つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200407KA.

南加州便り

      安形 清彦(バーナム研究所研究員)  
       

 私は、米国サンディエゴ郡ラホヤにあるバーナム研究所で研究生活を送っています。サンディエゴはメキシコに接するカリフォルニア州発祥の地で、人口が全米で10本の指に入る大都市ながら、治安も良く、夏に涼しく冬は暖かいので避暑地、避寒地、そして観光地として有名です。2001年9月11日のテロ以降、西海岸に留学を希望する人が増え、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校(UCSD)やサンディエゴ州立大学(SDSU)の名を耳にする人が多くなっているかと思います。ラホヤ地区には、生物・医学分野においてUCSD、ソーク研究所、スクリプス研究所といった何人ものノーベル賞受賞者を擁する有名研究所があり、さらに製薬・バイテク企業が集まり、研究学園都市を形成しています。

 バーナム研究所は、癌や発生の研究を中心にしたラホヤ キャンサー リサーチ ファンデーションとして、1976年に創立され、今年28周年を迎えました。現在では400人以上の理学や医学の博士号を持つ研究者が世界中から集い、全米で8ケ所しか認められていない Cancer Center の称号を持つ研究所として知られています(興味のある方は、http:www.burnham.org を御覧下さい。)。ここでは米国での研究生活を通して知った米国の学生生活や研究事情について、生物学類の皆さんにお話したいと思います。

<大学生> 

 よく日本では、大学生は良い大学に入ることがゴールであるかの様に思い、大学生活を無駄に過ごしている、と指摘される事があります。アメリカの学生はどうでしょうか?一言で言えば、私の知る限り非常に勤勉です。UCSDの生物系の学生の場合、毎週の様にレポートの提出があり、評価のためのテストが1ー2ヶ月に一度あります。授業は9月に始まり5月半ばに終了しますが、ほとんどの学生は夏休みの間に集中講議を履修します。理由は大きく分けて2つあると思います。1つ目は後でも述べますが、大学を卒業する事自体は良い企業への就職を保証するものでは無く、大学で何を学んでどう過ごしたかが成績と履歴書や推薦書という形で評価されます。もう1つは文字通り生活がかかっている事です。UCSDの様に大きな大学になると授業料は$5500/年(約60万円)を越えます。カリフォルニア州以外から入学した学生は$20,000/年(約220万円)以上の授業料が必要になります。そこでお金を節約するために、地域毎にあるCollegeを卒業してから大学へ入学しなおしたり編入学する人も多くいます。もちろん成績が良くなければ大学へは移れません。そして多くの学生は生活費を自分で稼いでいるという事実です。高校の成績優秀者は奨学金を得る事が出来ます。あるいは、学生ローンなどで借金をして大学に通います。成績が悪くなれば 奨学金は打ち切られるので大変です。米国の大学生は学生の時から自立が求められているのです。あなたは今、誰のお陰で大学で勉強していますか?

<学部卒業>(就職と大学院) 

 米国の大学生、特に生物系の大学生は卒業後どのような進路を選ぶのでしょうか?日本では4年次に卒業研究を行いながら就職活動或いは大学院の試験を受ける事になりますが、米国の大学生はまだまだ大変です。3年次に主専攻を決めてから実験・実習を行う事はありますが、日本の様な4年次の卒業研究というのはありません。企業で研究員として働くためには、ボランティア活動やアルバイトとして研究室での実験補助の経験、すなわちどんな実験をした事があるかが重要になります。授業の成績だけでは足りないのです。卒業研究の義務がありませんから、自分で募集を探し面接を受けて研究室を探します。将来どんな研究をしたいかを探すために1、2年次に研究室での仕事を始める学生もいます。授業があるため、週に1日か2日しかも授業の合間をぬって2ー3時間のアルバイトですが、この実験の意義は何かとか?ヒトの健康に役に立つのか?など質問してくる真面目な学生さんが多いです。

 では、大学院への進学はどうでしょうか?生物系の人は医学部(日本の様に高校卒業後に医学部に直接入る事は出来ません。)、あるいは薬学部や理学部の博士課程へと進学を希望する人が多くいます。例えば医学部へ進学するためには、大学での成績、推薦書、年に3回行われる全国統一テストの得点が合否を決めます。大学卒業後に直に大学院に入れる人は実に少数の人だけだそうです。ほとんどの学生は一年間以上の修行期間が必要となっているようです。どうしてでしょうか?実は大学院が重要視するのは学業成績だけではなく、どの様な経験をしてきたかを書き記した履歴書や推薦書が重要になるのです。そこで病院でのボランティア活動や研究室でのアルバイト経験、もし実験に参加し論文に著者の一人として名を連ねることが出来れば大きなアピールポイントになります。本当に大学院に行きたいのかという根本的な問題に答えるために、“卒業後をいかに過ごすか”という課題がモラトリアム期間に与えられているようです。昔、私が所属していた細胞性粘菌研究室の柳沢教授のもとにデイビッド君という米国の留学生が在籍していました。彼は、ハーバード大学を卒業後、日本に留学しNHKの英語講師として活躍していました。その後柳沢研究室で実験を行い、帰国後医学部に入学したそうです。日本への留学経験が彼にとってプラスになったと判断されたのです。

<研究生活> 

 皆さんの中には、将来研究者になろうと思っている方も多いと思います。こちらでの研究は主にポスドクと呼ばれる博士号を取得した研究者が中心となって行われます。日本でもだいぶ変わって来た様ですが、大学での研究が大学院生を中心にして行われるのとは大きく異なります。ポスドクは将来研究室のボス(教授あるいは準教授)となる為のトレーニング期間とされ、ボスが企画・立案した研究を遂行させる為に必要な人材として雇います。従って、ポスドクの待遇は決して良いモノではありませんが、研究成果を発表出来るように日々切磋琢磨しながら、将来を夢見て努力する事になります。ボスは主任研究者として研究費を申請し(国立衛生研究所NIHに申請する一般的な研究費は$250000/年)、その予算内でポスドクやテクニシャンを雇い、自分の給料も捻出しなければなりません。すなわち米国では研究費を維持する事は、複数の人の生活を左右するとともに、研究室の存続にかかわるとても重要な事なのです。

 一方で、米国の教授は、日本に比べて、研究中心に行える環境にあるようです。大学の授業は専門の講師あるいはティーチングアシスタントと呼ばれる人が行い、1年に1週間程度の担当授業がある位です。筑波大学でも採用されている事ですが、大学近郊の研究所の研究者を多数非常勤の教授や準教授として採用しており、学生にとってもいろいろな最先端の研究を学ぶことが出来るという利点になっています。

 米国で研究していて興味深く感ずる点は、情報交換や、共同研究が盛んに行われている事があります。ラホヤ地区では毎週のようにセミナーが開かれ、著明な研究者の話も聞く事が出来ます。更には、可能性や将来性を大事にしている事もポイントだと思います。しっかりと成果が発表されていれば、例え小さな研究施設でも研究費は出ます。一方、評価が低くなれば、有名な研究室でも研究費を貰えない事さえあります。もっとも、米国では疾病のコントロールやバイオテクノロジーを重要な国家戦略として捉えており、莫大な予算が充てられ研究をサポートしています。研究費は主に国立衛生研究所から出ます。さらに、軍が肺癌や前立腺癌の研究の為のスポンサーになっているのはビックリしますが、国の姿勢が見える点でもあります。有利な研究条件と研究者との交流を求めて世界中の研究者が米国に集い米国に利益をもたらしていくという研究環境のスパイラルが生まれているのです。

 ここで、私たちが行っている研究を紹介したいと思います。糖鎖は脂質や蛋白質を修飾していろいろな機能を行っています。例えばリンパ球や神経細胞では認識や接着に関わっていますし、機能分子の輸送や安定性にも重要です。また最近問題になっているHIVやインフルエンザウィルスの感染には、ウィルスや標的細胞表面に存在する蛋白質等の糖鎖が関与している事が知られています。さらに、多様な糖鎖構造を作る酵素の変異が様々な遺伝病の原因である事も分かりつつあります。我々の研究室では神経系や免疫系の細胞での糖鎖の重要性を生化学・分子生物学の手法を用いて培養細胞やマウスの個体レベルでの解析を行っています。その為にウィルス学、病理学の医学部出身の研究者、生化学専攻や分子生物学専攻の研究者といった異なるバックグラウンドを持つ人々が集って研究をしています。これも米国の研究スタイルの興味深い一面と言えると思います。(研究内容に興味のある方は、上述のホームページあるいは参考文献を御覧下さい。)

<向上心> 

 最後に米国の人々の向上心について触れておきたいと思います。米国は能力主義の国であり、アメリカンドリームなどと言う事をよく耳にしますが、こちらに来てから分かった事は意外にも学歴主義であるという事でした。ここでいう学歴とは、どこの大学を出たという事では無く、何を学び習得して来たかという事です。少し古い映画の話しになりますが、マイケル J. フォックス主演の「摩天楼はバラ色に」(邦題)を思い出しました。主人公は色々とアイデアがあるにもかかわらず、経験が無いという理由でどこの会社にも採用されず、配送係の仕事しかさせて貰えません。もちろん、映画ではアメリカンドリームを成功させ大逆転で社長にまで昇りつめます。しかし、現実には、普通にカレッジを卒業して会社で働いても責任のある地位に昇進するのは非常に稀な事の様です。そこで上を目指す者は、さらに大学で授業を受けて資格を増やしたり、少し小さい会社に移ってポジションを上げ経験を積むという事をします。実際、近所に住む女性は大学の夜間授業に通いステップアップの為に勉強しています。昔、研究所のテクニシャンをしていた男性は、医学部に受かったといって家族全員で引っ越して行きました。最近は日本でも生涯教育という事が言われていますが、我々も米国の人々の向上心を見習う必要があるかもしれませんね。

 今回は米国の大学生がいかに勤勉かを紹介しました。私は生物学類在学中はそれほど真面目な学生ではありませんでしたが、皆さんには貴重な大学生活を有意義に過ごしていただきたいと思います。米国で生活し、異なる習慣や文化に触れ、気付かされる事も多々ありました。国際化が叫ばれ久しいですが、早目の留学経験は得をすることはあっても、決して損をすることはないでしょう。生活に慣れる事など大変な事も多いかもしれませんが、語学留学、研究留学など、是非チャレンジしてみる事をお勧めします。

参考文献
  1. 福田穰、細胞接着における糖鎖の役割、生化学、第72巻(第4号):269-283、2000
  2. Angata, K. and Fukuda, M., Polysialyltransferases: major players in polysialic acid synthesis on the neural cell adhesion molecule, Biochimie, 85: 195-206, 2003
Communicated by Yoshimasa Tanaka, Received July 27, 2004.

©2004 筑波大学生物学類