つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200501200100799

細胞性粘菌racF2遺伝子の機能解析

間野 智子(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:漆原 秀子(筑波大学 生命環境科学研究科)

背景・目的
 細胞性粘菌Dictyostelium discoideumは,通常単細胞アメーバが分裂するという方法で増殖している.しかし,飢餓・乾燥条件下では集合して子実体を形成し,胞子を形成することで無性生殖を行う.また,水分過剰な条件下では配偶子を形成して有性生殖を行う.有性生殖では,細胞が性的に成熟して配偶子となり,異なる交配型の配偶子同士が細胞融合の後遺伝子を組み換え,マクロシストと呼ばれる休眠構造をつくることが知られている.細胞性粘菌は始原的な有性生殖のモデルと考えられている.さらに,配偶子形成を人為的に容易に誘導でき,細胞融合が同調して高頻度で起こるなど,実験操作のしやすさにおいてもモデル生物に適しているといえる.
 現在,配偶子(Fusion Competent Cell ; FC細胞)で発現している遺伝子のcDNAから単細胞アメーバ(Fusion Incompetent Cell ; IC細胞)で発現しているcDNAを差し引いた,差分化ライブラリ(FC-ICライブラリ)が構築されており,それによってどんな遺伝子が有性生殖で高発現しているのか知ることができる.
 その中で特にFC/IC比が大きいことがわかった遺伝子に,本研究で扱うracF2がある.RacF2はRhoタンパクのサブファミリーに属するGタンパクで,細胞骨格の再配置などに関わるシグナル伝達の上流に位置するといわれている.細胞性粘菌のRacタンパクは今までに15種類見つかっているが,詳細な機能が分かっているものはわずかである.racF2のRNAiによる抑制では増殖不全が報告されており,遺伝子破壊株は得られていない.本研究では,常時活性型・不活性型の二種類のracF2を発現する形質転換体を作製しその表現型を調べることで,細胞性粘菌の有性生殖におけるracF2の機能について考察する.

方法・結果
 racF2の常時活性型(G12V)と常時不活性型(N17T)の配列のC末端にGFPを連結したものをneor(G418耐性遺伝子)カセットのあるベクターに組み込み,細胞性粘菌の野生株(KAX3株)に導入した.形質転換後はG418を含む培地で選択培養した.ベクターの導入は,GFPの発現を検出することで確認した.
 いずれの形質転換体についても,無性的な増殖では,静置培養・振盪培養ともにコントロール(neorとGFPのみ導入したもの)と比較して顕著な違いは見られなかった.子実体形成も特に変わった点はなく,その胞子も形態的には正常で,発芽できることを確認した.  また,蛍光顕微鏡で細胞を観察した結果,RacF2-GFPは細胞膜付近に局在することがわかった.このことは,ほかのRacでも報告されていて,運動,細胞分裂,細胞融合,食・飲作用など細胞表面に関係のある細胞骨格の再配置に,racF2が関与する可能性を示唆するものである.

考察と展望
 結果で述べたように,常時活性型あるいは不活性型のracF2形質転換体は,無性的な増殖や子実体形成に目立った変化は見られなかった.これは,racF2が無性生殖や増殖に必須ではないということを示していると考えられる.しかし一方で,RNAi株で増殖不全が報告されていることから,導入したベクターの常時活性型・不活性型racF2の効果をもともとの野生株のゲノムにあるracF2が打ち消していることも考えられる.そこで,RNAi株に同様のコンストラクトを導入して,その形質を調べることを計画した.現在,RNAi株用ベクターの作製と形質転換が進行中である.
 次に,RacF2−GFPが細胞膜に局在することについてだが,このことは,前述したようにほかのRacでも報告されていて,細胞表面に関する細胞骨格の再配置にracF2が関与する可能性を示すものである.さらに有性生殖の場合でも,配偶子の接合・細胞融合に関わる可能性が考えられる.現在,形質転換体の細胞融合能の測定,細胞融合の様子の観察が進行中である.また,これらの実験のために,KAX3と相補的な交配型を持つ株としてV12株の野生株を用いているが,今後はV12株でも同様の形質転換体を作製し,同様の観察をするとともに形質転換体同士の有性生殖の様子を調べる予定である.これは細胞融合によって,形質転換体に導入されたコンストラクトの効果を打ち消してしまう可能性があるためである.
 今後,始原的な有性生殖のモデルである細胞性粘菌でracF2がどのような役割を果たしているのかさらに調べ,有性生殖のしくみの一端を明らかにしたい.


©2005 筑波大学生物学類