つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100753

細胞性粘菌Dictyostelium discoideumの集合期特異的遺伝子の解析

小林 久美子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 漆原 秀子 (筑波大学 生命環境科学研究科)  

〈目的〉 細胞性粘菌D. discoideumは、単細胞と多細胞の生活環を持つ真核生物である。分裂増殖していた単細胞は、飢餓を引き金に集合してストリームと呼ばれる渦状の細胞集合塊を形成、マウンド、移動体と呼ばれる形態を経て、胞子と柄からなる子実体となる。この過程では細胞の融合は見られず、無性発生と呼ばれている。
 細胞性粘菌の無性発生は、増殖期と分化期が明瞭に区別され、胞子と柄からなるシンプルな分化パターンを持つことから、多細胞体の構築メカニズムの解析に広く使われてきた。多細胞体形成の初期に見られる細胞集合の時期に特異的に発現している遺伝子を解析することで、細胞分化のメカニズムを探っていく。
 また、細胞性粘菌には細胞が融合し遺伝子の組換えが起きる、有性発生と呼ばれる生活環も存在する。水分過剰・暗条件下で融合能を獲得した細胞をFC(fusion competent)細胞といい、細胞融合でできた2nの接合子が、周囲の細胞を集合させて、消化・吸収してできる膜で包まれた休眠構造体をマクロシストという。マクロシスト形成は、不完全ではあるが、配偶子形成、細胞融合、遺伝子組換えが起きていることから、受精の原始型だと考えることができ、その解析は、より複雑な生物の受精メカニズムの解明という点においても重要だといえる。
 また、異なる発生様式において、細胞集合に関する分子がどのように使い分けられているのかを調べることで、発生の新たな分子メカニズムの解明につなげていく。

〈方法〉 細胞性粘菌のゲノム配列(3,400万塩基対:ヒトの約1/100)は、アメリカやヨーロッパを中心に解読が進められ、そのデータはインターネットで公開されている。日本では、発現している遺伝子の網羅的解析を目指したcDNAプロジェクトが進められており、増殖期、集合期、形態形成期、移動体期の4つの時期とFCの各細胞からmRNAを単離・クローン化して遺伝子ごとにまとめた、cDNAライブラリーが公開されている。
 まず、解析の対象とする遺伝子を決定するため、これらのデータを利用して、以下の条件で絞り込みを行った。

  1. 集合期での発現比が高い(cDNAライブラリーにおける集合期のクローン数の比率≧60%)
  2. 集合期での発現量が多い(集合期のクローン数≧5)

  3. ―集合期に多く発現している遺伝子は、集合期で重要な働きをしているだろうという考えから
  4. FC細胞でのcDNAクローンがある

  5. ―有性発生と無性発生の細胞集合を比較するため
  6. 遺伝子のサイズがあまり大きくない(塩基長≦1800bp)

  7. ―分子の解析を容易にするため
 全ての条件を満たす5つの遺伝子についてreal-time PCRを行い、増殖期に比べて集合期およびマクロシスト形成細胞での発現が特に多かった1つを解析対象とした。

 この遺伝子は、配列の特徴が他の生物で同定されているkrs1遺伝子に近いことから、krsAと名付けられており、セリン/スレオニンキナーゼだと考えられた。ゲノムデータベースから得られた配列情報をもとに、krsA配列内に薬剤耐性遺伝子(bsr:Blasticidin resistance)を挿入した組換えベクターを作製した。このベクターをエレクトロポレーション法により細胞性粘菌へと導入し、形質転換を行うことでkrsAを破壊した。遺伝子破壊が確認された細胞(krsA-)の表現型を、親株であるKAX3と比較することで、krsAの働きについて解析した。

〈結果〉 得られた破壊株(krsA-)の表現型を調べたところ、以下に述べるように多くの異常が観察された。
  1. 細胞の大きさが、KAX3に比べて小さかった。
  2. 液体栄養培地中の振盪培養で、増殖速度が遅かった。
  3. 液体栄養培地中の振盪培養で、増殖が停滞する細胞密度がKAX3では約2.4x107cells/mlであったのに対し、krsA-では約6.0x106cell/mlと低かった。
  4. 寒天培地上での餌であるバクテリアとの培養で、コロニーの広がりが若干早く、KAX3にはないコロニーのふちから外側への細胞の広がりが見られた。
  5. 液体中の無性的な細胞集合で、KAX3で見られたストリーム状の細胞集合塊が全く見られず、細胞集合体を形成するのに非常に時間がかかった。
    krsA-にKAX3を混合すると、KAX3と非常に近いストリームが観察されたが、その後ストリームは分解してしまい、小さな細胞集合体を形成した。
  6. 寒天培地上での無性発生で、集合過程で形成されるストリームとマウンドが大きい傾向が見られた。krsA-で形成された大きなマウンドは、その後いくつかのマウンドに分解して、KAX3と同様の子実体を形成した。
有性発生においては、全ての過程を通してKAX3と有意な差を見ることはできなかった。

〈考察と展望〉 krsA-が様々な異常を示したことから、krsAは多くの機能に関与していると考えられる。特に、液体中の無性的な細胞集合に明らかな異常が見られたが、今の段階では、その原因については全く分かっていない。今後、集合期におけるkrsAの具体的な働きを解明するために、集合に関与することが知られている遺伝子の発現解析や、無性と有性の細胞集合で使われているcAMPへのシグナル応答の分析などを行っていく。
 有性発生では異常が見られなかったが、有性の実験は融合相手となる相補的なV12株と混合して行うため、V12にある正常なkrsA遺伝子の働きにより、変異の影響が打ち消されている可能性がある。今後、V12のkrsA遺伝子の破壊株を作製し、その細胞を用いたkrsAの影響が全くない状態での有性発生を見ていく必要がある。


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