つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100798

雄カイコガのフェロモン源探索行動における慣れ現象に関する行動学的研究

松山 真奈美(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員: 中谷 敬(筑波大学 生命環境科学研究科)


<背景・目的>
   動物は、環境からの入力情報に応じて、より環境に適応した行動を発現する。動物はくり返し遭遇する刺激に対する反応が減少または消滅する。 これは「慣れ」という環境適応行動のひとつであり、もっとも単純な学習のひとつであるとも言われる。 慣れには、くり返し刺激による反応の低下や慣れからの自発的回復、脱慣れという行動学的特徴がある。これらの特徴は、 慣れが起きていることを行動学的に示す上で重要な指標となる。
  雄カイコガは、フェロモンを触角で受容するとまず翅をはばたかせ、次に直進歩行、ジグザグターン、 回転して雌に定位するという定型的なフェロモン源(雌)探索行動を示す。カイコガのフェロモン源探索行動は、中枢神経系が関与する定型的 行動だが、フェロモン刺激にくり返し遭遇することによって変容を起こし、フェロモンに対する反応性が低下する ことが分かってきた。この行動変容が「慣れ」によると示すことで、生理学的手法により、慣れの神経機構を調べる展開が期待できる。
 そこで本研究では、カイコガでも「慣れ」が起こることを行動学的に示し、再現性のある実験系を確立することを目的とした。
  
<材料・方法>
  材料には、成虫の雄カイコガ(Bombyx mori )を用いた。
■実験装置と行動解析
 カイコガの胸部背側部の鱗粉を取り除き、行動の発現には支障がないように、ボンドで金属棒を取り付けて発泡スチロール球(直径5p)をつかませた。その状態で触角から1.5〜2pの位置からフェロモン刺激を行った。 刺激には、フェロモンの主成分であるボンビコールを滴下したろ紙を挿入したカートリッジを用いた。カイコガのフェロモンに対する反応性は、はばたきの持続時間を指標とした。 実験中の様子はビデオ撮影し、はばたきの持続時間はビデオを解析して測定した。
■慣れ実験方法
 慣れ実験では、くり返しフェロモン刺激を与えた時のカイコガの反応が、以下のような慣れの行動学的特徴に合致するか調べた。
1) 同じ刺激をくり返し与えると、その刺激に対する反応が減少または消失する。
  カイコガのフェロモンに対する反応が、何回の刺激で、どの程度低下するか実験した。ここで、1回のフェロモン刺激濃度(1 ng, 2.5 ng)、刺激時間(300 ms, 500 ms)、刺激回数(10〜20回)、刺激間隔(2分、3分)を検討した。
2) 自発的回復:刺激が与えられないと、減少した反応は時間に応じて回復する。
  1で刺激を与えた後、どの程度の時間で反応が回復するか実験した。
3) 脱慣れ:他の刺激を与えると、慣れた反応が回復する。
  刺激を与えて反応が低下したカイコガに、フェロモン以外の刺激を加えることで、反応の回復が起こるか調べた。 この時、慣れの解除を起こすのに有効な刺激方法を検討し、フェロモン以外の匂い物質(Linalool)を用いて実験した。

<結果・考察>
1) カイコガに刺激間隔3分間で20回フェロモン刺激(刺激時間:500ms, 濃度:1 ng)を与えると、刺激回数にしたがってはばたきの持続時間が減少し、 20回目には有意に減少した。今回の刺激間隔と濃度では、先行研究の触角電図記録による解析から、感覚器の順応は起こさないと分かっている。 よって、これは定型的なカイコガのフェロモン源探索行動が変容し、フェロモンへの反応性が低下したことを示している。
2) 20回刺激を与えた後、カイコガをそのまま静置し、一定時間後に再びフェロモンに対する反応性を調べると、前回の刺激を行ったときに比べて 反応性が回復した。これは、慣れからの自発的回復が起きたと考えられる。
3) 反応性の低下したカイコガにフェロモンとは異なる匂い刺激として、Linalool刺激を行うと、その直後にフェロモンに対する反応性が回復した。 これは、新奇刺激によって慣れの解除(脱慣れ)が起きたと考えられる。
  くり返し刺激による反応性の低下は、感覚器の順応や筋疲労なども考慮すべきである。しかし、自発的回復や脱慣れが起こることは、 行動学的に慣れと感覚器の順応や筋疲労とを区別し、慣れが起きていることを示す上で重要である。 また、フェロモン源探索行動は中枢神経系が関与するので、この行動変容には中枢神経系が関与していることも考えられる。
  以上のことから、カイコガはフェロモンに対する「慣れ」により、フェロモンに対する反応性が低下することが強く示唆される。 つまり、定型的な行動であっても環境状態の変化によって「慣れ」による行動変容を起こし、これがカイコガにおける環境適応のしくみに関与していると考えられる。

<展望>
  今後、慣れの別の行動学的特徴とされている刺激間隔や刺激濃度の違いが慣れに与える効果を調べることで、カイコガが慣れを起こすことをより強く示唆できる。 また、生体アミンの一種であるセロトニンは、カイコガの概日リズムに応じたフェロモンに対する感度調節をし、行動修飾に関与していることが分かっている。 そこで、今回の実験系で慣れを起こしたカイコガの脳内生体アミンを、高速液体クロマトグラフィーを用いて解析して、慣れという環境適応のしくみと生体アミンとの関連性を調べたい。  


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