある。真のFDのためには、密室ではなくガラス張りで世間に見える議論がなされなければならない。世間から見られていたのでは評価する学生側もわがままで身勝手なコメントは恥ずかしくて書けないはずである。これによって、評価される側だけではなく、評価する学生側もその見識が問われ、お互いに緊張感が生まれる。その際の情報公開媒体としては、冒頭で述べた「つくば生物ジャーナル」が活用できる。
 そして遂に生物学類は2003年11月19日の第211回教員会議での審議により、この「つくば生物ジャーナル」による生物学類授業評価の完全公開を決定した。「TWINS」と「つくば生物ジャーナル」はFDの両輪として今後大きな光りを放つはずである。
 もちろんここに至るまでには運営委員会、カリキュラム委員会で長い時間をかけてさまざまな視点からの検討がなされた。完全公開に踏み切ることができた理由は三つある。第一は初めから公開を前提として授業評価を行ったこと。第二はTWINS方式にもかかわらず回答率が高かったこと。第三は公開の際、学生のコメントに対し教官側のコメント欄も設け、学生のわがままともとれるコメントがあれば、教官側からの対応もできるようにしたことである。これは又とない良い教育の機会でもある。そして以下のリスクを負ってもなお完全公開は価値があると判断したのである。

完全公開された場合に予測されるリスク

@学生への迎合と個性の喪失:完全公開の結果、世間や学生の目が気になって学生に媚びる授業内容になり、教官の個性が失われたのでは本末転倒になる。授業評価を気にして研究がおろそかになるのはもっと困る。そこで、授業評価の目的がFDであり決して教育評価が目的ではないという了解が必要になる。そうは言ってもいずれ議論も合意もなしにトップダウンで教育評価に使われるかも知れない。しかし、だからこそその前にきちんとしたシステムを先取りして構築し、堂々と対案として提示できる実績をつくっておく必要がある。それにもかかわらず、授業評価を教育評価に利用するような茶番を強制される事態になるかも知れない。しかし、仮にそうなったとしても、自分の信念とプライドを持ってその茶番に臨むべきではないだろうか。
A第三者による評価項目の加工とその結果の一人歩き:公表されたデータが第三者によって興味本位に加工されたり、コメントの一部だけを取り上げて問題視されるなど、思いも寄らぬ問題点が出てくる可能性がある。このようなリスクは完全に排除できない。このため自分の授業評価結果を完全公開するか否かの決定を、自分の意志で選択できるという余地は残しておく必要がある。

“生物学”の教育業績は研究業績と一致する

 授業評価を教育評価に使わないのであれば、教育業績をどのように評価べきかという問題が残る。法人化されればこれまで以上にきちんとした教育評価が要求される。生物学の「研究業績」は原著論文数や掲載雑誌の論文引用頻度の高さ(インパクト係数)等によってある程度「客観的で定量的」な評価が可能であるのに対し、「教育業績」の客観的で定量的な評価は極めて難しい。
 筆者は教育業績に対し、恩師の平林民雄(本学名誉教授、元副学長)から教示を受けた「教育業績と研究業績は一致する」という考え方を大切にしている。教育評価で最も重要なことは授業評価が高いことではない。授業のうまさだけで評価するなら予備校の先生の方がはるかに優れている。確かに既存の知識を効率良くおもしろおかしく教えることは重要だ。しかし、生物学類教育の神髄は、「誰も発見していない新しいフロンティア」に向かって研究を進めていくサイエンスの醍醐味を教えることである。極論を言えば、今回授業評価の対象となった「授業・実験実習」は単なる露払いにすぎない。匿名性の問題から評価の対象とならなかった「卒業研究」こそが学類教育の集大成なのである。
 したがって、卒業研究指導学生数の多い教官、質の高い卒業研究課題を提供できる教官こそ、高い教育業績をあげていると言えるのではないだろうか。そして生物学類生の高い大学院進学率を考えると、当然その教官の研究室からは「客観的定量的」に評価できる質の高い研究論文が多く生まれることになる。ここに「教育業績と研究業績は一致する」という考え方が成立する。

授業評価完全公開の継続性

 さて、授業評価と評価結果の完全公開を継続するためには、今回実際に評価を行った生物学類生も参加して来年度(平成16年度)以降の評価方法等のアイディアを出してもらい、今年度(平成15年度)の反省を含めてより適切な生物学類授業評価公開制度を再構築しなければならない。いずれ授業だけでなくカリキュラム全体の評価も必要になるだろう。これらの取組が、希望を胸に入学してきた生物学類生に充分な満足感を持って卒業してもらうことの助けになることを願っている。


TWINS:筑波大学が平成14年度から導入した新学務システムのことで、ここにあるデータベースに登録されている授業の履修申請を学生が行い、教官は成績報告を行う。休講の掲示や、アンケート機能を使うと授業評価もできるシステムである。TWINSという名称は、Tsukuba Web-based Information Network System の略称であるが、同時に、ふたつの峰からなる筑波山、筑波大学の学園祭の呼称である双峰祭を意味している。

(はやし じゅんいち/細胞生物学)

『筑波フォーラム66号 特集 シリーズ「筑波大学の将来設計」C 教育評価―法人化を迎えて 41-45ページ、平成16年3月、筑波大学』より転載

Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received January 6, 2004.

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