つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200601200200783

深海に棲息する二枚貝類の系統と進化

松本 寛人 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:沼田 治 (筑波大学 生命環境科学研究科)

導入・目的
 深海の熱水噴出孔や冷水湧出帯という光の届かない特殊な環境には、シンカイヒバリガイなどの共生細菌をもつ無脊椎動物が化学合成生物群集を形成し、多様な生物が棲息している。イガイ目イガイ科の二枚貝であるシンカイヒバリガイ類は、化学合成を行う硫黄酸化細菌あるいはメタン酸化細菌またはその両方を鰓上皮細胞内に共生させ、細菌の産み出すエネルギーに依存して生命を維持している。シンカイヒバリガイ類の祖先は深海への進出の足がかりとして沈木や鯨遺骸を利用したとする進化的ステッピングストーン仮説が提唱されている。キヌタレガイ目キヌタレガイ科の二枚貝であるキヌタレガイ類も、シンカイヒバリガイ類と同様に鰓上皮細胞内に硫黄酸化細菌をもつことが知られている。しかし、シンカイヒバリガイ類とは異なり、キヌタレガイ類は浅海から深海まで広く分布し、浅海域では還元的な砂泥中に棲息している。したがって、キヌタレガイ類にも進化的ステッピングストーン仮説が当てはまるかどうかは検討する必要がある。
 本研究では、深海生物の進化と起源を解明するため、シンカイヒバリガイ類とキヌタレガイ類の2つの異なる系統の深海生物を調べ、深海への適応戦略を比較することを目的とした。深海の熱水噴出孔や冷水湧出帯で採集されたシンカイヒバリガイ類とともに、浅海の冷水湧出帯や鯨骨、沈木から得られたイガイ類ならびに浅海域から深海域に生息するキヌタレガイ類の種間および種内集団間の類縁関係をミトコンドリアシトクロムcオキシダーゼサブユニットT遺伝子(COT)の塩基配列の解析によって調べた。

材料・方法
 シンカイヒバリガイ類の系統解析には、シンカイヒバリガイ亜科Bathymodiolus属17記載種と16未記載種、シンカイヒバリガイ亜科Gigantidas属2種Tamu属1種、ヒバリガイ亜科の7記載種と1未記載種を使用した。また、キヌタレガイ類の系統解析には、アサヒキヌタレガイ、アブラキヌタレガイ、タギリキヌタレガイ、S. velumの4種を使用した。
 いずれの二枚貝も足の筋肉からDNAを抽出し、PCRによってDNAを増幅させ、塩基配列を決定した。この塩基配列に基づき樹形図を作製した。

結果・考察
 分子系統解析の結果、シンカイヒバリガイ類は大きく2つのクレードに分かれた。1つはヒバリガイ亜科Benthomodiolus属の2種とBathymodiolus属とされている未記載種で構成され、もう1つは残りのシンカイヒバリガイ亜科の種と浅海の冷水湧出帯や鯨骨、沈木から得られたヒバリガイ亜科の種で構成された。さらにシンカイヒバリガイ亜科の種は、以下に挙げる5つのグループに分かれた。グループ1はメタン酸化細菌をもち、主に日本近海から南西太平洋に分布する。クロシマシンカイヒバリガイ、シンカイヒバリガイ、テオノシンカイヒバリガイ、B. tangaroa、ヘイトウシンカイヒバリガイ、 B. childressiB. mauritanicus を含む。グループ2は硫黄酸化細菌をもち、日本近海に分布する。Bathymodiolus属の未記載種2種とGigantidas 属の2種G. gladiusG. horikoshiiを含む。グループ3は硫黄酸化細菌をもち、日本近海から南西太平洋に分布する。カヅキシンカイヒバリガイとBathymodiolus属の未記載種3種を含む。グループ4は硫黄酸化細菌(または硫黄酸化細菌とメタン酸化細菌の両方)をもち、東太平洋から大西洋、インド洋を経て西太平洋にかけて汎世界的に分布する。B. brooksiB. thermophilusB. heckeraeB. puteoserpentisB. azoricus、インドシンカイヒバリガイ、B. brevior、シチヨウシンカイヒバリガイを含む。グループ5はTamu属1種、Bathymodiolus属とされている未記載種を含む。
 浅海の冷水湧出帯や鯨骨、沈木に棲息するヒバリガイ亜科の3種はグループ3と近縁であり、むしろシンカイヒバリガイ亜科の内群と考えるべき位置にあった。他のヒバリガイ亜科の種は、シンカイヒバリガイ亜科のグループ1〜4の外群(すなわちBathymodiolus属とGigantidas属の外群)となることが分かった。進化的ステッピングストーン仮説を証明するための決定的な証拠を得るために、今後より多くの遺伝情報を用いた系統解析を行うとともに、シンカイヒバリガイ類の深海進出のための適応戦略(高水圧、低水温などへの順応や化学合成細菌との共生の発達過程)を明らかにしたい。
 キヌタレガイ類4種の分子系統解析の結果、Solemya属の2種(タギリキヌタレガイ、S. velum)が姉妹群を形成することがわかった。現在スエヒロキヌタレガイの塩基配列を決定中であり、今後さらに種数を増やして系統解析を行う予定である。現段階ではキヌタレガイ類の深海進出の過程を考察することは難しいが、これまでキヌタレガイ類の分子系統解析は行われておらず、今後の研究によって深海生物の進化と起源を明らかにする上で有用な情報が得られると思われる。
 同じく深海に棲息し化学合成生物群集を形成するマルスダレガイ目オトヒメハマグリ科の二枚貝であるシロウリガイ類は、分子系統解析が最も進んでいるグループの1つである。シロウリガイの1種(西太平洋のものはシロウリガイCalyptogena soyoae、東太平洋のものはC. kilmeriと記載されているが)は、西太平洋から東太平洋まで分布している。シロウリガイ類はその進化過程で太平洋を8回横断したと考えられている。C. kilmeriは海底の鯨遺骸からも採集されているため、鯨骨をステッピングストーンとして太平洋を移動した可能性が示唆されている。
 二枚貝類に限っても異なった様式で深海に進出した可能性があり、今後の比較検討は、生物がどのように深海の環境に適応していったかという謎を明らかにする上で、非常に有効であると思われる。


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