つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100741

心理心因性疾患としての顎関節症の遺伝子解析(セロトニントランスポーター遺伝子)

小嶋 清美 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 成田 正明 (筑波大学 人間総合科学研究科)

<導入と目的>
 顎関節症(Temporomandibular disorders : TMD)は顎関節や咀嚼筋部の疼痛、開口障害、関節雑音などの症状があり、多くは疼痛を主訴に来院し、TMD患者のなかで10%の人は深刻な筋疼痛症状を呈する(muscular type TMDと呼ばれる。)また筋疼痛を持つ人は他のタイプの症状に比べてうつや不安等の傾向が高いことが知られている。
 近年Functional Somatic Syndromes ( FSS ) と称される概念が提唱されてきた(Sharpe M et al, Treatment of functional somatic symptoms. Oxford: Oxford University Press, 1995) 。これは、これまで独立した疾患であると考えられてきた、慢性疲労症候群、過敏性腸炎、線維性筋痛症 (fibromyalgia, FM )、そしてmuscular type TMDなど心因が大きく関わる身体性の慢性疾患のグループの間にその症状の移行や重複が多く見られることから、これらを症候群としてその病態を捉えようとするものである。例えば、FMとmuscular TMDには、慢性痛やうつや不安に対する高い傾向、睡眠障害など症状の重複が多く見られ、FM患者の70%がTMDの診断基準を充たすとの報告もある。FSSの病態に深く関わる因子としては、脳内の神経伝達物質であり、不安や疼痛、睡眠、食欲や呼吸などさまざまな身体機能を司るセロトニンとの関与が示唆されている。本研究室では最近、FSSの代表疾患のひとつである慢性疲労症候群(CFS)での5HTTLPR(serotoninn transporter gene polymorphism within the promoter region )の多型がCFSの発症に関わる可能性があることを報告している。以上の背景を踏まえ本研究では、TMD患者におけるセロトニン関連遺伝子の多型を解析し、正常コントロール群との比較を行うことにより、muscular type TMDにおけるセロトニン神経系の関与を解明することを目的とした。
<方法>
 muscular type TMD患者36人(平均年齢 45.4+/-33.5才、男5人女31人)にインフォームドコンセントを行った上で静脈血を採取し、全血DNAを抽出した。既報告をもとにして、三種類のセロトニン関連遺伝子( a VNTR in intron2 of the human serotonin transporter gene :5HTTintron2VNTR, serotonin transporter gene polymorphism within the promoter region :5HTTLPR, serotonin 2A receptor gene promoter polymorphism :5HT 2A Receptor) のプライマーを作成し、これを用いて、それぞれPCR法を用いて全血DNAを増幅し5HTTintron2VNTRと5HTTLPRは直接増幅産物を電気泳動により多型を観察した。5HT 2A Receptorについては、PCRにより得られた増幅産物をさらに制限酵素MspTを用いて処理を行った上で電気泳動により多型を観察した。また正常コントロールとして健康なボランティア119人の協力を得て、同様に全血DNAを用いた多型の解析を行い、カイ二乗検定およびFisherの直接検定を用いて両者の比較を行った。
<結果と考察>
 今回観察した3種類のセロトニン関連遺伝子多型解析の結果、5HTTLPRにおいては、muscular type TMD患者における多型の分布は正常コントロールと比較し、有意に異なっていた。すなわち、日本人において5HTTLPRには、通常 S (short)、 L(long)、XL (extra long) という三種類のアリルが見られるが、コントロール群がこれまでの日本人におけるアリル分布と変わらない結果を呈したのに対し、muscular type TMDにおいてはLやXLといった長いアリルがTMD患者に有意に多かった(図1 p=0.0030)。一方、他の5HTTintron2VNTRおよび5HT2A Receptorではコントロールとの間に有意な差は見られなかった(図2 p=0.9567、3 p=0.7691)。この結果は本研究室で最近報告されたCFS患者における5HTTLPR分布の結果と同様のものであった。5HTTLPRはセロトニントランスポーター(5HTT)遺伝子のプロモーター領域に存在し、その転写活性に影響を与えると考えられており、これまでのin vitro の実験では、LアリルはSアリルに比べて、セロトニン再取込みを行うセロトニントランスポーターの転写活性を高めたという報告もある。5HTT は、細胞外からの活性セロトニンを細胞内に取り込む働きがあるため、5HTTの転写活性があがると、セロトニンの活性の低下を引き起こす可能性も考えられる。以上の結果により、muscular type TMDはCFSと同様、セロトニン神経系の機能がその発症に深く関与している、と考えられた。このことはFSSの疾患概念にも通じると考えられ、大変興味深い。



©2005 筑波大学生物学類