つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200506MA.

特集:下田臨海実験センター

下田臨海実験センターにおけるフクロエビ類と藻場の研究

青木 優和(筑波大学 生命環境科学研究科 下田臨海実験センター)

はじめに

 私が毎月の定期潜水調査を行う場所は下田センター目前の大浦湾内にあります。この湾は、動物の分類や生態の研究を行う研究者にとっては、他に得難い貴重なフィールドです。小さな湾ながら岩礁地帯・転石地帯・砂泥地・藻場・海中林・サンゴ群落など様々なハビタットを含み、伊豆半島南端部に近い自然環境のため、生物相も豊かです。また、南東方向に開口する奥まった湾であるために外の波浪の影響を受けにくいうえ、最深の湾口部でも水深12メートルを少し超える程度で湾全体が比較的に浅く、潜水調査を行いやすいのです(図1)。私は、70年以上前に、ここを臨海実験施設の設置場所として選んだ方に敬意を表したいと思います。本当に先見の明があったと思うのです。この恵まれた自然環境に加え、施設とスタッフの充実によって、下田臨海実験センターは全国屈指の臨海実験施設となっています。この素晴らしいフィールドにおいて我々の研究室で行われている研究について述べてみたいと思います。主なる研究テーマは、『フクロエビ類』と『藻場』です。

フクロエビ類の研究

 人の目につかない動物には、まだまだいろいろな謎が秘められているものです。エビやカニを含む甲殻類のうち、小型のグループであるフクロエビ類についてもこれが当てはまります。実際には陸上から深海、熱帯から極域までどこにでも居るような動物群なのですが、小型であるために目に付かないのです。大きさはふつう約1-2センチ、大きくて5センチくらいまでの動物群で、母親の胸部に育房と呼ばれる保育嚢をもつという特徴があります。ヨコエビ類やワレカラ類、等脚類、アミ類、タナイス類そしてクーマ類が主要な構成群です。よく知られるものでは、フナムシやダンゴムシが等脚類に属します。この動物群では、子は幼体として母親の育房から這い出してくるため、浮遊幼生期がありません。また、日本産では成熟までに1-2ヶ月、寿命は3-4ヶ月以内という種が多いために、完全飼育を行いやすいのです。甲殻類の中でも、行動観察や飼育実験に適した動物群だと考えられます。

 下田沿岸産のフクロエビ類については知見がきわめて乏しいのが現状です。40年以上前に分類学的研究が行われていたクーマ類を除いては、全く未調査であったために、調べれば新しい事実が次々に明らかになっていきます。我々はフクロエビ類について分類学的および生態学的な研究を行っています。生態学的な研究を進めていくうえでも、種の同定を正確に行ったり、近縁種との比較を行ったりするために分類学的な検討は欠かせません。とくに分類学研究者が乏しい分類群では、標本を多く見ている自らで分類学的な検討まで行った方がよい場合もあります。生態学研究室の看板を出しているのに分類学的な研究も行っているのは、それが必要だからです。分類学的な研究としては、下田近海のフクロエビ類相を明らかにすることがひとつの目的ですが、分子系統学的解析を取り入れ、そこに形態機能や生態学的な情報も考慮したうえで進化過程を考える研究も進展中です。生態学的な研究としては『個体群維持』・『社会性』・『移動』がキーワードとなっています。フクロエビ類にも氾世界的に分布するような種が多くあります。直達発生型のフクロエビ類が海洋においてどのように移動し、個体群維持しているのかについては、飼育実験や野外実験、分子マーカーによる追跡手法を用いて研究を進めています。母子共存はしばしば社会性の進化につながります。海洋における社会進化については、研究が少ないのが現状です。フクロエビ類における社会進化を陸上節足動物のそれらに比肩できるレベルまで追求することも研究目標のひとつです。私自身のここ10年来の研究テーマは大型褐藻類に穿孔造巣する端脚類の個体群維持と社会進化についてです(図2)。

藻場の研究

 下田センターには大型褐藻類研究の伝統があります。とくにカジメ海中林の研究は多くの研究者によって引き継がれてきました。現在は、大浦湾湾口部近くの水深約10メートルの地点に『海底基地』と呼ばれる大型の基盤ブロックが設置されており、移植カジメの生長モニタリングや企業との共同研究によるカジメ研究が行われています(図3)。また、学生による種々の野外実験の基地としても使われています。この基地は設置されてから10年以上を経ていますが、台風の影響を受けにくい好適な潜水作業実験場となっており、他には求められない下田センターの貴重な財産のひとつとなっています。カジメ海中林の研究以外には、下田市の受託研究によるアマモ場の長期モニタリング調査や環境省の全国藻場調査に協力して、全国の藻場葉上動物調査も行っています。また、他大学との共同研究により、流れ藻生物群集の成立過程についての研究も行っています。藻場の葉上動物にはヨコエビ類やワレカラ類などのフクロエビ類が多いこともあり、藻場生物群集の研究も我々の研究室における主なるテーマのひとつなのです。

おわりに

 潜水に適したフィールドや施設を要する下田センターは、潜水生態学の拠点としても他に類を見ない好条件を備えています。加えて、分子生物学的解析のための施設が整い、それらを駆使する研究室と隣接し交流するようになったおかげで、分子生態学的研究手法の導入も可能になってきました。下田という素晴らしい立地を活かしつつもフィールド研究の世界のみに閉じこもらず、様々な研究手法を導入しながら研究を進めてゆきたいと考えています。


図1 カジメの定期計測の様子.移植まもない幼体の計測を行っている筆者.


図2 ワカメに穿孔して巣を造るコンブノネクイムシ(体長 2.5 ミリメートル).


図3 移植後3-4年経過したカジメが繁茂している海中基盤.

Contributed by Masakazu Aoki, Received June 24, 2005.

©2005 筑波大学生物学類