つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200601200200764

ヒトツモンイシノミ Pedetontus unimaculatus Machida の発生学的研究
― 真正昆虫類のグラウンドプランの解明を目指して ―

中垣 裕貴 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:町田 龍一郎 (筑波大学 生命環境科学研究科)

[背景・目的]
 昆虫類の各群や、昆虫類と他の節足動物各群の系統進化は、形態学、分子系統学の分野で数多く研究されてきたが、未だ統一見解は得られていない。形態による系統学的考察は、各群の比較を通してプランの変遷過程を構築することで行われるため、比較検討の基準となるグラウンドプランの理解が最重要である。昆虫類や節足動物の比較形態学的研究における問題点は当該動物群のグラウンドプランの理解が未だ不十分であることによる。
 イシノミ目は翅を獲得する以前の原始的な体制をもつ昆虫類である。各体節の特殊化の程度は低く、腹部にも 8 対の機能的な付属肢をもつ。湿った岩上などに生息し陸棲藻類を食物とする生活様式は陸上進出直後の昆虫類のそれを受け継いでいると考えられる。
 私は、動物種の 75% を占めるまでに発展した昆虫類にあって、その大部分を構成する外顎類すなわち真正昆虫類のグラウンドプランを再構築・再評価する目的で、外顎類の最ベーサルクレードとされるイシノミ目で発生学的研究を開始した。今回は第一段階として、イシノミ目の発生過程を SEM により検討し、 1) イシノミ目の胚発生を正確に把握し、また 2) 昆虫類のグラウンドプラン解明において重要と考えられる検討事項を明らかにする。

[材料と方法]
 ヒトツモンイシノミ Pedetontus unimaculatus Machida, 1980 (図 1) を材料として発生学的研究を行った。採集は2005 年 5, 6 月、静岡県下田市において行い、約 200 個体を得た。雌雄合わせて約 10 個体を一つの容器で飼育し産卵させた。採取した卵は生理食塩水中で解剖、胚を摘出し、ブアン液で固定した。その後 1% オスミウム酸固定液で後固定し、臨界点乾燥装置で乾燥、金蒸着を施して SEM で観察した。

ヒトツモンイシノミ成虫

[結果と考察]
 5 月から 9 月にかけて約 5,000 卵を採取しそれらを用いて、胚盤形成後、卵休眠に至るまでの発生過程を観察することができた。また今回の観察から明らかになった発生の過程は Machida (1981) の結果をほぼ裏づけた。ステージングは Machida (1981) に従う。今回は全 14 ステージ中、卵休眠に入るステージ 12 までを観察することができた。
(1) 胚帯型
 円形の小さな胚盤 (図 2) が伸長しながら前方から後方へ体節を形成していく、典型的な短胚型の胚帯形成の過程が観察された。
 ヒトツモンイシノミに見られた典型的短胚型は真正昆虫類における初原状態だと考えられる。真正昆虫類には短胚型から長胚型までのさまざまな段階の派生プランがみられ、高次系統を反映していると考えられているが、その変遷過程を構築するためには初原状態の理解が重要であり、そのような観点からイシノミ目の短胚をさらに検討していきたい。
(2) 胚膜褶
 すでに胚膜褶が解消しているステージ 1 の胚 (図 2) が観察される一方で、胚膜褶解消の途中で後半部が胚膜褶の下に隠れているステージ 4 の胚 (図 3) が観察された。つまりヒトツモンイシノミでは胚膜褶の解消時期は一定しない。また他の真正昆虫類に比べると胚膜褶の存在期間はきわめて短く胚の保護機能はもちえないと考えられる。
 胚膜褶は真正昆虫類の固有派生形質であり、胚膜褶の獲得と変遷は真正昆虫類の成立と進化に深く関わっていると考えられる。定式化と機能獲得の程度が低いヒトツモンイシノミの胚膜褶は真正昆虫類の初原状態と考えられ、胚膜褶の変遷過程の描写には不可欠である。その点を意識しつつさらに詳細な観察、検討を行っていきたい。
(3) 腹器様構造
 ステージ 4 の胚において前触角節神経節隆起に 1 対の窪み (図 3, 矢印) が観察された。これは多足類などの神経節形成の際に見られる腹器に類似している。
 近年の神経発生学は、昆虫類と甲殻類の神経形成はともに neuroblast によるものであり、多足類の腹器による神経形成とは異質なものであるとの考えを提出している。今回観察された窪みが腹器と対応づけられるものであれば、節足動物の高次系統における神経形成様式の進化についての議論に大きな影響を与えるはずである。今後、組織学的・分子発生学的手法なども用いてこの腹器様構造について詳細に観察・検討していきたい。

2. 胚盤 (ステージ 1)  3. 胚膜褶解消中の胚 (ステージ 4)

[引用文献]
Machida, R. (1981) External features of embryonic development of a jumping bristletail, Pedetontus unimaculatus Machida (Insecta, Thysanura, Machilidae). J. Morphol., 168:339-355.


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