つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200603HK.

日本とアメリカの大学院教育に関して思うこと

清澤秀孔(理研バイオリソースセンター)

 第6期生として生物学類を卒業し、はや20年となります。学類の学生であった当時に講義でお世話になった先生方はほとんど退官され、実験や実習でお世話になった若い先生方は教授になられて、あらためて自分の年齢を再確認しています。学類を卒業したあと海外を含め各地を転々とし、最近つくば市に戻って参りました。その間、アメリカのロッキー山脈の中に開けた小さな谷、アメリカの典型的な大都市、また、日本においては比較的小さな研究所や、大規模なゲノムセンター、地方医大など、さまざまなタイプの研究施設を経験し、また同時にさまざまなタイプの上司と共に研究を重ねてきました。現在、理化学研究所で生物学を対象とした基礎研究に携わっています。平成15年に縁あって大学院生命環境科学研究科の客員教員を兼任する機会を得、日米の大学院教育の違いをあらためて考えるきっかけとなりました。日米、また国内のさまざまな研究機関における研究体制の違いなどに関しても感じることが多いのですが、それらについて述べるのはまたの機会にして、今回は日米の教育方法(特に大学院)の違いに関して、アメリカの教育方法を紹介し、それについて思うことを書いてみたいと思います。

大学院のシステム

 まず、課程のシステムに関してです。平成17年度から生命環境科学研究科においても博士課程一貫(5年間)が博士課程前期(修士課程)と後期に分かれましたが、アメリカにおいてはもう少し柔軟なようです。私が学位を取得したユタ州立大学では、修士課程と博士課程が並列していて、学部を卒業した後、どちらに進むこともできます。博士課程に進んだ場合は修士号なしで直接博士号を取得することが可能です。もちろん修士課程に進んで修士号を取得後、博士課程に進むことも可能です。その場合、修士課程時に取得した単位は博士課程に移すことが可能です。ただ、学部卒業後に、博士課程進学を希望しても、入学審査の成績によって、修士課程を経てから博士課程へ進むことを薦められることがあります。アメリカではこのように博士一貫の課程と前期・後期の二階建ての課程の両方が並列されているので、学生にとっては便利です。また、アメリカでは大学院だけではなく大学においても就学年数が決まっておらず、単位と研究内容で学位授与が決まります。これは理にかなったシステムだと私は思います。日本においては様々な規制が存在するので、その結果、現在のようになっているのかもしれません。

授業などについて

 次に授業一般に関することですが、アメリカでは大学院1、2年目(修士課程であれば修士課程の2年間、博士一貫課程であれば初めの2年間)は授業が結構あります。2年間で30-40単位ほどです。単位数だけを見ると日本と余り変わらないかもしれませんが、内容が全く違います。日本の大学院に見られるような集中講義、特講やセミナーのようなものではなく、普通の授業、例えば、生化学、分子遺伝学、細胞学といった講義名で、その内容が大学院レベルになっています。各科目の授業数も週一回ではなく、たいていは週三回、週五回で、それが一学期間(10週間)続きます。試験の方法も違います。定期試験は期末試験だけではなく、二回ほど中間試験があります。更に定期試験だけの授業は無く、各教員が工夫を凝らした課題が出されます。毎回クイズをしたり、調べ物のレポートを提出したり、小論文を書いたり、結構時間のかかる課題が要求されます。

 このような授業が初めの2年間続きますので、アメリカ人でもその間、実験に手が着かない学生もいます。この間に授業をこなしながら研究を進めると早く卒業することも可能です。私が在籍したユタ州立大学では修士課程を2年で終える人はまれで、多くの学生は3年ほどかかっていました。修士・博士課程を選ぶ人で7年間、博士一貫課程で6年間ぐらいが平均でした。これが有名大学になると、もう少し早く修了する傾向にあるようです。

 これら通常の講義の他に、学生参加型、学生の発表が主体となる授業もあります。日本人には苦痛以外の何物でもありませんが、私はおかげでずいぶん英語の訓練を受けることができました。

 授業以外で必須とされているものにティーチング・アシスタント(TA)があります。大学院生は将来の教員候補ですから、ユタ州立大学ではTAを2学期間行うことが必修でした。TAといっても資料の準備をしたり、実験の授業の補助をするのではなく、学部レベルの授業の完全な遂行、実験の授業であっても準備、説明、採点まで全てを行わなければなりません。大学院生のTAでも授業を受ける学生からの評価があります。ただ点を付けるような評価ではなくて、用紙にコメントを書かれます。私の場合は外国人であることもあり、非常に緊張しましたが、彼らのコメントはいろいろ参考になるので、今でも大切に取ってあります。

研究について

 次に、研究に関して述べたいと思います。日本のように大学院を受ける時点で所属研究室が決まっている場合もありますが、大学院に入ってから一年ほど2、3の研究室を(義務として)ローテーションしてその後、学位のための研究室を決めることが多いようです。大学院にはいると仮の指導教授(major professor)を決め、博士課程の場合、その他4人の委員、計5人からなる審査委員会を作ります。研究室が決まった時点で、最終的なmajor professorと委員を決めます。この5人からなる委員会がその学生が履修するべき授業を決め、comprehensive exam(正式にはqualifying examといいますが、通常はcomprehensive examです)と呼ばれる博士課程の学生として適当か最終的に見極める試験を行い、更に最後の博士号授与の審査をします。comprehensive examは一通りの授業を取り終わった頃(2年目の終わり頃)に行われ、記述試験と口頭試験から成ります。記述試験は5人の委員がそれぞれに出題し、一日に1人なので一週間続くことになります。それに合格すると口頭試験を受けます。一度落ちる人は結構いますが、二度目で落ちると追放になります。

 研究科や専攻としてコアとなる必修授業はありますが非常に少なく、前述の審査委員会がその学生の専門性を配慮して決定した授業が履修すべき授業の大部分となります。またこの委員会は人数が5人となっているところがミソで、指導教授以外に4人も選ぶと委員全てを指導教授の仲良しから選ぶのは不可能に近く、厳しい人が必ず入ってきます。ユタ州立大学ではその学生の専攻外から1人を選ぶことが義務づけられていました。

 研究室が決定し正式な委員会が決まると、研究のプロポーザルを書かなくてはなりません。これが非常に重要で、「私は学位のためにこれらの実験を計画し、このような結果を得る」と言うことを明確にしなくてはなりません。様式は先生方が毎年書いている科学研究費の申請書のようなものです。ただ、量が科研費の書類よりもずっと多くて、A4で10枚ほどです。その計画が適切であるかどうかが審査されますし、また、提案した研究を全てこなせなかった場合、その理由に正当性がなければ受け入れられません。プロポーザルの正式な変更(委員会の承認が必要)なしで研究を変更することもできません。

 このような過程を経て、そしてそのたびに委員会の認可を経て学位授与に至るわけです。最終的には委員会がOKといえば学位は授与されるので、論文何報という規定はありません。ただ、5人の人が審査するので、一報も書かずOKが出ることはあり得ませんし、一報でOKが出ることもまれです。もちろん、内容次第です。

奨学金など

 大学院のシステム以外で日本との大きな違いは金銭的な援助のシステムです。大学院に合格するということは、基本的には授業料免除とほぼ同義です。その他、TA、リサーチアシスタントシップ、奨学金などがそろっており、毎月の最低限の生活費は何とかなります。教授の科研費がなくなり、リサーチアシスタントシップがもらえなくなると他の研究室に移る学生もいます。ただその場合、研究は一からやり直しですので、修了までの期間は長くなります。それでも研究室を移る学生が結構います。あまりに学生の出来が悪いと先生がお金を止めることもあるようです。

「人生のやり直し」が可能な体制

 以上、アメリカの大学院に関して日本と違っていることを書きましたが、良いことばかりのように見えます。実際その通りだと思います。これらが可能となっているのは社会全体の体制が日本と違い、異なる体制の上に教育システムが打ち立てられているからです。そのまま日本に持ち込んでもうまく働かないと思います。例えば、アメリカ社会は「人生のやり直し」に寛容で、チャンスは何度でももらえます。私が在学したユタ州立大学の大学院では大学を卒業してそのまま大学院に進んだ人の方が少数派でした。comprehensive examに落ちて大学院から追い出されても、それは研究職に向かなかっただけで、挫折というわけではありません。実際大学院を中退後、大学と同じ町で事業を始めて成功している学生(留学生でした)もいました。また5人の委員会で、委員のメンバーが学生の学位授与を認めないと指導教授は困ります。これを指導教授が個人的な批判として受け取ると問題で、日本ではこのような問題が起こりがちです。この点アメリカは公私の区別が比較的はっきりしており、科学的な議論はあくまで科学的なものですから、日本よりはこの手も問題は起きにくい土壌があります。

 日本人研究員がアメリカに留学すること(ポスドクなどで)はよくあります。ただ、大学、大学院レベルでの留学は現在でもまれです。留学経験のある日本人が多くても、実際のアメリカの大学(院)教育の現状を知っている人はまれです。これからは日本全国で大学院の定員が大きく増え、優秀な大学生の取り合いが起きるでしょう。日本の土壌、文化をふまえたうえでの、魅力的な大学院教育変革の必要性を感じます。今回アメリカのシステムの概略を書きましたが、それが一見優れているように見えても、日本に合うかどうかをよく見極める必要があると思います。また、私は直接関わったことがないのでよく分からない点が多いのですが、日本には様々な規制が多いと聞きます。今後、少しでも母校の発展に携わっていくことができたら卒業生としてこれほどうれしいことはありません。長く筑波大学にいる方々は実感されないかもしれませんが、いろいろ回ってきてつくば市に戻り感じることは、「やはり母校はいい」ということです。

Communicated by Yoshimasa Tanaka, Received March 13, 2006.

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