つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100733

マウスミトコンドリアDNAと造腫瘍性の関係

市川 雅美 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 林 純一 (筑波大学 生命環境科学研究科)

 ミトコンドリアは核外ゲノムを持つ唯一の細胞小器官であり、酸化的リン酸化によってエネルギー産生を行うという生体にとって重要なはたらきを担っている。哺乳類のミトコンドリアDNA(mtDNA)は16.5kbpの環状2本鎖でATP合成に関与するタンパクをコードしており、一細胞あたり数千コピー存在する。そのためmtDNAに突然変異が生じると、それによって生体に重大な影響を及ぼす可能性が考えられる。
   癌は以前からmtDNAの突然変異との関係が議論されている疾患であり、メチルコラントレン(MCA)などの化学発癌剤はミトコンドリアに強い親和性を示すことが報告されている。またmtDNAはミトコンドリア内で酸化的リン酸化により常に発生する活性酸素種にさらされており、その修復機構が十分でないことから突然変異が発生・蓄積しやすいと推察されている。これらのことからmtDNAに突然変異が蓄積することによって細胞が癌化するという『癌ミトコンドリア原因説』が提唱された。事実、近年大腸癌や乳癌などの癌組織においてmtDNAの突然変異の蓄積が報告されており、癌細胞における造腫瘍性の発現の制御にmtDNAが関与している可能性が疑われている。このmtDNAと造腫瘍性との関係については3つの可能性が挙げられる。@mtDNAのみで造腫瘍性が制御される可能性,AmtDNAと核DNAとの相互作用によって造腫瘍性が制御される可能性,B核DNAのみで造腫瘍性が制御される可能性である。
 現在、mtDNAと造腫瘍性の関係を直接的に証明する証拠は得られていない。そこで本研究ではこの問題に対する明確な結論を得るため、正常細胞のmtDNAと癌細胞のmtDNAを完全に置換する方法を用いて造腫瘍性の発現を解析することにより、mtDNAの突然変異と造腫瘍性との関係を明らかにすることを目的とした。
 正常細胞であるマウス線維芽細胞にメチルコラントレン処理を施すことによって癌化を誘導し、これを癌細胞として使用した。正常細胞と癌細胞から薬剤処理によってmtDNA欠損細胞を単離し、癌細胞のmtDNAと正常細胞のmtDNAをそれぞれに対して再導入し完全にmtDNAを置換した。この方法によって正常細胞由来の核DNAと癌細胞由来のmtDNAを持つ細胞と、癌細胞由来の核DNAと正常細胞由来のmtDNAを持つ細胞を得ることができた。このようにして樹立した細胞をヌードマウスの背部皮下に移植し、造腫瘍性の発現の有無を解析した。その結果、前者では造腫瘍性の発現は認められなかったが、後者では造腫瘍性の発現が認められた。前述したBの可能性を支持していることから、癌細胞における造腫瘍性の発現にはmtDNAは関与しておらず核DNAのみで制御されていると考えられる。
 一部の癌組織において病原性の大規模欠失突然変異型mtDNAが発見されており、このような欠失突然変異型mtDNAはミトコンドリアの呼吸機能に影響を及ぼす。また呼吸機能の低下はミトコンドリア病などの様々な疾患を引き起こすことから、造腫瘍性の発現と腫瘍の増殖速度にもなんらかの影響をもたらすことが考えられる。そこで、さらにこの点に関して検証するため欠失突然変異型mtDNAに起因するミトコンドリア呼吸機能の低下を誘導するという手法を用いて解析を行った。
 前回と同様の方法を用い、今回は正常細胞と癌細胞のmtDNA欠損細胞と、病原性突然変異型mtDNAによる呼吸活性の低下がみられるmito-mouseの血小板からサイブリッドを作製した。これによって正常細胞由来の核DNAと突然変異型mtDNAを持つサイブリッドと、癌細胞由来の核DNAと突然変異型mtDNAを持つサイブリッドを得た。これらをヌードマウスの背部皮下に移植し造腫瘍性の発現の有無と腫瘍の増殖速度に関して解析を行ったところ、前者では造腫瘍性の発現が見られなかったが、後者では造腫瘍性の発現が認められた。ただし、腫瘍の増殖速度に関しては抑制される傾向にあった。これらのことから、呼吸活性の低下は造腫瘍性の発現には関与しないが、腫瘍の増殖に関しては抑制させる方向にはたらくと考えられる。
 今回の実験によって、癌細胞における造腫瘍性の発現にはmtDNAが全く影響しないという明確な結論が得られた。また、ミトコンドリア呼吸機能の低下は造腫瘍性の発現には影響しないものの、腫瘍の増殖という点では負の影響を及ぼすといえる。今後の展望としては、抗癌剤耐性,転移性,浸潤性など造腫瘍性の発現以外の癌の特性に関してmtDNAの突然変異が与える影響を解析する予定である。


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