つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200603AO.

特集:卒業

4年間を終えて

小澤  愛(筑波大学 生物学類)

筑波大学での4年間が終わった。

 この大学生活は私にとって、人との出会い、自分の成長、という二言につきると思う。
2002年4月。入学して生物学類の人達と知り合いまず感じたことは「世の中にはこんなにいろんな人がいたんだ」ということだった。大げさに聞こえるかもしれないが本当にそう感じてショックを受けたのを覚えている。中高一貫校だったため6年間同じメンバー、同じ生活範囲で生きてきた私にとって全国各地から集まってきた個性豊かなみんなと知り合ったことはとても刺激的だったのだ。彼らには4年間を通して本当に楽しい時間を過ごさせてもらったと思う。

 1年のときに始めた2つのサークル活動は、さらにたくさんの人と出会う機会を与えてくれた。大学に入ったら何か新しいスポーツを始めようと思っていたにも関わらず結局、中学からやっていたバスケットボールを選んでしまった。ボランティアサークルでは、障害のある方の生活の一部を手助けさせてもらった。このサークルに参加していくうちに、これをボランティアとは言うけども、わたしにはそれが適切な言葉ではない気がしてきた。いわゆる健常者の私達の誰にでも苦手なこと、できないことはあって、それに直面したときは人に教えてもらったり助けてもらったりする。障害によって自分で動くことができない方にごはんを作ったりおふろに入れたりすることはそれと同じなのではないかと思った。また逆に私はそういう方と話をすると、彼らの考え方や生き方から学ぶことが多かったのでそれが楽しみでもあった。

 3年から4年にかけてのマンチェスター留学は大学生活というよりもこれまでの人生の中で一番大きな出来事だった。留学をしたいと思った一番の理由は日本以外の国の人と関わってみたいということだった。また、違う国で暮らすことで自分の中の何かが変わるんじゃないか、という漠然とした期待もしていた。実際にマンチェスターで10ヶ月生活している中で痛感したことは、人と人との関わりは結局内面同士のぶつかり合いであって言葉はその手段でしかないということだった。そこに国の違いは関係なく、自分に伝えたいこと、伝えたい意思があるかどうかが重要なのだと思い知らされる場面にたびたび直面した。今までいかに自分が、なんとなくその場を切り抜けていたのかに気づいた。逆に、自分が心から接すれば国は違えど素晴らしい関係を築けるのだということも知った。イタリア人の友人とはきっとこれから長いつきあいになっていくだろうと思うし、研究室では人としても研究者としても尊敬し憧れる女性研究者に出会えた。また、上記のことも含め自分で自覚していなかった自分に気づくことができたと思う。ほとんどが弱い部分だったがそれを認めることができたとき、次の一歩を踏み出すことができた。できないことはできないと割り切って、ならどうするか、まずはやってみよう、と考えられるようになった。

 留学をして私は、いろんな物事に対して肩の力を抜いて対応できるようになった気がしている。多少の逆境には耐えられる自信がついたからかもしれない。そう思えるのも、この年齢、タイミングでこの経験をできたことが大きいように思う。もっと年をとっていたら、思い切ってなにかをすることに戸惑ってしまっていただろうから。卒業を迎えた今、私にとって大学生活の1年間を留学に費やしたことは本当に有意義であったと感じている。

 このように4年間を思い出してみると、たくさんの人と関わってきたことに改めて気付かされる。ひとりひとりから間違いなくなにかをもらい、考える機会を与えられ、脳と心をフル稼働させて向き合ったことで自分は成長してこれた。また、異国の地での常に新鮮な1分1秒が私を鍛えてくれた。
この4年間の経験は確実に私の中に刻まれている。4月からはつくばを離れ違う大学の院に進むが、その誇りを持って精一杯やりたい。

 最後に、4年間で出会ったすべての友達、留学という素敵なチャンスをくださった生物学類の先生方、そして留学中も遠くから支えてくれた家族に心から感謝したい。

P.S. 留学について質問等あればいつでも連絡ください!→ ai_0819@hotmail.com

Communicated by Shinobu Satoh, Received March 27, 2006.

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