つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100749

ショウジョウバエを用いたヒト統合失調症遺伝子の発現解析

河中 裕哉 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 古久保-徳永 克男 (筑波大学 生命環境科学研究科)

■背景・目的
 統合失調症は,近年その分子遺伝学的研究が進み,多くの関連遺伝子が発見されつつある疾患である。DISC1(Disrupted-in-Schizophrenia-1)もその関連遺伝子のひとつであり,統合失調症及び分裂感情障害が多発するスコットランドの大家系での研究から見つかった。DISC1遺伝子はヒト1番染色体に存在し,染色体の転座によってカルボキシ末端が切断された変異型タンパク質が生成される。この遺伝子について,タンパク質の詳しい機能はまだ明らかにされていないが,これまでの研究から,脳皮質の発生や,神経軸索の伸長に関わる因子であることが示唆されている。またDISC1は,人の脳ではタンパク質レベルで特定領域において強く発現していることが明らかになっており,これらのことから,統合失調症に関わる重要な遺伝子であると予想されている。
 本研究では,高度な遺伝学的手法が導入できるキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を用いて,個体の組織において,野生型及び変異型ヒトDISC1遺伝子を強制発現させ,それぞれのタンパク質の局在や,組織発生に与える影響を探索することを目的とした。

■方法
・eye discにおける発現
 この実験では,GMR-GAL4エンハンサートラップ系統と,UAS-DISC1(野生型及び変異型)の系統を交配することで,eye disc(複眼原基)においてDISC1を組織特異的に発現させた。また同時に,蛍光タンパク質であるmCD8::GFPをUAS配列とともにゲノム内に導入することで,GAL4の発現している領域を可視化し,視覚的な確認を行った。DISC1タンパクは,anti-DISC1抗体を用いて抗体染色を行うことにより,細胞内での局在パターンを確認した。さらに,核の存在を確かめるために,核マーカーであるTO-PRO3を同時に用いた。3齢幼虫について,各抗体にて抗体染色を行った後,共焦点レーザー顕微鏡で観察し,組織の三次元的な解析を行った。
 また,このようにeye discにおいてDISC1を強制発現したハエを一定期間飼育し,その複眼表面の形態の変化を,走査電子顕微鏡を用いて観察した。
・キノコ体における発現
キノコ体の組織でGAL4を発現している201Y及びOK107の系統とUAS-DISC1の系統とを交配し,キノコ体で特異的にDISC1を発現している個体を得た。この実験でも,ゲノム内にUAS-mCD8::GFPを導入し,GAL4の存在を可視化して観察した。3齢幼虫と成虫について,anti-DISC1抗体及びTO-PRO3を用いて抗体染色を行い,共焦点レーザー顕微鏡で観察を行った。

■結果
・eye discにおける発現
 3齢幼虫のeye discにおいては,DISC1は野生型,変異型によって異なる発現パターンで発現が認められた。野生型では,eye discのうちmorphogenetic furrow側のほとんどの細胞で発現が見られ,また外周部では一部の細胞でのみ発現が見られたのに対し,変異型では,eye disc全体の細胞で発現が認められた。さらに,野生型DISC1は,核内部では微小な塊となって局在しており,また細胞質では発現が全く見られなかった。これに対し,変異型においては,核内部での発現はほとんどみられず,細胞質に拡散して発現していた。野生型と変異型のDISC1遺伝子を同時にゲノム内に導入する実験では,DISC1タンパクの発現は核内の塊,細胞質の拡散の両方として確認できた。
 GFPから確認できる光受容細胞の観察や,羽化後35日目の成虫複眼の走査型電子顕微鏡による観察では,野生型,変異型DISC1を導入した個体と,DISC1を導入していない個体の間に,目立った変化は認められなかった。
・キノコ体における発現
 3齢幼虫のキノコ体においては,Kenyon cellにおいてDISC1の発現が見られた。発現パターンは,野生型ではeye disc同様,一部の細胞で,核内に局在化して発現していたが,変異型ではほとんどの細胞で核内及び細胞質に拡散してタンパク質が存在していた。
 成虫のキノコ体の観察においても,Kenyon cellにおいて発現が見られた。野生型では,タンパク質は核内に局在化して発現しており,また細胞質では発現が全く見られなかった。変異型においては,核内,細胞質共に拡散した発現が認められた。
 GFPの局在から確認できるキノコ体の形態については,3齢幼虫,成虫どちらにおいても,野生型,変異型DISC1を導入した個体と,DISC1を導入していない個体の間に,目立った変化は観察されなかった。

■考察
 eye discは,morphogenetic furrow側から外周部に向かって細胞の分化が進む。このことから,eye discに存在する野生型DISC1は,細胞の分化が進むにつれて,一部の細胞でタンパク質が分解されることが考えられる。さらに変異型では,野生型に見られるこのようなタンパク質の変化は起こらないことが予想される。
 野生型DISC1は核内で塊として局在化しており,この発現パターンはeye discとKenyon cellで同様に見られた。これに対し変異型DISC1では,組織によって発現パターンに差が見られた。変異型DISC1タンパク質は,eye discでは主に細胞質に拡散して存在していたのに対し,Kenyon cellでは細胞質と核内の両方に拡散して存在していた。このことから,変異型DISC1タンパク質の細胞内局在は,組織ごとに異なっていることが考えられる。
 また,DISC1を強制発現させたeye disc及びキノコ体には変化が見られなかったことから,これらの組織でDISC1が発生に異常を与えることはないと考えられる。


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