つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200601200200785
サッケード適応の経過に対する先行適応の影響
三浦 真理子 (筑波大学 生物学類 4年) 指導教員:岩本 義輝 (筑波大学 人間総合科学研究科)
[研究目的] サッケードは興味ある対象(ターゲット)を網膜中心窩で捉えるための、急速かつ正確な随意眼球運動である。中心窩は視細胞が集中しており、網膜の中でもっとも視力が高い部位である。よって、サッケードによりターゲットの鮮明な像を得ることができる。 サッケード系には運動学習のメカニズム(サッケード適応)が備わっている。適応を引き起こす刺激はサッケード終了時の眼球位置とターゲット位置の差すなわち視覚誤差であると考えられている。サッケード適応はその誤差をなくす方向に働く。 サッケード適応の速度や適応の程度が実験日によって相違があることが報告されてきた。我々はこの相違は単なる生物学的なバラつきではなく、サッケード適応の性質の一端を示すと考えた。一般に、前に経験を積んだことが後に続く行動を修飾し、より上手に行動できるようになることが多い。同様にサッケード適応でも、先行する適応が次の適応の速度や程度を修飾する可能性が考えられる。しかし、先行する適応が次の適応に与える効果についてこれまで系統的に調べられていない。本研究は先行するサッケード適応が次の適応の経過に影響を与えるかどうかを明らかにしようとしたものである。 [方法] 実験にはアカゲザル(Macaca Mulatta)を用いた。磁気サーチコイル法により眼球運動を計測した。スクリーン上のターゲットを目で追わせ、ターゲットを見たら報酬として少量のジュースを与えた。ターゲットをサッケード中に移動させて視覚誤差を与え適応を誘発した(Intrasaccadic Step(ISS))。ターゲットは左又は右に10°のステップをし、左ステップのみにISSを与えた。サッケードの正確さは、ゲイン(=サッケード振幅/ターゲット振幅)で表した。正常なサッケードのゲインはほぼ1になる。 適応実験は1週間を単位とし、その中の連続する4日間で行った。1-3日目を先行適応期間とした。先行適応期間の1日目をコントロール適応、4日目をテスト適応とした。連続した4日間はいずれも以下のような手順で実験を行った。先ず、ISSのない10°のステップに対するサッケードを200回行わせ、適応前ゲインを求めた。続いて、ゲイン減少適応をさせるため、35%バックステップのISSを約2000回行った。また、4日間の適応実験の影響を消し去るため、翌週を浄化期間とし、ISSのないターゲットステップに対するサッケードを行わせた。 [結果] 4日間の適応実験を合計5回(5週)行った。図1は、ある週のコントロール適応 適応前半のゲイン減少量の指標として、適応前と700回付近のゲインの差を求めた。適応前ゲインはISSを開始する前200回の平均とし、700回付近のゲインはISS開始後650−750回の平均とした。テスト適応のゲイン減少量(0.140±0.036)はコントロール適応のそれ(0.080±0.021)より有意に大きかった(p=0.026,n=5,paired-t test)。さらに、前半の適応速度の指標を以下のように求めた。ISS開始後700回までのサッケードについて、ゲインをサッケード回数に対してプロットし、回帰直線をあてはめ、その傾き(絶対値)を適応速度とした。テスト適応の速度(1.739±0.393 (×10-4/saccade))はコントロール適応のそれ(1.120±0.240 (×10-4/saccade))より有意に大きかった(p=0.011,n=5,paired-t test)。次に、適応全体のゲイン変化量を求めた。最終的に到達したゲインの値としては、1700-1800回の平均を用いた。これと適応前ゲインの差をゲイン変化量とした。テスト適応のゲイン変化量(0.219±0.030)はコントロール適応(0.112±0.022)のそれより有意に大きかった(p=0.002,n=5,paired-t test)。 [考察] テスト適応はコントロール適応に比べ、ゲイン変化の速度が速くかつゲイン変化量が大きかった。先行する適応の有無以外に、両適応の実験条件に差はないことから、先行適応の影響により後に続く適応が起こりやすくなったといえる。本研究により、先行するサッケード適応が次の適応に促通的効果を与えることが明らかになった。
©2006 筑波大学生物学類
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