つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200606HH.

特集:筑波大学植物発生生理学研究室の歩み

月曜日が待ちどおしかったこと

濱本  宏 (東京大学大学院農学生命科学研究科)

 僕にとっては二度目のつくば生活の一期間のことなんだけれど、月曜日が待ちどおしかったことがあった。それは、ここまでの人生で本当にその頃だけだ。

 といっても、厳密にいつの頃のことだったか思いだせない。それは、とても特別なこととリンクしているわけではないので思い出せないのかもしれない。そもそも、月曜の朝は、ゼミだったはずだ。なんとなく過ごすと日曜も夜になり、NHKのサンデースポーツが始まって、ああ、まただらだらしてしまった、明日の朝は早いのに・・・と憂鬱な気持ちになるのはいつものことだった。けれど、同時に月曜が待ちどおしく日曜の終わりが嬉しかったことが確かにあったのだ。「研究充実」だから月曜が待ちどうしかったのではない。むしろ「その頃」は研究では悩多かった時期だったような気もする。

 本当にあれはいつだったのか、と思い出そうとするとなんとなくよみがえることの一つは「ランランに行くかクラレットに行くか、あるいは宝島か元気寿司か」と、遺伝子実験センターのメンバーで誘い合って行く夕食がとても待ちどおしかったことである。月曜の夕食を日曜から首を長くして待っていたのかもしれない。遺伝子実験センターのメンバーは主だったところの入れ替わりが少なく、気心知れていて、だから夕刻になると論文を読んでいるようにして誰かが「そろそろ夕食にしましょうか」と言い出すのを待っていたこともはっきり覚えている。あるいは、明日2D320にいったら、じゃあちょっと飲みに行きませんか、ということにならないかなあ、といった期待感も思い出す。2D320には、ものを借りにいくような、あるいは雑誌を見に行くようなふりをして、誰かをつかまえては仕事の話を適当に聞いて、同時に飲み会にならないかなあ、ということを思い続けていたのである。センターのメンバーと行く飲み会とはまた違った楽しみがあった。それも月曜が待ち遠しい理由だったのかもしれない。けれどこんなことだけで、ほんとうに月曜が待ちどおしいといった超日常状態になれるのかはなはだ疑問ではある。エネルギーの収支計算が合わないように思える。

 さっきも言ったように、その時期は、何か非常に幸せなことがあったのではないし、ものすごい充実を感じていたわけでもないのである。けれど月曜がまちどおしかったのである。おそらくそれは、理屈がない、ことなのであろう。

 それで、僕は気づく。研究が充実しているから月曜が待ち遠しい、でなかったから良かったのだ、と。研究充実が理由だったら、研究に行き詰ったらやっていけなかったかもしれない。何かわからないけれど、月曜が待ちどうしくなるような、理屈でない何かが僕の筑波にはあったから、やってこられたんだ、と。

 筑波には本当に多くの思い出があるけど、これは僕にとってとても愉快な思い出の一つなのである。

(1986-1988, 1993-1997年研究生)

Communicated by Shinobu Satoh, Received June 12, 2006. Revised version received July 5, 2006.

©2006 筑波大学生物学類