つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200511TU1.

特集:科学コミュニケーターを考える

1. 科学コミュニケーターと科学ジャーナリスト

浦山  毅(共立出版編集部)

1.1 科学コミュニケーターの定義

 最近、「科学ジャーナリスト」と並んで、「科学コミュニケーター」という言葉に注目が集まっている。科学コミュニケーターとは、どういう人または職業を指すのだろうか。カタカナ語のままでは実体がつかみにくいので、まずは具体例から先に見ておこう。ここでは、科学コミュニケーターをかなり広義にとらえていて、なかにはちょっとちがうんじゃないのかと思われるものがあったり、逆にここにはあがっていないが現場で活躍しはじめている科学コミュニケーターがいるかもしれない。外来語をカタカナのまま放置するのは日本の官僚やマスコミや学会の悪いクセで、これではいつまで経っても科学コミュニケーターが日本人には浸透しないのではないかと私は危惧している。議論を深めたいのなら、一刻も早く「コミュニケーター」に代わる漢字による新たな言葉を用意すべきであろう。

 1)科学記者、サイエンスライター、科学イラストレーター
 2)科学雑誌編集者、科学図書編集者
 3)科学番組制作者
 4)技術翻訳者、技術解説者
 5)科学教育者、理科教師
 6)科学解説者、博物館学芸員、科学ナビゲーター、インタープリター
 7)科学評論家、科学コメンテーター
 8)医療翻訳者、健康相談員、遺伝カウンセラー、医療コーディネーター
 9)科学政策立案者、科学技術理解増進活動担当者
 10)科学・技術系ノンフィクション作家
 11)広告代理店・シンクタンクの企画者、コピーライター
 12)科学・技術系の大学・研究機関・企業・団体の広報担当者

 さて、「科学」と名はついていても、「技術」と「医療」が含まれていることにお気づきのことと思う。この3つは理系の専門分野として近い関係にあるのでいっしょにされることが多く、出版社や図書館ではこうした分野をまとめて“STM”(Science, Technology, Medicine)という。また、総務省や文部科学省、一部の団体などは、造語として「科学技術」という一語を使っている。ちなみに、元来、科学と技術は別の概念であり、正確には「科学・技術」である[1][2]。

 ここにあげたリストのうち、1のみ、あるいは1〜3を「科学ジャーナリスト」と称している。ジャーナリストという人または職業も、カタカナ語で定義があいまいであるが、こちらは何となく定着してしまった言葉である。私は、ジャーナリストを「新聞社または通信社に所属する記者で、取材と調査を経て新たな事実や視点を掘り起こし、それを記事にまとめて大衆に刺激を与える人」と定義する。そして、さまざまな分野で活躍するジャーナリストの中で、とくに自然科学に強い人を「科学ジャーナリスト」とよぶことにする。

 これを見ておわかりのように、「科学コミュニケーター」とは、市民(科学の素人)に科学を説明したり、科学を広めたり、研究者と他の誰かをつないだりする人たちのことを指す。そこで一応、科学コミュニケーターを「科学についての経験と知識を生かして科学の教育・啓蒙・発展などに寄与する人、あるいはそうした人々をつなぐ人」と定義しておきたい。なお、ここでは科学ジャーナリストを科学コミュニケーターに含めているが、もちろん別であるとする考え方もある。

 研究者は、基本的に科学コミュニケーターから外して考えるが、「兼務」を妨げるものではないので、研究者が他の研究者の研究成果を含めて広報活動を行なう場合は、科学コミュニケーターとよんでもよいかもしれない。最近は、「アウトリーチ」と称して、研究者みずからが素人相手に啓蒙活動したり説明したりする場合が少しずつ増えてきているようである。

1.2 科学コミュニケーターが注目される理由

 では、なぜ科学コミュニケーターが注目されているのか。それは、国や省庁が、国策遂行の一助として科学コミュニケーターを必要としたことに、産業界やメディア関連企業、さらにはNPOや個人が同調したことに端を発する。しばらくは文部科学省の言い分を聞いてみよう。ここに、「科学技術理解増進と科学コミュニケーションの活性化について」と題した調査資料がある[3]。この報告書は2003年に作成されたものだが、いろいろな意味で(もちろん反面教師として)考えさせられるし、その後の科学技術基本政策の基にもなっているので、読者の皆さんも一度は読んでみることをお勧めする。

 報告書はまず、国民一人ひとりがもっと科学技術に関心をもってほしいと訴える。理科嫌いの青少年が増えたのも、国民の理科に関する知識や関心が減って国際比較で大幅に後れをとっているのも、科学者や科学者をとりまく人たちが、国民や行政官にわかりやすく科学を説明していないからだという。国民が科学技術に強くなれば、自分自身で合理的な判断が下せるようになり、健康を維持でき、エセ科学に惑わされなくなり、科学技術をうまく活用して自らの判断で生活を切り開け、文化としての科学技術を楽しめるようになる。そうなれば、研究開発に対する国民の理解が高まり、社会が発展していく。なによりも、子供が未来に希望を抱き、科学技術者になりたいと思うようになるだろうというのである。

 しかし、だまされてはいけない。この報告書には、いくつか数字やグラフが出てくるが、分析はまったく科学的ではない。一言でいってしまえば、先に結論があって、「科学的」を装いながら、話を誘導しているとしか思えない。たとえば、青少年の理科嫌いは、科学の説明不足だけが原因ではない。教育制度と受験制度の影響のほうが大きい。国民が科学や技術に理解を示せば、民主的な科学技術政策が運営できるというが、国民が原子力のことを勉強して不要論を出してきたら国はそれに従うだろうか。産業や経済の停滞を科学の力で解消させようと考える前に、社会構造や雇用問題を解決することのほうが先決ではないのか。もともと、科学に何でもかんでも期待する(逃避する)態度こそ、問題なのではないのか。

 国の本心をいえば、国民がもっと科学や技術に強くなれば、感情論だけで国の政策に反対することは減るだろうし、国民一人ひとりがもっと健康や病気に関心をもってくれれば、医療費を低く抑えることができる。科学や技術に関心をもってくれれば国民は個人の力で社会不安を減らせるようになるだろうし、科学や技術に関係した新たな職業が誕生してくれば、産業界は活性化し雇用の機会も広がるだろうから、国としては不要な支出を抑えることができるのである。このように、話には必ずウラがある。

 もちろん、だからといって、国民は科学を知らなくてよいとは思わないし、科学コミュニケーターが活躍して科学が一般社会にもっと浸透してほしいと願う気持ちには私も同調できる。科学ジャーナリストはこれまで、新聞や放送といったメディアを利用して、おもに科学者と国民という二者を結びつけてきた。科学雑誌というメディアは、科学者とそれに近い読者とを結びつけてきた。だが、これらの結びつきは、ほとんどが一方向的(科学者→国民/読者)であって、逆方向の流れはなかったし、専門家どうしをつなぐような動きもなかった。ところが、たとえば医療コーディネーターが登場して、医療現場で医師、患者とその家族、法律家、保険員、仲介企業などをつなぐようになって、初めて臓器移植が円滑に行なわれるようになった。こうした科学コミュニケーターの活躍が、さまざまな分野で盛んに見られるようになる状況は望みたい。

 また、国民として、子供だけでなく大人も、科学に関する教養を高めておくことは、現代社会を生き抜くうえで欠かせない努力目標といってよい。ただし、実際に大人が科学を学び直したいと思っても、すでに科学教育の時期は卒業しているし、既存のメディアによる科学の理解にも、独力では限界がある。こうした場にも、科学ナビゲーターといった人たちが登場して、科学への理解を助けることができるだろう。ただ、新聞記事やテレビ番組などでは、擬人化させたキャラクターや動物を登場させて科学を面白おかしく紹介しようとしているようだが、ときには度を越して読者や視聴者を不愉快にさせる内容に出合うことがある。科学は娯楽ではない。科学を紹介するほうも、科学を学ぶほうも、教養としての科学の本質を理解し、もっとまじめに科学を知る努力が要求されているのではないか。

 というのも、科学に対する世間の見方が急速に変わってきており、高度情報化社会に生きる私たちにとって科学の理解は必要不可欠なものになっているのである。科学に対する世間のイメージは、単純に言ってしまえば、それまでの「夢を与えてくれる科学」から「危険な面をもった科学」へと転換している。いつごろから変わり始めたのかは諸説あるだろうが、私は1995年3月22日に行なわれた警視庁によるオウム真理教上九一色村施設への強制捜査とその報道が大きなきっかけになったと見ている。サリンやVXガスといった化学兵器がいとも簡単に製造でき、しかもそうした悪への利用を阻止するはずの科学者(技術者や医者を含む)が殺人やテロに荷担していた事実は、それまで科学に格別関心を示さなかった世間の人々を驚かせた。もちろん、科学は、危険なだけではなく、世界の人口をささえる食糧、エネルギー、環境、戦争、貧困など地球規模の問題を解決するための唯一の手段であることも事実である。これからの時代を生き抜くのに科学は絶対に必要なのだ。

1.3 科学ジャーナリスト

 そうした中で、広く国民に科学を知ってもらうのに、もっとも有効な科学コミュニケーターはおそらく科学ジャーナリストであろう。それは、難解な科学に積極的に向き合う姿勢を持ち、初対面の科学者とも約束をとりつけて話ができ、さまざまな資料やデータを調べることができ、そうした内容をバランスよく構成し直して、わかりやすく書くあるいはわかりやすく表現する訓練を受けているからである。もちろん、ジャーナリストにも課題はいろいろと残されており、それらについては次回でふれる予定だが、そうした問題点を差し引いても、やはり科学ジャーナリストに対する期待は大きい。

 科学ジャーナリストが、自分でテーマを掘り起こし、自分で原稿が書けることは、他の科学コミュニケーターにも期待されることである。国民や質問者の求めに応じて科学を説明するだけでなく、自分で問題を見つけ出してきて自分で解決できる能力が求められている。こうした視点が、いままでは欠けていた。たとえば、学校で、グループ討論を行なって他人の考えを聞き、それへの評価も含めて自分の意見を述べさせるといった授業はこれまで行なわれてこなかった。また、個人を評価するのに、課題の設定や問題解決の仕方や努力などは評価せず、先に本人に書かせた到達目標への到達度や単なる成績だけで判断しようとした。こうした反省をふまえて科学コミュニケーターを育てるには、科学ジャーナリストの手法がある程度使えるものと思われる(詳細は連載第2回で述べる)。

 ところで、ジャーナリストに関して、どこのメディア企業にも属さない「フリージャーナリスト」という存在は成立するものだろうか。私はかなりむずかしいと思っている。フリーといっても、よほどの有名ジャーナリストか、相当な人脈を持っている人でないかぎり、メディア企業の名刺を持たないで取材することは不可能である。また、取材や調査には正直言ってお金がかかるし、企業名を出して初めて取材や調査が可能になることもある。採用メディアが決まらないまま取材を続けても、仕事が継続しなければジャーナリストも人間として生活していけないし、ときには身の安全も確保しなければならない。したがって、身分としてはフリーであっても、実際は記事や番組ごとにメディア企業と契約を結ぶことが多いのが現状である。私が、ジャーナリストを、メディアをもつ企業に属する記者に限定する理由はここにある(ところが、先のイラク戦争の取材で活躍したジャーナリストはほとんどがフリーであったという実態を知って、しばし考えさせられた)。

 最近は、新しいジャーナリストもいろいろと登場してきてはいる。記事でなく写真や映像を主体とした「フォトジャーナリスト」や「ビデオジャーナリスト」にはじまり、「スポーツジャーナリスト」、「モータージャーナリスト」、「ネットジャーナリスト」、最近では、市民の中から情報を提供する「市民ジャーナリスト」といった言葉も聞かれる。しかし、本質がジャーナリストであるかどうかはきちんと判断すべきである。たとえば私は、市民ジャーナリストは真のジャーナリストではないと考えている。ジャーナリストとはいっても、その実態は世の中の隅々にまで情報探査の網を張るための調査員にすぎず、モノになりそうな場合は正規の記者が出張ることになるからである。

1.4 科学メディアとしての本誌の意義

 連載第1回の最後に、メディアを持っていることの意義を強調しておきたい。この『つくば生物ジャーナル』誌上で、科学コミュニケーターあるいは科学ジャーナリストに対する関心が高まってきたのは、睦美ストーン氏の記事に触発された形で武原信正氏が記事を寄せ、また生物学類と生命環境科学研究科が主催して「科学ジャーナリズム講座」を開講したことに始まる。ここで重要なことは、科学(生物学)を学んだ学生を多く輩出している生物学類が、科学系のメディアを持ったという事実である。科学ジャーナリストだけに限って考えてみても、「科学について書ける人材」と「記事を発表できるメディア」の両方を同時に持っている生物学類という存在は、お世辞を抜きにして貴重なものである。

 世間が大学を評価しようとするとき、真っ先に目立つのは「社会にとって役に立つ」かどうかであり、目に見えない効果については、誰かがそれをわかりやすく説明しないかぎり、世間の大部分の人々は気づかないままである。工学や医学のように「役に立つ」ことがひとつの命題である学問とちがって、理学(とくに生物学や宇宙科学)のような純粋科学(pure science)は、内部にいる研究者や科学コミュニケーターが率先して学問の本質を説明していかないと、正しく評価されないまま縮小されかねない運命にある。時代がそうであると嘆くよりも、もっと前向きに科学を正しく説明していく必要があるだろう。本誌がそういう要請に応えてくれることを期待したい。

参考文献
  1. 長尾真:「わかる」とは何か、岩波新書713、2001.
  2. 柴田鉄治:科学報道、朝日新聞社、1994.
  3. 科学技術理解増進と科学コミュニケーションの活性化について、文部科学省科学技術政策研究所調査資料100、http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat100j/pdf/mat100aj.pdf
Contributed by Takeshi Urayama, Received October 28, 2005.

©2005 筑波大学生物学類