つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200406KS.

環境と農薬 〜微生物共同体の不思議〜

薩摩 孝次(財団法人 残留農薬研究所 化学部代謝第2研究室)

 筆者は,土壌(中の微生物)によって,農薬(放射性同位元素で標識したもの,トレーサー)がどのように分解消失するか調べる事を職業としている。マイナーである。バイオだ,ナノテクだといった流行の世界からは程遠い。しかし,いずれも人類にとって必要不可欠なものであるという使命感を持って日々,試験研究に励んでいるつもりである。

 昨今開発される農薬は,「良く効いて,毒性が低く,なおかつ環境中に残留しない」という厳しい条件を突き付けられていて,昔のただ良く効くだけのものとはわけが違ってきている。この点は,農薬嫌いな人も心すべき点であろう。現代の農薬の構造は,ベンゼン環やヘテロ環がたくさん繋がっていたりして複雑であるが,畑や水田の微生物はたいていこれらを,それなり時間はかかっても(余り早いと薬効がなくなる),水や二酸化炭素まで分解するか,土の有機成分に取り込んでしまう。我々は試験する農薬が分解していくのを検出して安心しているわけであるが,考えてみればこれは不思議な事で,微生物達は頼まれもしないのにどんどんそういった人工化学物質を分解してくれるのである。これは人間のためではなくて自らの住処である自然環境を守るためと考えるべきであろう。

 すなわち,人間個人個人の体と同じく,自然生態系も全体として一つの生命体であるかのように免疫機構を働かせているように思われる。現代人の生活に医薬が必須であるように,現代の農耕地には農薬が必要である(社会構造的な側面も含めて)。もちろん,風邪一つひかない丈夫な人がいるように,まったく農薬も肥料もいらないような農地も存在するが。

 ヒトの体内に薬剤などの異物が入り込んだ時,免疫系が働き,それを解毒しようとする。自然生態系においてもまったく同様の解毒反応が起こる。環境中の微生物はさしずめ抗体かマクロファージあたりに相当するといえようか。ただし,解毒能力にも当然限界はあり,分解に極端に時間がかかる物質を繰り返し摂取,放出すればそれはどんどん蓄積されて行く事になる。DDTやBHCなどはその例であろう。幸いにも人類はその事に気づいて現在は製造中止となっているが,もしこのような化学物質を流しつづけたなら人間も生態系も死ぬであろう。そこに現れるのはすなわち「風の谷のナウシカ」の舞台となった「腐海」ということになろうか。腐海では諸悪の根源である人間は排除され,植物(おそらく微生物も)による浄化機能が働くわけであるが,これは今風に言えば巨大なファイトレメディエーション装置ではないか!? ただし人間のためではなく,自然生態系そのもののための。

 さて,そのようなロマン?を感じつつ,筆者は農薬そのものの分解を追跡しつつ(委託試験),分解に係わる微生物の生態的な挙動について解明することを研究テーマとしている。Chemistとして分析をし,金を稼いでいるが,研究者としては筑波大学生物学類出身であるし,Biologistのつもりである。信条としては,微生物を利用して何かしよう,儲けようというのではなく,あくまで自然(農耕地を含む)環境中での微生物の動き,役割を解明したいというアカデミックな(金にならない)ものである。

 最近取り組んでいるのは,河川生態系モデルを構築し,そこでの農薬分解性微生物を調べるといったものである。モデルといっても要は川から水と砂を取ってきて瓶詰めするだけなのであるが,これで結構面白いことが分かってきた。アトラジンという除草剤(トリアジン環の炭素を14Cで標識したもの)をこのモデルの水に加えてやると,砂の中に生息している分解能力を持った微生物がそれを感知し,増殖を始める。ただしアトラジンの分解はすぐ起こるのではなく,いわゆるラグタイムというものがあって2週間前後はただ砂に吸着されて減少するくらいである。それがラグタイムを経過すると突然急速な分解が始まり,一週間程度で水中のアトラジンは消失してしまう(図1がその典型例)。どうやらアトラジンを分解する微生物はラグタイムの期間中は砂の中あるいは表面で増殖し分解は行わないようなのであるが,ラグタイムが終了すると(それがどうやって決まるのかは不明かつ興味深いのだが)菌体がいっせいに水中に浮遊し,分解を開始する(図2)。このとき水中の微生物を顕微鏡でのぞくと,直径が1〜2μmという大きな菌がぽつぽつ浮かんでいるのが観察できる。通常,環境中の微生物は貧栄養状態に適応していて,0.5 μm以下という微小なものが大部分を占めており,1 μmあればかなり大きいといえる。このあたり,同じ微生物でも栄養豊富な実験室の培地上でどんどん増える大腸菌などとはかなり様子が異なる。

図1 河川生態系モデル内でのアトラジンの分解

 アトラジンは脱塩素,脱エチルアミノ,脱イソプロピルアミノ,の一連の反応を受け,シアヌール酸に変換され,水中に蓄積する。ここまでの反応はどうやら1種の細菌が続けて触媒することが分かった。シアヌール酸は一時的に蓄積はするものの,それなりに簡単な化合物なので,分解できる微生物は環境中にかなり存在するらしく,徐々にトリアジン環が分解され,14C標識された二酸化炭素が発生する(図1)。全体としてみると,アトラジンを完全にH2O+CO2+NH3まで分解(無機化)するには少なくとも2種類の微生物が係わらなければならないことが分かる。アトラジン分解菌を単離(平板培地上に純粋培養すること)して調べてみると,これらは実際にアトラジンをシアヌール酸まで分解するものがほとんどであった。ただし1%くらいの確率で無機化できるものが見出された。しかしこれらはよく調べてみると2種あるいはそれ以上の細菌の混合であることが分かった。最初は偶然のコンタミ(雑菌混入)かとも思われたがどうやらそうではなく,アトラジンを分解するという目的のもと,必然的にくっついて存在していた(共同体)ようなのである(図2)。

図2 河川生態系モデル内でのアトラジン分解菌の挙動予想図


ある目的を持って集まっている微生物共同体というのは,実は自然環境中ではかなり重要であるらしい。よく知られている例では,嫌気的にブドウ糖が分解(メタン発酵)される場合は少なくとも3〜4種の微生物の関与が必要であること(好気的なら単独で分解できる菌はごく普通に存在する),あるいはメタン生成古細菌は種類により必ず特定の酢酸生成菌と共生し,水素の供給を受けているらしい。また,植物体内に共生する絶対嫌気性窒素固定細菌は,好気性菌(酸素を消費する)と共存することにより,嫌気的環境を得ているという報告もある。

 農薬など化学物質の分解においても,同様の共同作用は当然起こりうるであろう。例えばイソプロチュロンという尿素系の除草剤では,ある分解菌1種だけでは分解は遅いが,他の特定の菌と混合すると非常に分解速度が速まるという。これはある特定のアミノ酸の供給によるらしい。あるいは反応の途中で生ずる有害な代謝物を分解除去することで共同体全体での分解を促進するという細菌も報告されている。このような例は分かりやすいが,これ以外にもおそらくは様々な様式で分解菌を援助する共同体メンバーが存在しているのではなかろうか。筆者のアトラジンでの例では,分解過程のA→BとB→Cをそれぞれ分担して担当しているとすればそれはごく単純で教科書的な共同体であるが,そう単純ではない。あるいは第2,第3の微生物が存在して,何らかの(かなり必須な)援助をしている可能性も否定できない。

 このように微生物共同体には興味が尽きないところであるが,しかし上述のような共同体に関する知見が得られてきたのは分子生物学的な手法の開発によるところが大きい。共同体メンバーを分離して純粋培養に持っていくのは難しいし,できたとしても活性が失われてしまう可能性は大きいからである。筆者の得たアトラジン分解性微生物共同体のメンバーも,16S-rRNAの塩基配列解析で分類をおこなっている。その結果,Nocardioides属やMycobacterium属といった,いわゆる放線菌+グラム陰性菌の組み合わせ,またはShinorhizobium属(根粒菌)+ラセン状グラム陰性菌の組み合わせ,ということが分かってきた。ただしこれらのメンバーを手を変え品を変え,無理矢理分離してから再び合わせても活性が再現できないので,他にも混ざっているかもしれない。今後はさらに構成メンバーを明らかにし,それぞれがどのような機能を持っているのかについて研究を継続していきたい。

Communicated by Hiroshi Matsumoto, Received July 9, 2004.

©2004 筑波大学生物学類