つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100790

淡水産コケムシ類(Bryozoa)の系統解析に向けた研究―特にスタトブラスト及び幼生の発生について―

広瀬 雅人 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 杉田 博昭 (筑波大学 生命環境科学研究科)

[導入]
 淡水コケムシ類は湖沼の沈木などへの固着生活を行なう群体性動物である.コケムシ動物門は全ての種が群体性の体制をもっており,特に淡水コケムシ類では群体内の個虫(ポリプ体と包体からなる群体を構成する最小単位)間に機能分化がみられず,原始的な形質を保存していると考えられるため,動物界に広くみられる群体性の進化学的研究において重要な動物群であるといえる.その進化史の解明のためには比較発生学的知見に立った研究が有力であるが,淡水コケムシ類に関しては,特に初期発生に関する知見の欠如により,ほとんど研究が進展していないのが現状である.さらに,淡水コケムシ類は無性・有性生殖の両方によりそれぞれスタトブラストと幼生という異なる発生段階を経ることが知られており,これも研究を複雑にする要因となっている.
そこで,本研究では日本各地の湖沼に広く分布しているオオマリコケムシを対象に,その発生過程を明らかにすることを目的とし,スタトブラスト及び幼生の組織学的観察を行なった.また,同じく淡水コケムシ類で本種とはそれぞれ異なるグループに属するアユミコケムシ,カンテンコケムシ,ヤハズハネコケムシについても可能な限り同様の観察を行ない,淡水コケムシ類の進化に関する議論の足がかりとすべく比較検討を行なった.

[材料・方法]
 オオマリコケムシは6月に茨城県土浦市宍塚大池で,アユミコケムシは8月に群馬県片品村菅沼で,カンテンコケムシのスタトブラストは5月に群馬県館林市多々良沼で,ヤハズハネコケムシは11月に茨城県岩井市菅生沼でそれぞれ採集した.スタトブラスト及び幼生はBouin液またはパラフォルムアルデヒド液で固定し,7μmのパラフィン連続切片とした後,ヘマトキシリン・エオシン(HE)二重染色,PAS反応,Azan染色,DAPI染色などを施した.また,オオマリコケムシは野外採集してきた群体も同様に処理し,HE二重染色を施した.スタトブラストは冷蔵保存しておき,実験の際は室温(25℃)に置いて光を照射し,発芽処理をした.

[結果・考察]
(1)スタトブラストの初期発生の組織学的観察
 オオマリコケムシの無性生殖により形成されるスタトブラストは発生初期段階の虫体が包まれたカプセル状の構造物で,この状態で休眠し,乾燥や低温などに耐えることが知られている.休眠状態のスタトブラストを発芽処理すると,約5日間で発芽し,2つのポリプ体からなる初虫と呼ばれる最初の群体が殻から這い出てくることが知られている.
 休眠状態のスタトブラストは一層の細胞層により包まれた卵黄と,さらにそれを覆う殻の部分からなる.これを発芽処理すると,処理後1日目に,卵黄を包む細胞層が陥入し,消化管の形成が始まった.処理後2日目には消化管形成はさらに進行し,U字形の消化管が完成していた.また,触手冠原基の形成も観察され,さらにこれとは別の場所で表皮の陥入により第二のポリプ体の発生が開始していることも明らかとなった.処理後3日目になると,第一のポリプ体の形成はほぼ完了し,処理後4日目には2つのポリプ体とも形成がほぼ完了していた.
 今回の結果より,オオマリコケムシのスタトブラストでは,卵黄を包んでいる細胞層が消化管形成など発生初期に深く関わっていると考えられる.特に,この薄い細胞層の他には顕著な細胞の移動がみられなかったため,今後は発生初期から消化管形成に至る過程をより詳細に観察する必要があると考えられる.なお,今回の観察ではアユミコケムシとカンテンコケムシの観察も行ったが,これらとオオマリコケムシとの明瞭な違いを見出すことはできなかった.
(2)幼生の初期発生の組織学的観察
 オマリコケムシの幼生は一つの袋状の構造(外套)に4つのポリプ体が包まれた形をしており,有性生殖を経て胚嚢(親虫の表皮直下の体内に形成される空胞)内で発生が進むことが知られているが,詳しい観察はなされてこなかった.今回,胚嚢を観察した結果,ごく初期の胚で形成初期の外套である一層の細胞層が観察された.外套の形成がほぼ完了したころ,最初のポリプ体の発生が観察されるようになる.この最初のポリプ体で消化管形成が観察される頃,すでに第二のポリプ体の発生の進行が観察された(Fig.1A-C).このように次々とポリプ体の発生が進み,最終的に4つのポリプ体が完成した後,幼生は親虫の体外へと放出された.なお,放出された幼生の観察により,外套が退縮して吸収され,外套につづく群体表皮が露出する様子も観察された.
 この結果より,オオマリコケムシの幼生の初期発生には,大きく分けて外套形成過程とポリプ体形成過程の2つのステージがあると考えられる.これは,幼生の外套が発生初期に分化し,次にポリプ体形成が始まるもので,幼生が胚嚢内で早くも群体形成に向けた無性的ステージに移行しているためと考えられる.なお,今回の観察ではアユミコケムシとヤハズハネコケムシの幼生についても観察を行なったが,基本的構造はオオマリコケムシのそれと類似していた.

[今後]
 今回のスタトブラストの初期発生に関する観察では,特に消化管形成のステージでまだ不明な点もあり,今後はそのようなステージに重点を置いて観察を行なっていく.また,幼生の初期発生に関する観察では,今後はカンテンコケムシを中心に種数を増やして同様の観察を行ない比較検討する.さらに,新たな手法でより多くの比較検討を行ない,これらスタトブラストや幼生における初期発生の系統考察への有用性についても検討していく予定である.そして,スタトブラストと幼生の初期発生形質に基づき,淡水コケムシ類における発生様式の進化史を解明していく予定である.


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