つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200601200200768

Mumps virusを用いた癌治療用ウイルスベクターの開発

二宮 健吾(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:永田 恭介(筑波大学 大学院人間総合科学研究科)

<背景と目的>
 医学の発展により癌の治療技術は日々発展しているが、全世界における癌の死亡率は未だ上位を占める。現在行われている癌治療としては放射線治療、化学療法および外科的除去などが挙げられるが、いずれの治療も人体に対しての副作用や技術的な限界などの問題を抱えている。最近になり、ウイルスの細胞死誘導能を利用した癌治療に注目が集まっている。ウイルスを用いる利点としては、作用する細胞の特異性が高いことや弱毒株を用いることによる安全性が高いということあげられる。おたふく風邪の病原体であるムンプスウイルス(以下、MuV)は、過去に癌治療に用いられた数少ないウイルスの1つである。おたふく風邪の患者ではしばしば細胞分裂が盛んな睾丸や卵巣が侵されることが知られており、同様に細胞分裂が盛んな癌細胞においてもMuVは殺癌効果を発揮すると考えられた。実際に、複数の癌患者に対してMuVを投与した結果、多くの患者で癌の縮小、腹水の減少、痛みの緩和、癌出血の抑制などが報告されている。
 MuVは、一本鎖マイナス鎖RNAをゲノムに持つエンベロープウイルスである。ゲノムの全長は15,384 塩基であり、構造は3’末端のリーダー配列に始まり、7種類の遺伝子NP、P、M、F、SH、HN、Lに続き、5’末端のトレイラー配列で終わる。RNA依存性RNAポリメラーゼであるLタンパク質は、NP、Pと共にゲノムRNAに結合し、転写複製活性を持つRNP構造を形成する。膜タンパク質FおよびHNタンパク質は、感染細胞表面に発現することにより周囲の細胞を融合させ多核巨細胞を形成し細胞死を誘導する。
 本研究では、MuVのリバースジェネティクス系を確立し、これを用いた癌治療用MuVベクターの開発を目的とした。本研究室において、現在日本で用いられている弱毒化ワクチン株であるHoshino株の完全長ゲノム配列が決定されているため、この株を基本材料とした。

<材料と方法>
 ミニゲノムを用いた転写・複製能の検討:MuVゲノムからの転写・複製能の検討は、CAT遺伝子を含むモデルMuVミニゲノムを用いて行った。MuVリーダー配列、CAT遺伝子に続き、トレイラー配列を含むミニゲノムcDNAは、T7 RNAポリメラーゼにより転写され、産生されるRNAの3’末端はデルタ肝炎ウイルス(HDV)のリボザイム配列により切断されるように設計した。作製したミニゲノムcDNAをRNP構成ウイルスタンパク質NP、PおよびL発現ベクターとともにリポフェクション法を用いてハムスター腎由来T7 RNAポリメラーゼ恒常発現細胞株であるBSR T7/5細胞にトランスフェクションし、48時間後に細胞を回収した。凍結融解により抽出液を調製し、acetyl CoAを添加後、37℃で2時間インキュベーションを行った。反応物はクロロホルム:メタノール(9 : 1)を溶媒として薄層クロマトグラフィーにより展開して検出した。
 RT-PCR法を用いたMuV完全長cDNAの作製:MuVのリバースジェネティクス系を構築するために、ウイルスの完全長ゲノムをクローニングした。MuV Hoshino株からウイルスRNAを精製後、RT-PCR法を用いて、5つの部分に分けてウイルスゲノムcDNAを作製した。各cDNAをpBluescriptII KS(+)にクローニングした。その後、各断片を連結させることにより、MuVの完全長cDNAをpBluescriptII KS(+)にクローニングした。また、5’末端の上流にはT7 プロモーターを、3’末端の下流にはHDVのリボザイム配列をそれぞれ配置した。また、MuV Hoshino株は、多核巨細胞形成能が非常に弱いためF遺伝子にPCR法を用いて変異を導入し、Fタンパク質の383番アミノ酸を置換することで多核巨細胞形成能を向上させた。
 リバースジェネティクスによる新規MuV粒子の作成:MuV全長ゲノムcDNAを用いて、リバースジェネティクスによるMuV粒子の作成を以下の方法で行った。MuV完全長ゲノムcDNAを含むベクターと、NP、PおよびL発現ベクターをリポフェクション法によりBSR T7/5細胞にトランスフェクションした。48時間後、細胞数1:1の割合でアフリカミドリザル腎細胞由来Vero細胞を加え、さらに1週間培養した。ウイルス粒子の産生は、多核巨細胞形成の観察およびRT-PCR法により検出した。

<結果と考察>
 CAT assayの結果、アンチセンスにCAT遺伝子を挿入したミニゲノムからCATが発現することを確認した。この結果より、細胞内でT7 RNAポリメラーゼにより合成されたミニゲノムがRNP構造をとり、ウイルス性RNA依存性RNAポリメラーゼにより転写されることが明らかとなった。
 完全長MuVゲノムcDNAのトランスフェクションによるリバースジェネティクス系では、RNP構成タンパク質発現ベクターおよび、MuV完全長cDNAを含むベクターをトランスフェクションしたBSR T7/5細胞とVero細胞の共培養により、多核巨細胞形成が確認された。それらの培養上清を新たに用意したVero細胞に移し、ウイルスを増殖させた後、RT-PCR法によりプラスミド由来のMuV粒子が得られたことを確認した。しかし、癌治療に用いるために必要と考えられる高い感染力価は得られなかった。今後は高力価のウイルスを回収する手法を検討する必要がある。
 以上の結果より、MuV Hoshino株のリバースジェネティクス系を確立することができた。しかし、このウイルスはF遺伝子に変異を導入して得られたウイルスであるため、安全性を考慮して、その感染の細胞特異性、個体内での組織特異性、増殖特性、各ウイルス遺伝子の発現レベルなどについて調べる必要がある。また、今後は癌細胞を特異的に死滅させる点に焦点をおき、MuVによる殺癌活性を高めるために自殺遺伝子をMuVゲノムに導入することを検討中である。現在は、ウイルスゲノムに組み込まれた外来遺伝子が発現するかを検討するためにEGFP遺伝子を完全長MuVゲノムに組み込んだウイルスを作成中である。



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