つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200601200200728

ゾウリムシの各種無機イオンに対する行動反応

鵜沼 英政(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:大網 一則(筑波大学 生命環境科学研究科)

<導入・目的>
 単細胞生物のゾウリムシは体表に多数存在する繊毛により活発な遊泳行動を示す。ゾウリムシの遊泳行動は様々な外界の刺激により変化する事が知られており、その結果、ゾウリムシは刺激に対して集合したり、離散したりする。このような行動反応により、ゾウリムシは生存に適した環境を選択する事が可能になる。淡水に生息するゾウリムシにとって外液中の化学環境はきわめて重要な環境要因である。ゾウリムシはKなどの外液イオン濃度の変化に対して顕著な行動反応を示す事が知られており、それらの反応は生理的な受容機構を介して生じている。しかしながら、反応機構が明らかにされたイオン種はわずかであり、広範なイオンに対する行動反応の記述や反応機構の解明はなされていない。この研究では、ゾウリムシの各種外液無機イオンに対する行動反応を明らかにする事を目的とした。
<方法>
 ゾウリムシ(Paramecium caudatum)は麦藁の抽出液を用いて培養した。実験に用いた標準溶液の組成は1mM KCl、1mM CaCl2、1mM Tris-HCl(pH7.4)である。ゾウリムシは標準液で3回洗い、30分以上放置した後、実験に用いた。ゾウリムシの遊泳行動は実体顕微鏡下で観察、あるいは、暗視野照明下でビデオテープに記録した。今回調べた無機イオンは、K+(10-40mM)、Ba2+(2-4mM)、Na+(25-100mM)、Sr2+(5-25mM)、Ca2+、Mg2+、Li+、Rb+、Cs+(それぞれ、10-50mM)である。これらのイオンは塩化物として標準溶液に加えた。
<結果>
 ゾウリムシは標準溶液中では緩やかな左螺旋を描いて前進遊泳をした。自発的な方向転換や後退遊泳はほとんど見られなかった。
 K+;ゾウリムシをK+イオン濃度の高い刺激液に入れると、比較的持続時間の長い後退遊泳を示した。その後、細胞は一カ所で回転したあと、ゆっくりと前進遊泳に戻っていった。この一連の行動は一過的なものであった。40mMでの後退遊泳は約1分、回転は約2分であった。
 Ba2+;ゾウリムシはBa2+溶液中では一時的な後退遊泳と一時的な前進遊泳の繰り返しを行った。この行動は持続性であり、長時間続いた。この条件で見られる後退遊泳の持続時間は1秒以下であり、K+で見られる後退遊泳よりも短かった。一方、後退遊泳の頻度は1分間に数回から数十回であった。
 Na+;ゾウリムシは、Na+溶液中では頻繁に方向転換を行った。この反応は不規則であり、一時的に正常な前進遊泳に戻ったように見える時もあったが、再び頻繁に方向転換を見せた。高濃度の溶液では、方向転換に加えて、短い後退遊泳も見せた。これらの反応は持続して観察された。
 Ca2+;Ca2+濃度を増した刺激溶液中では、ゾウリムシは標準溶液中よりも速い前進遊泳を行った。この行動反応は長時間持続した。
 Rb+;ゾウリムシのRb+溶液中での行動反応は刺激液に移した直後に生じる後退遊泳とそれに続く回転運動からなっていた。これらの反応の後、ゾウリムシは通常の前進遊泳に戻った。これらの行動反応はK+に対する行動反応と良く似ていた。
 Li+;ゾウリムシのLi+溶液中での行動は、Na+溶液中で見られる行動と似ており、不規則な方向転換が見られた。また、濃度を増すと、方向転換に加えて短い後退遊泳も見られた。
 Mg2+;ゾウリムシをMg2+溶液に移すと、しばらくの間、一時的な回転と一時的な前進遊泳を繰り返し、その後、時間とともに通常の前進遊泳に戻った。
 Sr2+;Sr2+溶液中では、ゾウリムシは、物にぶつかった時のような動き(後退→方向転換→前進)を繰り返した。この反応はBa2+に対するものと似ているが、後退遊泳はより短かかった。後退遊泳の頻度は時間とともに低くなり、通常の遊泳に戻ったように見えたが、しばしば不規則なタイミングで方向転換が見られた。
 Cs+;Cs+に対するゾウリムシの行動反応は、回転や一瞬の停止と前進遊泳が組み合わされたものだったが、ほかのイオンと比べて、反応は顕著ではなかった。
<考察>
 今回の実験で得られた、ゾウリムシのK+、Ba2+、Na+、Ca2+に対する反応はこれまでに示されている実験結果と良く一致している。これらを含めて、今回得られた行動反応の結果を振り返ると、ゾウリムシの行動反応をいくつかのパターンに分ける事ができる。Ca2+以外のイオンはすべて、ゾウリムシの後退遊泳もしくは方向転換を促した。ここでゾウリムシの後退遊泳について考えると、大きく分けて2種類あることがわかった。1つはBa2+やNa+のように後退遊泳反応が繰り返し生じるものであり、刺激が強くなると、繰り返しの頻度が上がるとともに、後退遊泳が顕著になった。これに対して、K+などでは後退遊泳は1回しか見られなかった。この場合、刺激の強弱に対する反応の大きさは、後退遊泳の持続時間に現れた。
 今回得られた、ゾウリムシのK+に対する反応とRb+に対する反応はきわめて良く似ていた。これらのイオンはいずれもアルカリ金属に属し、周期律表では隣接しているので、イオンとしての性質が近いためゾウリムシが同様な反応を示すと考えられる。従って、ゾウリムシはいくつかの似た性質のイオンを同じ受容系で受容している可能性がある。一方、K+と同様にアルカリ金属に属し、やはり周期律表では近くにあるNa+に対して、ゾウリムシは異なる反応を示した。この事実はゾウリムシの反応がイオンの性質だけにより決まっているのではなく、性質が似ていても異なるイオンを区別して、異なる受容系で受容している事を示している。Na+とLi+がゾウリムシに類似の反応を生じさせ、アルカリ土類金属のCa2+とMg2+が異なる反応を生じさせる事もこの推論を支持している。それぞれのイオン種の受容系の検討は今後の課題である。
 今回の実験だけではゾウリムシが示した行動により、ゾウリムシが刺激として与えたイオンから遠ざかるものかあるいは近づくものかが明らかではない。今後それぞれのイオンに対してゾウリムシが集合するものなのか、離散するものなのかを明らかにしてゆく事が必要である。


©2006 筑波大学生物学類