つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100778

Dulichia sp.(端脚目, ドロノミ科)の造巣行動とその生態的意義

新居 洋吾(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 青木 優和(筑波大学 生命環境科学研究科)

<背景及び目的>
 端脚目ドロノミ科に属する Dulichia 及びDyopedos属の大西洋産 3 種は,海底から突出した糸状の構造物(マストと呼ぶ)を形成し,その上に多数の個体が存在する.端脚目を含むフクロエビ類は雌が育房を持ち,産出した卵の孵化後,一定期間保育した後に幼体を放出するため,世代間の同居が見られる種が存在する.北米産 Dyopedos monacanthus に関する研究では,マスト上には 雌 1 個体と複数の幼体が住むことが知られており,母による子の保護の存在が示唆されている.しかしながら,マスト形成がなぜ行われ,どのように機能しているかについては明らかにされていない.
 近年,静岡県下田市大浦湾内における潜水調査から Dulichia sp. の生息とマスト形成が確認された.これは,大西洋沿岸域以外で初の記録である.本研究では,Dulichia sp. によるマスト形成行動の意義を明らかにすべく,野外定期採集調査を行った.
<方法>
 静岡県下田市大浦湾内において,2004 年 6 月から 12 月まで 1 ヶ月に 1 度の頻度で Dulichia sp. の定期採集を行った.スキューバ潜水により,水深 10 m に設置されたコンクリートブロック上に分布するマストを採集した.1 本のマストを 1 サンプルとして,ヨコエビを逃がさぬようにマストを基底よりはがし,サンプル管に入れた.1 回の採集につきマストを 30 本ずつ採集した.採集したマストとヨコエビは実体顕微鏡下で分離し,マストは 70% エタノール中で保存,ヨコエビは 99.5 % エタノール中で保存した.
 多くの個体が得られた 6 月および 7 月のサンプルについては,マストの大きさとマスト上個体群の構成との関係を知るため,各マストの長さ,マスト上のヨコエビの個体数,および体長を記録した.マストの長さは実体顕微鏡下で計測した.マストごとのヨコエビの体長はばらつきが小さかったため,ヨコエビの体長は 1 つのマストごとに 3 個体ずつを取り出し,ビデオミクロメーターを用いて頭部から尾部まで背側の長さを計測し,その平均を代表値とした.また,個体群動態解析用の体長計測は 8-12 月のサンプルについても行った.
<結果>
 調査期間中,マストあたりの平均個体数は 6-7 月に最大となり,8 月に急激に減少した.9 月にわずかに増加したものの,10-12 月には低く推移した.個体群構成は,全体を通して 1.5 mm 以下の小型個体が卓越した.また,7-9 月に比べ,10 月以後は 2.5 mm 以上の大型個体の割合が増加した.
 6-7 月に採集されたヨコエビが存在するマスト 38 本のうち,幼体のみが同居するものが 18 本,成体と幼体が同居するものが 10 本,単独で存在するものが 10 本であった.これらのマストとヨコエビの関係についての解析から,以下のことが明らかになった.
1) ヨコエビが単独で存在するマストは複数個体が同居するものより短い.複数個体が同居する場合,成雌と幼体が同居するマストは,幼体のみが同居するマストより短い.一方,成雄と幼体が同居するマストと,幼体のみが同居するマストの間で有意差はなかった.
2) 幼体のみが同居するマストにおいて,マストの長さと個体数の間に正の相関がある(r = 0.65,n = 18,P < 0.01)
3) 成雌と幼体が同居するマスト上の幼体サイズは,幼体のみが同居するマスト上の個体に比べ小さい.一方,成雄と幼体が同居する場合の幼体サイズと,幼体のみが同居するマスト上の個体サイズの間で有意差はなかった.また,マスト上に単独で存在するものは幼体から成体までみられるが,複数個体が同居するマスト上の幼体に比べ大きい.
<考察>
 以上の結果から推定される,Dulichia sp. の生活史は以下の通りである.マストの長さは造巣にかかった時間を反映しており,幼体の体長は産出されてからの時間を反映していると考えられることから,幼体は雌親との一時的な同居の後,幼体のみの個体群を形成し体長 1.5 mm を境に単独生活に移行すると推測される.単独生活に移ったものは,短いマストを作りその上で繁殖可能な大きさになるまで成長を続けると思われる.母子が同居するのは初期幼体の時期のみに限られ,母による子の保護行動があることは考えにくい.また,成体の雄はマストの間を移動しているとみられる.
 成雌の同居するマストが短いのに対し,幼体のみが存在するマストにおいてマストの長さと個体数の間に正の相関が見られるのは,創設者となる雌が予めマストを作っているのではなく,幼体の個体数に合わせて作るためであろう.しかしながら,雌親がマストを形成した後離れるのか,雌親が離れた後幼体により形成されるのかについては明らかではない.
 今後これらの知見についての検証を行い,マスト形成の過程とその生態的意義について明らかにするため,飼育による造巣行動の観察及び分子生態学的手法の導入を行う予定である.


©2005 筑波大学生物学類