つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200505NT2.

科学ジャーナリズム講座T

サイエンスコミュニケーターを目指すために

武原信正(日本メディカルライター協会評議員/JPOP 実行委員長/ライフサイエンス出版取締役編集長)

■社会はサイエンスコミュニケーターを求めている

 日本が,将来的にも科学技術の向上を国是とする限り,国民の関心と理解を深めるためのサイエンスコミュニケ−ションは,社会にとって必要不可欠要素であり続けるだろう。これを国民ひとりひとりについて見れば,日常生活で合理的な判断を下し,快適な生活を維持するために,科学的なものの考え方や方法は大いに役立つに違いない。だとすれば,サイエンスコミュニケ−ターの社会的位置付けは,きわめて重視されなくてはならないはずである。

 しかし現実はどうかと言えば,ストーン氏も指摘するとおり,日本にはサイエンスコミュニケーターを育成する機関が,全くと言っていいほど無かった。もっとも,メディカルライティングやテクニカルライティングといった特定の分野に限って見れば,企業や有志グループ,大学などにおける小規模な教育の場があるにはある。だが,サイエンスコミュニケーションという広域の理念や技術を体系立って教え,即戦力のエキスパートを養成するシステムは,皆無だったと言ってよい。それどころか,一部例外は別にしても,そうした技能を教授する人間すら見当たらないのが日本の実情なのである。

 高齢化社会のニーズに応えようと,マスメディア各社は近年こぞって医療部門の担当記者を増員し,扱うニュース量を増やしている。だが,そのための人材育成法はと言えば,職域内における閉鎖的なon-the-job training方式が相変わらずで,外部で習得したコミュニケーション技術などは評価対象とせず,むしろそうした人材を拒否する姿勢を貫き通して来た。生半可な知識はかえって邪魔になる。何も知らずに入って来たほうが教育しやすいと言うわけだ。これではたとえ高度な技能を身に付けた者がいても,働く場は大幅に制限されてしまう。日本社会でサイエンスコミュニケーターが育たない最大の理由は,このマスメディアの旧弊な姿勢にあると言い切る調査報告書もある。

■サイエンスコミュニケーターにロイヤルロードはあるか?

 これからサイエンスコミュニケーターを目指そうとする者が,しばしば行き当たる疑問がある。「理系の人間が実践の場でコミュニケーション技術を磨くのと,文系の人間が科学技術の知識を身に付けるのとでは,どちらが有利か?」と言う択一問題である。この職業に,ロイヤルロードと言ったものはあるのだろうか?

 ヘルスコミュニケーターやメディカルライターの実地教育にかけては第一人者の令名が高い,米国のTom Lang 氏は,「どちらでも構わない」とあっさり答える。もともと欧米では理系,文系といった見方が希薄なせいかも知れない。しかし,誰かに「お前の意見はどうか?」と聞かれれば,「日本風に考えれば,理系の人間がコミュニケーション技術を身に付ける方が合理的だと思う」と答えるだろう。たとえば,学生時代,生命現象の一端に触れる機会の多い生物系の学生は,後日,臨床医学や生命科学に関する情報を扱う際に有用な,机上では得られない“何か”を体験するチャンスに恵まれているからである。この刷り込み現象は,なかなか馬鹿に出来ない。とは言え,これはあくまでも一般論であって,そもそも“理系人間”とか“文系人間”がどんなものか,自分でもよく分からないのだから,いいかげんな意見ではある。

 では海外の大学は,サイエンスコミュニケーターの育成にどう取り組んでいるのだろう。米国では,50校近くの大学が,科学ジャーナリストやサイエンスコミュニケ−ター育成のための学部,大学院を設置しており,その2分の1には修士課程が,3分の1には博士課程が併設されている。マサチューセッツ工科大学,ボストン大学,ミシガン大学,カリフォルニア大学サンタクルス校,ジョンスホプキンズ大学などは,その代表格である。大学によっては,フェローシップ制度を持ち,奨学金を付与された現役ジャーナリストが長期間研修する姿なども見られる。またこれらのコースを終了した者の多くは,各種のマスメディアのほか,大学や研究機関,企業の広報部門などに職を得ることが多い。

 一方,英国におけるサイエンスコミュニケーション振興の伝統は,19世紀初めに設立された科学振興協会にまで遡る。現在多くの大学に専門家養成コースが設置されているのは米国と同様だが,王立学会や政府がこの活動を強力にサポートしているのが英国の特徴である。

 さて日本の場合だが,この国の大学は,なぜサイエンスコミュニケーションの実地教育をカリキュラムに導入しようとしないのか。明治以来続くアカデミズム偏重主義の前に,実技教育を見下す風潮が,今なお守られているのだろうか。筑波大学が,この種の構想に意欲的であることを耳にした。1日も早く,この大学発のプログラムが実現することを願うばかりである。新しい活動の場を求める学生のためにも,社会システムの向上のためにも。

■先頭を行くアメリカ,65年遅れの日本

 アメリカで,メディカルライター(コミュニケーター)の支援組織である American Medical Writers Association (AMWA)がスタートしたのは,1940年のことだった。初めは地域医師会の研修の場に過ぎなかったものが,今ではアメリカ,カナダを中心に28カ国,5000人余の正会員を要する巨大組織に発展している。メンバーは,大学,研究機関,教育機関,製薬企業,報道機関,出版,フリーランスと実に多彩で,多くの医師やPh.D.が名を連ねている。

 AMWAの目的は,「医療情報を伝達する全ての人を対象に,コミュニケーションの質を高めるための専門技能の習得と,教育の機会を提供すること」,および「メンバー間の情報交換の場を提供すること」にある。年1回,3日間にわたって開かれる年次総会では,100以上ものワークショップがこなされ,修了者には専門職としてのグレードを示す認定証が交付される。AMWAはこの他,全米各地の支部ごとに,年間を通じて様々な講習活動を展開しており,会員には仕事の斡旋まで行なっている。かくしてAMWAの会員ともなれば,厳格な規制で鳴る各種の医学会や国際会議でも,フリーパスの取材資格が与えられる。

 AMWAのスタートから遅れること約50年。ヨーロッパにもEuropean Medical Writers Association (EMWA) が誕生した(1989)。その設立に当たっては,AMWAから多くの人々がサポーターとして出向いた。前述のTom Lang 氏などもそのひとりである。20カ国もの異なる文化,言語を抱えるEMWAの活動には,日本とは別の意味での難しさが付きまとうようだ。
 日本にJapan Medical and Scientific Communicators Association (JMCA)が誕生したのは,更にその13年後,2002年のことであった。

 読んでお分かりの通り,JMCAの英語名にはサイエンスコミュニケーターの文字が見られる。しかし,国内で“コミュニケーター”という呼称への認知度が増すまで,日本名は敢えて“日本メディカルライター協会”で通そうと言うことになった。代表理事である大橋靖雄氏の慧眼と言えよう。

 誕生間もないJMCAではあるが,2つの教育プログラムを持っている。
 1つは医師,研究者,医学編集者などの会員のために提供される「医学論文の書き方」に関するプログラムである。これは東京大学クリニカルバイオインフォマティクスと共同運営され,大学構内において,“公開講座”の形で実施されている点に注目願いたい。もう1つは,多彩なヘルスコミュニケーターの技術向上を目指して,年に数回開かれる実践セミナー“JMCAサロン” である。このサロンには,企業,大学,メディア,医療機関などから会員が集まり,3時間のグループ演習を熱心にこなしている。演習終了後には懇親会が開かれ,会員の交流と情報交換が行なわれる。ただ,参加者枠が30人程度に限られているため,席の確保が難しいのが欠点である。ちなみに第1回目は,Tom Lang氏による「一般市民に向けた効果的な医療・健康情報の書き方」,第2回目は,医療インターネットの専門家による「Web上の最新インフラを駆使した情報検索」と言った演習テーマで,参加者の評価はたいへんに高い。

■サイエンスコミュニケーターの活動拠点の確立を

 国民の科学技術に対する意識を高めるために,サイエンスコミュニケーターの育成が急がれることを長々と述べてきたが,われわれは,もうひとつ大きな課題を抱えている。それは,養成した人材が活動する場を,いかに整備するかである。サイエンスコミュニケーターやライターを志望する優秀な人材が増えても,働き口が見つからなければ,次々とこの世界から離脱してしまう。マスメディアには人材雇用に関する基本姿勢の修正が求められているが,大学や研究機関,医療機関,博物館,民間企業なども,コミュニケーターに対して積極的に門戸開放をはかる必要があろう。

 そうした中で2004年,(財)パブリックヘルスリサーチセンターが,市民向けに正しい医療情報を発信するためのモデル事業,Japan Public Outreach Program (JPOP) を開始したことは,今後のヘルスコミュニケーションのあり方に一石を投じる試みとして注目されている。医療分野ごとに控えた専門家のアドバイスを受けながら,ラジオ,インターネット,テレビ,出版などのメディア企業が緊密に連携し合い,医療情報を複合的に発信するのである。それだけではなく,発信された情報の効果が専門家の手で解析され,次のケースに生かされるような仕組みになっている。ラジオ+インターネット,あるいはテレビ+出版物といった複合情報が,実際に,一般市民の意識変容にどう作用しているかについては,改めて紹介したい。

 ともあれ,JPOPのように複数のメディアにまたがる情報活動が活性化すれば,ヘルスコミュニケーターのモチベーションも刺激されるであろうし,将来的には新しい職域の出現につながる可能性も出てくる。こうした新しい活動が,人材育成面からも期待されている所以である。

 最後に,筑波大学の関係者諸賢にお願いしたい。理論も必要だが,実践能力を備えたサイエンスコミュニケーターを育てるためのパイロット計画に,出来るだけ早くとりかかっていただきたい。そして,このプログラムを公開方式で実施していただきたい。

 更に言えば,サイエンスコミュニケーターを育成するためのモデル的な活動拠点,たとえば“筑波サイエンスコミュニケーションセンター”といった部門を新設していただけないだろうか。これは,学内における人材育成と社会還元の2つを念頭に置いた,産学共同プロジェクトである。

 このセンターで,市民活動の推進や啓発を目的とするテレビ番組やWebコンテンツなどを制作し,全国に向けて定期発信するのである。考えて見ても胸躍る構想ではないか。これまでに蓄積されたノウハウを応用すれば,実現性は充分にある。これこそ林氏が言うところの「大学の活動をいかに社会に還元すべきかを考え,時代の要請を先取りし,的確に対応出来る教育体制の変革」を実践することであろうし,今後,国立大学法人が国民に対して果たすべき義務でもあろう。

 それからもうひとつ。“独立”法人ではあっても,“孤立”法人にはならないでいただきたい。日本でも,様々な時代対応型組織が動き始めている。それらの民間組織や,目的を共有する他の学系(例.医学系,工学系など)および大学と緊密にコラボレートし,科学技術情報発信のプラットフォーム作りで先頭に立っていただきたい。

 どうも,「いただきたい」ばかりが並んでしまった。三題噺に落ちを付けるとかいう話があったが,どうか忘れていただきたい。

【注】
以上は,来る7月5日(火),筑波大学総合研究棟で行なわれる開講授業「科学ジャーナリスト講座T(講師:武原信正)」のレジュメとしてまとめたものである。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received May 8, 2005. Revised version received May 25, 2005.

©2005 筑波大学生物学類